妄想部屋
□enjoy♡summer
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窓から覗く空は、憂鬱な薄紫色を湛え、夜の帳が落ちるのを待っている。
冴子は、ここ暫く繁忙を極めた業務がひとまず収束を迎えた事に、ホッと息を吐く。
今日は、久しぶりに美味しいビールが飲めそうだ。
シン…と静まったフロア。
就業時間を過ぎた社内に残っているのは、恐らく冴子と、その雇い主である速水真澄だけであろう。
冴子がパソコンの電源を落とすと、外の夕闇より陰鬱な空気を纏った上司が、社長室からふらりと姿を現した。
「あら、社長、お疲れ様です。お帰りですか?」
真澄は、冴子の言葉を無視するように、秘書課の奥手に備え付けられているミニキッチンへと向かう。
(何時もなら、此方の都合も御構い無しで、やれコーヒーだ、煙草がきれただと扱き使う癖に、今日はいやに陰気な『頂戴』アピールをしてきたもんね!)
退社前のキッチンは、コーヒーメーカーは洗浄され、カップ類も既に綺麗に仕舞われている。
そして今から、待ち合わせをしている人物と飲みに行く予定もある。
内心、舌打ちしたいのを堪えつつ、冴子は真澄に声を掛けた。
「コーヒーなら私が…真澄様?」
ミニキッチンにぼんやりと立ち尽くす真澄が、初めて口を開いた。
「…電子レンジ…」
「…は?」
確かに真澄の目線の直ぐ先には、電子レンジがある。
「俺…念じるだけで、チン出来るから…」
(おいおいおいおい…)
「さぁさ、邪眼が開らく前に、帰りましょ…ね?」
冴子は、面倒臭い気持ちを抑えつつ、出来るだけ優しく語り掛けた。
「…水城君…君は今、心の中で俺の事馬鹿にしただろう」
陰険な視線を投げかけてくる真澄の目は、半分座っている。
(分かってるなら、聞くなよ)
「最近、業務が立て込んでおりましたから、お疲れなのでしょう?
ひとまず仕事も落ち着いた事ですし、今日は早く帰って休まれては如何ですか?」
「…その前にブルマン頂戴」
(やっぱり頂戴アピールかよ)
「…お持ち致しますから、サッサと部屋にお戻り下さい!」
「熱々ね」
(…舌焼いて死ね)
*****
「水城君、クイズだ」
熱いブルーマウンテンの香りを、優雅に嗜む上司は唐突だ。
「私は、今日はもう失礼させて頂きますね」
「さて、俺は何時から休暇を取ってないでしょうか!」
「だから、失礼させて…」
「不正解!8月に入ってから1日も休んでません!」
全く人の話を聞く様子のない真澄に、冴子の中にドス黒い感情が沸き上がる。
だが、曲がりなりにも、目の前にいる男は上司だ。
殴る訳にもいかない。
此れも、どうせ面倒臭い『お休み頂戴』アピールだろう。
「…明日以降なら、多少スケジュールに余裕がありますから、何日か休暇を取ることが出来ますわよ。
で…、もう、帰ってよろしいですか?
私、待ち合わせがありますもので」
「誰とだ」
「……」
「水城君。君は今月、有給を4日も取ったよな」
「ええ。死ぬ程有給が余っておりますから」
取り敢えずは嫌味で返したものの、冴子は徐々に脂汗が滲むのを感じている。
真澄がネチネチとした物言いをするのは今に始まった事ではないが…。
(ばれてる…?)
「これ、なーんだ」
真澄は、何処からとも無く取り出した麦藁帽子を被る。
「…か、カールおじさん」
「…ルフィだ」
「ええっ!」
「…君の『ロビン』のコスプレよりかマシだろうが」
「く…!何故それを…」
冴子はついに、このネチッこい攻防戦の敗北を受け入れた。
どうやって知ったのかは知らないが、恐らく冴子のバカンスに同行した相手を知っているからこそ、こうも陰湿に責めてくるのであろう。
「お土産もお渡しせず、申し訳ありませんでした。
既にご存知の様ですが…。頂いた休暇で、マヤちゃんとユニバーサルスタジオに行ってまいりました」
「うむ。マヤの『たしぎ』のコスプレは可愛かった…。
そうそう、イチゴ模様の水着もな。
だが、水城君の水着は張り切り過ぎだ。君も年を考えたまえよ」
(コロス…)
「まぁ!海に行った事まで、ご存知とは…。流石はマヤちゃんのストーカーですわね」
「ストーカーだと⁉人聞き悪い事言うな!
常にマヤの安全を守る為、俺の部下に尾行させているだけだ!
俺はその写真をアルバムにするか、パウチッコにして、コレクションしているに過ぎん!」
真夏のユニバーサルスタジオで、ミニオンズの扮装をした聖が、2人の後列でフライングダイナソーに乗り悲鳴をあげていた事を、冴子もマヤも知らない。
「其の写真のコレクションは、疚しい目的の為ではありませんわよね?マヤちゃんが知らないところで、あんまり無体な真似をなさっては可哀想ですわ…」
「馬鹿め!誰をオナペットにしようが俺の自由だ。君はこの国の憲法を知らないのか?」
(コイツ…憲法の解釈までイカレポンチだな)
「はいはい、私が悪うございました。
次にマヤちゃんと遊ぶ時には、ちゃんと真澄様にも声を掛けさせて貰いますから…。
あの…。そろそろ御勘弁頂けますか?
待ち合わせに遅れてしまいますわ」
「待ち合わせなら、此処に変更すればいい」
今夜もマヤを尾け回している聖からの報告で、真澄は、冴子の待ち合わせの相手が、自分のオナペットである事を確信している。
「分かりました…。今、連絡致します」
冴子は、心の中で手を合わせながら、マヤに電話を掛けた。