titles

□無意識のゼロセンチ
1ページ/1ページ





先日の立ち会いで脚を負傷してしまった為、運転できずに選んだ通勤手段……満員の電車内で隠すこともなく溜め息を吐いた弥鱈は、ドア付近に立っている1人の女へ視線をやった。


いい大人になってもスーツの裾を長くして威圧的な態度のヤンキー2人、そして立会人の中では仲の良い銅寺が、何かと気にかけている苗字名前が苦しそうにドアへ押し付けられているのが見えたが、通勤途中に話しかけるほどの仲ではないと目を逸らす。



駅に到着する度に入れ替わる人々に押され流され彼女の前まで辿り着いた時でさえ、視線も合わせずドアから見える景色を眺めていた。


ガタンと大きく電車が揺れたとき、視界の片隅に映る名前が自分の胸に飛び込むように体勢を崩し、弥鱈に気がついた。


「……弥鱈た、弥鱈さん。おはようございます。」

「…………おはようございます。」


立会人と呼びかけたが、はっとした顔をして自分の名前を呼び直した名前に、小さく挨拶を返してドアへ手を置き少し距離を取る。ドアと自分の腕で彼女を囲った形になるが、密着するよりはましだろうと1人納得した。


「いつも電車ですか?」

「いいえ、いつもは車です。今日は……」

「満員電車嫌すね、腕……辛くないですか?もう少しこっちへ寄っても大丈夫ですよ。」


彼女なりの気遣いか、あまり話したことのない弥鱈に当たり障りのない会話を続ける。電車通勤の理由を言おうとして、昨日のヘマを思い出し顔をしかめた瞬間、弥鱈の言葉に被せるように話題を変えた彼女に好印象を持ったことはまだ無自覚だった。


それから特に話すこともなく、お互いぼうっと外を眺めていたが、本部の最寄り駅の1つ前の駅で停車した際に乗り込んできた人の数が多すぎた。


名前との距離を保つためにドアへ突き出した腕へ掛かる負荷に、思わず脚に体重をかけてしまい、小さく声を漏らす。


「〜っ!」

「……弥鱈さん?大丈夫ですか?」

「何でもありません。」

「でも、辛そうですし……えいっ!」


彼女が押し潰されないように隙間を作っていた事が弥鱈の負担になったわけでもない。それなのに自分の横で突っ張るように伸ばされていた腕を見た名前は、その肘を折るように軽く手刀を当てた。


立会人でない彼女の手刀が攻撃的でないことはどこの誰が見ても明らかだが、今の弥鱈にとっては、伸ばした腕を維持することが困難になる一撃に違いなかった。あっという間に密着した名前と弥鱈。


「これで弥鱈さんも少しは楽でしょう?庇ってもらっちゃって……すみませんでした。」


ね?と自分を見上げる名前に、そうじゃないと呟くも、返ってくるのはにこにことした笑顔だけ。



身体に密着する柔らかさと体温が、弥鱈の体温を上げるのを気付かぬふりをして、華奢な腰へそっと手を添えた。





.

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