everlasting

□everlasting 10
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「マヤ!大丈夫なのか?重大な病気ってどういう事だ?」

バタバタという音と共に、寝室へ駆け込んだ速水さんは、不安げな面持ちでベッドサイドに跪いた。

「顔色が悪いな…病院へは?医者は何て言っているんだ?」

あたしを見つめる視線が慌ただしく表情や顔色を探り、速水さんの手が、体温を確かめるかの様に額や頬を撫でる。

「サイダーとアイスは買ってきてくれました?」

「え?いや、メモには書いてあったが…」

「忘れたんですか?」

「…すまない」

水城さんに散々脅され、きっと大慌てで此処に来たのだろう。
心配をかけて申し訳ない気持ちもあるが、彼の態度に愛情を感じとり、久しぶりに会えた喜びと綯い交ぜになって、頬と胸が熱くなる。

「まぁ…いいです。心配かけてごめんなさい。別に病気って訳じゃないの。ただ、安静にしないと、入院だなんて少し脅されただけです。」

「入院って…大変じゃないか!」

きっと此処からが正念場。
速水さんの事だから、喜ぶどころか、悔悟の念に苦しむだろう。
そうなるであろう事は分かっていたし、覚悟もある筈なのに、あたしの心は霧の様に物憂い。

「あの…ちょっとだけ二人にしてもらっていいですか?」

水城さんと涼ちゃんが顏を見合わせる。

「オレ、アイス買いに行ってくるよ」

「あ、椎名君、私も行くわ」

気を利かせ部屋を出ていく二人を見送ると、寝室にはあたしと速水さんの二人きりになった。
違う。二人じゃなくて、三人だ。
小さな三人目の励ましで、速水さんと向き合う活力が生まれる。

「…で?病名は何なんだ?」

「だから、病気じゃありません。実は、紅天女の舞台の間も体調が悪かったから、落ち着いたら病院に行こうとは思ってたの。千秋楽の舞台が終わってすぐ、お腹が痛くて、病院に行ったんです。
ちょっと思い当たる事もあったから…」

「思い当たる…?で、医者は何といっている?」

「あの…8週だそうです」

「ハッシュウ…聞いた事がない病名だな」

真面目な顔で考え込む速水さんを見て、今までの不安と緊張感が何処かへ行ってしまった。
力が抜けると同時に込み上げてくる笑い。

「やだ!速水さん惚けてるの?8週っていったら、妊娠8週目って事じゃないですか」

クスクス笑うあたしを余所に、速水さんは呆然とした顏で固まってしまった。

「…妊娠…。そんな……」

速水さんの顔は蒼ざめ、見開いたその目は衝撃を物語っている。

予想はしてた。
何時だって、速水さんは自身を攻め苛み、そして、原因を作ったあたしは、その事実に打ちのめされる。

だけど…。
そっと、お腹に手を当てた。

あたしは、速水さんに向き合う事で、そんな空い杞憂のループから抜け出したい。

「速水さんが望んで授かった命じゃない事は承知しています。速水さんは世間的には婚約者がいる立場ですし、困ってしまいますよね」

「そうじゃない!俺はまた…取り返しのつかない罪を犯し、消えない傷を君に残すんだ」

苦渋に満ちた速水さんの表情。
そんな顏を見たかったわけじゃない。

「勘違いしないで下さい。あたしは嬉しいんです。速水さんがあたしに家族を与えてくれたんです。それに、女性にとって好きな人との子供を授かれるなんて、とても幸せな事なんですよ?」

速水さんは不思議そうな顏であたしを見た。

「君は…恨んでないのか?無理矢理に君を奪い、汚した挙句、その重荷を君にこんな形で与えてしまったんだぞ?」

そんな風に思うんじゃないかって思ってた…。

「そんな言い方は止めて!あたし達の赤ちゃんを罪の証しみたいに言わないで?
ちゃんと速水さんの気持ちも、立場も分かっているつもりです。
何時までだって、赤ちゃんと速水さんの事待ってます。
だから、お願いだから、産むなとだけは言わないで欲しいの」

