高層ビルが立ち並ぶ大都心部。“これから仕事”なのだから仕事のことでも考えながら会社に向かいたい。自身の関心は依然として-Born again-にしかなかった。私の前を歩く会社員も横にいる学生も後ろにいるホームレスだって、誰もが大局的(物語)の途中にいる“私”という時を過ごしている。何故?生まれ落ちたのか・・・。本来ならば中学生の時に抱き続けていた疑問は“私”という短すぎる時間の中でほんの一瞬だけ「何か」に夢中になれたことで、それが発作を抑える薬として役割を果たし思考にストップを掛けてくれていた。せっかく手に入れた薬(夢)を手放したのは最終的に自分の意志。でも、もしあそこで薬(夢)を手放していなかったら、自分は今でも「仮面」を被ったままリングの上で闘い続けていたのかもしれない。

『Born again』。必死に襷を繋いできたランナー達。数え切れない物語の延長線上にいる自分の存在を想うと涙が自然に溢れてきた。それでも、今現在“私”という人生の持ち主である“私”は会社へ向かう足取りがひどいくらいに重くて仕方ない。自らが根本的に被り続けたままの『仮面』について真剣に向き合わなければならない時が着々と近づいて来る予兆を感じていた。


時は、2010年某月某日。自身に再来した『Born again』の思考(想像)は関心の大半を占める。精神がひどく研ぎ澄まされていた。長い沈黙と静寂の中で、ある日突然聴こえた何者か?の声は“私”の人生のメインテーマを揺るぎない確信へと変えてくれたのは間違いない。 お前は、ひとりぼっちになればこそ、その運が思うように花開く=E・・・確かに運が悪いよりは、運が良いに越したことはない。だが、さほど運が良いだの悪いだのという観念に価値を置いていなかった。ろくでなしの人生が始まって終わるまでの間、ただそれだけだと思っているからだ。突然そのように教えてくれた何者か?の声は、ありきたりな考察によるところの「自身の内なる声」「自問自答」「自己洗脳」「自己暗示」といった類とは異なる。たった一度だけ聴いた貴重な声を、自分以外の他者が説明できるはずがない。『Born again』に執着する日々の果てに生じた、いつかの時を生きたランナーであったはずの先人様が託す「私らしく生きる為」のヒントであったのではないか?と思っている。瞬き一瞬の出来事。それ以上自分に何かを言うことはなかった。でも、私はすぐに気付いた。その言葉が仮面を外すか否か?≠ノついて問われていることに。


幼少期から「今が早く終わって欲しい」と思いながら生きてきたのは、今更ながら勿体ない。「なぜそう思うのか?」に対しての疑問は、中学を卒業した15歳の時点で何の疑いもなく既に解決済みだった。
人生を、楽曲に例えてみると若干面白いかもしれないね。第一楽章メインテーマメロディで充分「孤立」に目覚めている自分がいるのだから。「一人が好きなんだよね?」「人混みだと疲れちゃうんだよね?」「お前ノリが悪いな」「困ったことがあったら相談して!話せばきっと楽になるよ」「そうやって一人でなんでも抱え込むの格好悪い」etc...これらの自身周辺で聞こえてくるありきたり過ぎる云わばアドバイスを苦笑いしながら「そうだよね」と適当に相槌をして仮面を被りながらスルーしてきた第一楽章。どんなに利用され振り回され騙されようが友達?ならば一緒にいた。誰かと一緒に居て“楽しい”“嬉しい”と思ったことはたったの一度もないけど、とりあえず一緒にいた。


時は、2015年。例えるなら自身の人生は待望の第二楽章にようやく突入。「孤立」の先にある「孤独」が静かにゆっくり力強く深まるメロディー。同時に、第三楽章フィナーレを精一杯踊りきる為のエネルギーを溜め込むジャンプ前のしゃがみ時。先人様がくれたヒントを真の意味で理解できた気がする。『孤独と自由は表裏一体』。所詮、私のような人生でも仮面を外して生きれば%ケが開いていくはず。きっとそう言いたかったのではないかと。




「ちょっと苦手なんだ」とか「色々と迷惑かけたくないし」とか、やんわりとオブラートに包んだ言い方をして今迄、ずーーーーーーーっとやり過ごしてきたけど、もうここまで来たからさすがに迷いも吹っ切れて踏ん切りがついた。リングの上でマスクマンを辞める為に仮面を外す決心をしたよ。仮面を外した自分の顔は、みんなからどう見られてるかな?意外にハンサムだったり!?もとい、マイクを手に持って本当の気持ちを一言スピーチするね。

「申し訳ないけどみんな!、自分はね、人が嫌いなんです!!!!」 そうなのさ。“好き”に特別な理由がないのなら、“嫌い”に特別な理由もないのかもしれない。「もうここまで来たからマスクマンはさすがに引退する!」


第二楽章真っ只中、書くことで自分はようやく公明正大にできたんだ。確かに、人間社会においては圧倒的に不利。人が好きな人と嫌いな人では人間社会の場で天と地ほどの差が出るだろう。でもね、人が好きな人も嫌いな人も人生を楽しむ権利は平等にあるんだよ。「好きになる努力をしろ!」とか「自分から心を開け!」っていうようなまるで野次馬根性丸出しのありきたり過ぎる意見は不要だぜ。聞き飽きた。致し方のないことなんだ。
嫌いだからこそ、余計に踏み込まないし近づかないだけ。誰かと一緒に居たって「寂しい」なんて思われることも多々あったみたいだけど、お陰様で今では独りぼっちになれました。友達も恋人も一切不要です。

結局人だから欲望だけは立派だよ。食欲が湧けば飲食店に行って沢山の人の中で食事に夢中になってる自分がいるし、性欲が湧けば風俗店に行って人相手に欲求不満を解消している自分もいる。矛盾はあるでしょ?誰だって。

「自分に色々と言ってくれたみんな今迄どうもありがとう!でも、本当にごめんなさい。」 とにかく書きたかった。これで興味本位紛いに近づいてくる輩もいなくなるでしょう。ろくでなしの人生が始まってから自然な形で終わる(卒業)まで少しでも静かに穏やかに過ごしたいので自分から誰かに近づくことは100%無いと断言します。『仮面』を外せて嬉しい。自分は人が嫌い≠公明正大にして生きていく“時”をついにスタートできました。

2016/07(type)By.HIKARU

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