妄想部屋
□囲繞するロゴスの否定を圧倒するはアガペー豈図らんやアウフヘーベンの徴憑
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ーこの物語を、私の大いなるアガペーを否定するK島女史に捧ぐー
カタカタカタカタカタカタ…タンッ!
(はい、今日の仕事は終了!)
「流石水城さん!さっきのデータもう纏め終わったんですかぁっ!」
隣りのデスクで、既に帰り支度を終えた秘書課の後輩が、目を丸くしてる。
「まぁね。後は、コレを社長に渡して、目を通して貰うだけだから、貴女帰っていいわよ」
終業間際の電話の音で、一瞬眉根を寄せた後輩に、取り敢えずは良い先輩を気取ってみる。
現金な後輩が、ペコリと頭を下げて帰って行く姿を、苦笑しながら見送りつつ電話を取った。
「はい、秘書課…ああ、黒沼先生。社長にお取り次ぎしま…え⁉なんですって⁉」
コンコン
社長室を開けると、真澄が、相変わらずの仏頂面で書類を睨んでいる。
(電話の内容を伝えたら、きっと青くなって慌てふためくわね…。鬼社長もマヤちゃんの事になると、てんで形無しだもの)
「社長…今、黒沼先生からお電話がありまして、マヤちゃんが、稽古の帰りに、桜小路君と一緒に階段から落ちて…」
「なんだって‼」
真澄が机の上の書類をばら撒きながら、勢いよく立ち上がった。
「…真澄様、話は最後までお聞き下さい。一応、黒沼先生が救急車を呼んだらしいんですが…検査の結果異常はないそうです」
「ああ…良かった…」
恐らく、真澄の心配はもっぱらマヤに向けられ、桜小路への心配は露ほども無いのだろう。
真澄は脱力したように、ストンと椅子に座り直した。
「病院はどこだ?今から向かうぞ!」
矢庭に立ち上がると、当然のように、終業時間を過ぎた水城を従え病院に向かう真澄に、残した仕事をさせる事を諦めた。
病院につくと、先ずは怪我をした二人が休んでいる処置室へ向かう。
二人のベッドの間にあるパイプ椅子に腰掛けた黒沼が、何やら看護師と話している。
「黒沼先生、うちのマヤと桜小路が大変お世話になりました」
真澄は、今まで桜小路の事など、完全に忘れていたくせに、芸能事務所の社長らしく礼を述べる。
看護師は、病室に入って来た二人に一礼すると、病室を後にした。
「眠っているのかしら…?」
水城は、病室の隅に畳んで置いてあるパイプ椅子の一つを真澄に勧めると、黒沼に声を掛けた。
「う〜ん。あの時、俺も側に居たんだが…二人で派手に階段から転げ落ちたもんだから、心配して駆けつけるとな、何やら二人で喚いた後、バタンキューよ。呼んでも返事しないもんだから、慌てて救急車を呼んだって訳だ」
「それから、ずっと眠ってるんですか⁉意識不明とかじゃ…その、本当に何ともないんですか⁉」
慌てた真澄が口を挟んだ。
「いや…起きたら、帰っていいらしいぞ。今出てった看護師にも聞いたが、念の為、明日いっぱい位は自宅で安静にして、変わりなければ通院もいらんらしい。何でかしらんが、二人とも単にぐっすり寝てるらしいわ」
黒沼のノンビリした口調に、真澄はホッと胸を撫で下ろした。
「そうですか。いや、安心しました。二人が目を覚ましたら、こちらで自宅へ送りますので…今日は本当にありがとうございました」
「そうか。じゃ、帰らせてもらうわ。あ、二人には、明日の稽古は休んでいいと伝えてやってくれ」
黒沼は、真澄に軽く手を振ると帰って行った。
「う〜ん…」
黒沼が部屋を出て行き暫くすると、マヤが大きく伸びをし、ゆっくりと目を開けた。
「大丈夫か?」
マヤが半身を起こすのを手伝い、そのまま抱き締めるような体制で、キョトンとするマヤの顔を覗き込む。
「は、は、速水社長…っあの、近いんですけど…」