速水さんは驚いた表情であたしを見つめ、長い指があたしの髪を梳く。
その手は微かに震えている。

「君こそ誤解している」

髪を梳いていた手に、肩を引き寄せられたかと思うと、あたしの身体は速水さんの温かい体温に包まれた。

「嬉しいんだ。マヤ。君との間に子供が授かった。そして君は産んでくれると言う。こんな幸せな事はない。これ以上の歓びはない!」

「顏…見せて下さい…」

見上げると、そこにあるのは晴ればれとした快善たる微笑み。

ーー本当は、不安だったんです。二人の大切な絆を貴方に厭われることが。
あたしの中で育まれる貴方への愛の証が、貴方にとって喜びでなく憂苦へとなってしまうことが…。

そして、その思いは、言葉となって溢れる事はなく、熱い涙となって嗚咽と共に零れ落ちた。

「ど、どうしたんだ!腹が痛いのか⁉医者を呼ぼうか⁉」

「聞きたかったんです…赤ちゃんが出来て…謝って欲しいんじゃなくて…嬉しいって!」

「……っ!」

あたしを抱き締める腕に、強い力が篭る。

「守りたいと思った。それが俺の役目だと。なのに、マヤをいつまでたってもこの手に抱くとこが出来ない。不甲斐ない自分に…自信がなかったんだ…」

あたしは、思わず速水さんの身体を闇雲に叩いた。

「情けなくったって、頼りなくたって、あたし、速水さんの事、嫌いなんていった事なかったじゃないですか!それは、11も年下で、チビちゃんで、無力かも知れないけど、一人だけで苦しまないでよ!あたしを置いてかないでよ‼」

今まで堪えていた感情が、堰を切ったように溢れ出し、ついにあたしは大声で泣き出してしまった。

「マヤ…泣き止んでくれ!すまない。俺が悪かったから!それ以上泣くと身体に差し障ってしまう」

あたしの泣き声が、ドアの外まで聞こえたのか、リビングで二人の成り行きを案じていたのであろう、水城さんと涼ちゃんがノックもなく、寝室に飛び込んできた。

「どうしてマヤちゃんが、こんなに泣いているんですか⁉真澄様!何をマヤちゃんに仰ったの⁉」

「マヤ?どうした?何か速水社長に言われた?」

涼ちゃんはあたしの側で優しく声をかけ、水城さんに至っては、あたしから引き離そうと速水さんの腕を取っている。

「違う!誤解だ!」

オロオロとする速水さんの誤解を解かなければと、言葉を発しようとするけれど、呼吸が整わず、上手く喋ることが出来ない。

「ち…ちが……あた…し…」

かぶりを振るあたしに、水城さんの勢いも止まる。

速水さんが水城さんの手を払い除け、ゆっくりとあたしの背を摩り、優しく囁いた。

「シー……。わかったから…。マヤ、ゆっくり息をして…そう。落ち着いてから話せばいい」

徐々に呼吸が落ち着き、溜息ともつかない深呼吸をすると、速水さんがあたしの涙を優しく指で拭った。
心の澱を全て吐き出してしまい、今あたしの心は凪いでいる。

「心配させて、ごめんなさい…。あたしったら、あんな大声で泣いちゃって、恥ずかしいわ」

照れ笑いを浮かべるあたしに、皆一様にホッとした顔になる。

「安心しちゃったんです。みんな、ちゃんとおめでとうって言ってくれて。我儘な望みだって内心は思ってたのに、祝福されて赤ちゃんが産めるんだって思ったら、急に泣けてきちゃって」

