titles

□一歩を踏み出す勇気
1ページ/1ページ



ツイてない。本当にツイてない。


そんな言葉をブツブツ呟く程には、参っていた。目の前で転んだお婆さんを助けて、良いことをしたと満足したら自分の荷物が全部無くなっていた。家の鍵も携帯電話も、カードや現金の入った財布も全て手元から消えた。


こんな時頼れる人なんて……思い浮かぶ人物は1人しかいない。密かに想いを寄せる彼も一緒にいるだろうかと微かな期待と、こんな格好悪い所見られるくらいならいないほうが良いという相反した気持ちのまま目的のホテルを目指した。


ホテルに着いて、フロントへ客が来たことを知らせるよう頼んでから最上階へ向かう。ベルを鳴らすと、聞き慣れた梶くんの声が近付いてきてドアを開けてくれた。


「名前さん!お久しぶりですね!すぐ貘さん呼んできます!」


子犬みたいな笑顔で出迎えてくれた梶くんに笑顔を返して、無駄に豪華な室内に素早く視線を走らせる。残念……と言うべきか、安堵するべきか例の彼の姿は見当たらなかった。


「どうしたのさ、名前ちゃん。珍しいね、俺が呼んでもなかなか来てくんないのに。」


「貘、鞄取られちゃったの。家にも帰れないし、カードもお金も全部やられた!」


少しだけ目を見開いてからニヤニヤと笑った目の前の男は瞳をキラキラさせてピッと人差し指を立てた。


「それで、助けて欲しいってことね。ま、いいよ!ギャンブル仲間の名前ちゃんに貸し作っとくのも悪くないしね。」


「……助かる。」


「そもそも、どうして鞄取られちゃったの?」


「まあ、いろいろあって。」


愉しそうに質問してくる貘に返事をするのもめんどくさくて適当に言葉を濁す。


「とりあえず、家に帰れたら何とかなるから幾らかお金貸して。すぐに返しにくるし。」


私としてはこれが1番手っ取り早くていい手段だと思ってソファーで脚を組む彼に掌を差し出した。すぐにお金を貸してくれるものだとばかり思っていたが、何やら思案顔の彼が私を見つめて言ってくる。


「ただの物取りなら、運が悪かったんだよって言えるけどさ。もしかしたら、敗けたやつの復讐だと住所とか本名知られちゃってやばくない?」


「……そこまで考えてなかった。」


「でしょ?取り敢えず、カードとかは止めるとして……そのまま家に帰るのは危ないよ。」


「どうしよう。」


やけに勿体ぶって脚を組みかえた貘は、見る人が違えば赤面するのではと思うくらい綺麗に笑って、後ろを振り返った。


「聞いてたぁ?伽羅さん。当分、名前ちゃんのボディガードやったげてくんない?」


名前を聞くだけで心臓が高鳴る。どきりと身構えたのを気付かれてなければいいけど。


「概ねの話は聞いていた。まあ、数日様子を見れば大丈夫だろう。」


「……頼んじゃってもいいんですか?」


もうさっきまで貘と話していた私はいない。今、声を発しているのはただの恋する乙女だ……自分で言ってて恥ずかしいが、きっと頬も染まっているし身体だってモジモジと落ち着きがないのも自覚している。


見上げた先で、勝ち気に笑った伽羅さんは「仕方ないだろう、嘘喰いの数少ない仲間らしいしな。」と私の隣へやって来た。


「ありがとうございます。」


伽羅さんと貘。二人に聞こえるようにお礼を言って、ボディガードと言ってもこれからどうするのか聞こうとすると、貘に手招きされて彼の元へと近付いた。


「名前ちゃん、これも貸しね。まあ伽羅さんも満更でも無さそうだし、頑張って!」


小さな声で囁かれた言葉に、今度こそ顔を真っ赤にして目を見開く。何の言葉も返さない私に、クスクス笑った貘は「気が付かないとでも思ってた?バレバレだよ。」そう言って私の背中を押した。


そんな私達を腕を組んで見据えていた伽羅さんが「行くぞ。」と歩き出したので、慌ててついていく。


「あの!どこへ……」


「あんたの家だろう。」


そうですね。と声には出さずに呟いて、え?家って。ボディガードって一緒に過ごすものだよね?家で二人きり?パニックになる私をひょいと担いだ伽羅さんは地下の駐車場まで来たところで私を下ろし、彼のバイクの前でヘルメットを投げて寄越した。それを慌てて受け取り不安の色を隠さず彼を見上げる。


「嘘喰いから家の場所は聞いてるからしっかり掴まってろ。落ちるなよ。」


そっと頭を撫でられると後ろへ座らされて、彼の腰へ腕を回すように手を引かれた。それと同時に風を斬る音が聞こえて、後ろへ引かれる身体を目の前の背中にしがみついて何とか支える。


心臓の音が伝わってないか心配になるくらいドキドキしっぱなしで、密着する身体を少しでも離そうとすると手を掴まれて、更に密着してしまう。


心臓がもたないときつく目を閉じていたせいで身体への神経が研ぎ澄まされたのか、ふと気が付く。


手、握られたままだ。


『……伽羅さんも満更でも無さそうだし、頑張って!』先程貘から掛けられた言葉を思い出して1人赤面してしまい慌てて首を振る。


都合が良すぎるだろう。否定する気持ちと、今日から何かが変わるかもしれない。そう期待する気持ちが頭の中の天秤で揺れている。


暫く経って……と言っても時間にすると数秒程なのだけれど。意を決した私は、彼の逞しい身体に回した腕に少しだけ力を籠めた。



.

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