赤面して恥ずかしがるマヤの愛らしさに、クスリと思わず微笑みながら、揶揄うようにますます顔を近づける。
「速水社長だなんて、他人行儀なだなぁ…マヤは。俺は心配したんだぞ?」
コツンと額に額を押し付けて囁く真澄に水城の頬がピクつく。
(ベタベタ、ベタベタと!桜小路君が目を覚ましたら煩そうね!ああ、見せつけたいのかしら…まったく、大人気のない!…ケッ)
真澄が無事婚約解消し、マヤと真澄が付き合い始めた事を心から喜んだ水城だが、事情を知っている水城の前では、遠慮する気もないらしく、見たくもない腑抜けた姿を散々見せつけられている。
しかも、最近では、鷹通との仕事上での憂いも解消され、正に頭の中がパラダイス。
仕事中は渋面でも、マヤが会社に訪れようものなら、既に隠す様子も無く、鼻の下を伸ばしている。
会社の人間や、マヤや真澄に関わりのある人間も、とっくに気付いてはいるが、何だか怖くて見て見ぬ振りをしている。
唯一、気付いていないであろう桜小路だけが、マヤちゃん、マヤちゃんと未だまとわりついているが、その超ド級の鈍さで、真澄が時折放つ冷気にも気付かない。
水城は心の中で、真澄に毒づきながら、放置されている桜小路に優しく声を掛けた。
「桜小路君?そろそろ起きれるかしら?」
う…ん。と眠そうに目をこすりながら、桜小路も目を覚ました。
「あ…水城さん。ここ、病院ですよね?」
桜小路は、キョロキョロと辺りを見回すと、マヤを抱き締めている真澄の背中を、目を見開き凝視した。
「速水さんは…誰に抱きついてるの…⁉」
肩をワナワナ震わせる桜小路に水城が同情していると、起き上がった桜小路が、止める間も無く真澄の肩を掴んだ。
大人気なく、勝ち誇ったような笑顔を作り、真澄が振り向くと
「君も、目が覚めたのか?気分はどうかな?」
怒りを露わにしていた桜小路が、この後無茶な行動を起こさないよう、大人気ない挑発をする真澄に心の中で舌打ちしながら、彼らの元に近づいた。
しかし、予想を覆し、怒りの表情からキョトンとした表情となり、真澄とマヤを見つめる桜小路。
やおらマヤの顔を覗き込むと
「やっぱり…やだ!どうしよう…」
両頬に手をやり、本当に困ったように眉間を寄せる。
気持ちの悪い仕草に、水城と真澄が顔を顰めていると、マヤも驚きの表情を浮かべながら、意味の分からない事を言う。
「階段から落ちた時見た光景は、夢じゃ無かったんだ…やっぱり、入れ違ってる…なんか、何処かで見たシチュエーションだけど…」
マヤの手を取り、不安気な顔をする桜小路。
「ここ、病院だし、先生に診てもらう?」
一瞬ポカンとした真澄が、慌てて桜小路の手を掴み、マヤから離した。
「痛いってば!速水さん!乱暴しないでよっ!あたしだって!マヤだってばっ!」
「どこをどうみたら、天パでゲジ眉のストーカー男がマヤだって言うんだっ」
その台詞を聞き、桜小路よりも、マヤの方が憮然たる表情をしている。
「証拠をみせましょうか⁉」
桜小路はおもむろに真澄のネクタイを引っ張り、耳元で囁くように
「ゴキブリ…ゲジゲジ……この変態…」
と耳打ちした。真澄の顔に恍惚の表情が浮かぶ。
「あ…あああ…」
身体を震わせたかと思うと、ガックリと崩れ落ちた真澄に、冷たい6つの視線が突き刺さる。
「この、絶妙な罵り加減はマヤだ…同じ言葉を他の人間が吐いたとしても、俺の腰は砕けん…っ!桜小路の中に入っているのは俺の魂の片割れだ…!」
彼なりの理屈で確信したようである。
「…魂の片割れって凄いっ!僕の一真に足りないものが分かりました‼」
俳優魂を変なベクトルで見せるマヤ(桜小路)を無視して、水城は桜小路(マヤ)に話しかけた。
「…マヤちゃん?」
桜小路(マヤ)はコクリと頷いた。