「不安だったのね。私ったら…直ぐにおめでとうって言ってあげられなくてごめんなさいね」

申し訳なさ気に謝る水城さんに、あたしは慌ててしまった。

「ち、違いますって!水城さんには本当に感謝してるんですから!ただ、正直言うと、速水さんには負担になっちゃうんじゃないかって…それだけは不安でした」

「あら、そんなの、私がついてるから心配ないわよ。出産も子育ても安心して任せなさい」

速水さんをチラリと見遣り、水城さんは鼻を鳴らした。

「そうだよ、心配するなよ。オレ、アメリカでは、ベビーシッターのバイトも結構やったんだぜ?任せとけ」

涼ちゃんが柔かに励ます中、あたしの隣で速水さんが、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「なんで、俺の子を君らが育てないといけないんだ。大体マヤに子供が出来て一番喜んでいるのは俺なんだから」

水城さんは、あたしの耳元で、小さく「良かったわね…」と囁くと、すぐに速水さんに向き直った。

「あら、マヤちゃんが、真澄様の負担になるだなんて不安になった原因は何処にあるんでしょうね」

ぐうの音も出ない様子の速水さんに、あたしは余計な事を言ってしまったと、少々申し訳なく思う。

「さあ、真澄様?これからどうなさるおつもりです?婚約解消もまだの内に、マヤちゃんの妊娠が表に出れば、会社だけでなく、マヤちゃんの女優生命まで脅かされますわよ?」

容赦無く、速水さんに口撃を見舞う水城さんに、あたしは思わず口を挟んだ。

「あ、あの、あたし、初めから、マスコミにわからないように出産するつもりでしたし、速水さんの名前を出すつもりも毛頭ありませんから…」

これに怒りを露わにしたのは、水城さんでなく速水さんだった。

「君は俺の子を、そんな哀れな境遇に置く気だったのか?馬鹿も休み休み言いたまえ!」

「なら、如何されます?真澄様」

サングラスの奥から厳しい視線を投げかけ、水城さんが斬りこむ。

「今夜、鷹宮家に出向いて、決着をつけるさ」

その顔には何時もの苦悩の表情はなく、仄かな自信も見て取れた。


「………承知致しました。
婚約解消の後の鷹通の妨害については、あらゆるシミュレーションとプランのご用意がございます。
………思うようになさいませ」

水城さんも、速水さんの態度に何か感じるものがあったのだろう。怒りの矛先を収めると、力強い言葉をかけてくれた。

「流石は手回しがいいな。……君には、感謝しているよ」

速水さんの感謝の言葉に、水城さんは少しきまりが悪そうに、再び小さく鼻を鳴らす。

長年の付き合いの中で、お互いの手の内は知り尽くしているのであろう。
水城さんが機嫌を直した事を敏感に察知すると、速水さんは今度は涼ちゃんに向き合い、神妙な顔で謝罪した。

「その…椎名君には、本当に申し訳ない事をしたと思っている。君への悪意を、最も最悪な形でマヤにぶつける事で君を傷つけた。謝って済むとは思ってないが、本当に…すまなかった」

誠実に詫びいる姿と口調には、後悔と反省の念が滲み出ている。

「速水社長、頭を上げて下さい。
もう、いいんです。一瞬、なんて酷い事をするんだと思った事は否定しません。
だけど、マヤは貴女から受けた傷でさえ、愛おしむ記しに変えてしまう。
なら、マヤの笑顔を見たいだけのオレが傷つく事などない。
もう、マヤは寂しくなんかない。そう思っていいんですよね?速水社長」

速水さんは力強く頷いた。

「ああ、幸せにするよ。約束する」

涼ちゃんは、満足気に微笑んだ。

速水さんも、彼のその様子にホッとした表情を見せると、あたしと向き合い、昔から彼がよく見せる、少し皮肉っぽい悪戯な笑みを浮かべた。
昔のあたしは、この意地悪な笑顔の下に不器用な彼が押し込めた、あたしへの愛情が隠されているなんて思いもしなかった。

「で?今日マヤは、俺に判決を下すんじゃなかったのか?一応、相応の覚悟を持ってきたんだがな」

ああ、そうだった。速水さんには、あたしが下した判決を甘んじて受けて貰わないといけない。

「そうですよ。速水さんは終身刑!死ぬまで側にいてもらいますからね」

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