everlasting

□everlasting 9
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「アイスクリームが食べたいなぁ…」

目当ての物を見つける事が出来ず、冷凍庫のドアを閉じる。

身体に纏わりつく倦怠感に堪えながら、スマートフォンを握り締めて寝室に戻り、あたしは再びベッドの住人になった。

昼食の時間もとっくに過ぎているというのに、食欲も湧かず、こうしてずっと横たわる事しか出来ない。

一昨日、紅天女の東京公演が千秋楽を迎え、ついにあたしの電池は切れてしまった。

体調が芳しくない中、気力と体力を振り絞った渾身の舞台。
大勢の観客の賛辞と拍手。
演劇関係者や、評論家も挙って褒め称えてくれた。
自分でも、満足のいく演技が出来たと思う。

おかげで今は寝込んでる。身体を動かすのも辛く、買い物にさえ行けない。

あたしは布団の中で丸まったまま、まずは水城さんに電話をかけた。

『prrrrr…マヤちゃん?どうしたの?』

「水城さん…忙しいところすいません…実はあたし具合が悪くて…」

『ええ?健康優良児の貴女が⁉病院にはちゃんと行ったの?」

水城さんの心配そうな声が伝わってくる。

「昨日行きました。取り敢えずは、家で安静にする様に言われています。
ただ、お休みを貰うとしても、スケジュールの事とかもありますから…。
あのう…申し訳ないんですけど、うちに来てもらえないでしょうか…」

『…いいわ、今から行くわ。熱はあるの?何か欲しい物はある?スケジュール調整がいるなら、マネージャーも連れて行きましょうか?』

いくらなんでも、仕事を早退してまで来てもらうのは気が引ける。

「いえ!仕事が終わってからでいいんです!他にもお願いがあるし…」

『あら、何かしら』

「速水さんを…あの、速水さんを連れてきて欲しいんです」

律儀にあたしの裁きを待ってるらしい速水さんとは、会う事は勿論、あれ以来電話さえかかっては来ない。

「速水さんには、判決を下すから、出廷せよと伝えて下さい」

『あら…そうなの?ん〜…。お見舞いの程なら、疑われる事もないかしら。わかったわ。
真澄様は今、来客中なの。メモを渡しておくから、仕事が終わったら出廷させるわね。
私は今から行くわ。貴女が体調が悪くて私に電話してくるなんて、よっぽどの事じゃない。遠慮しなくていいのよ』

今日は速水さんに、神妙にお縄を頂戴してもらわないといけない。

「速水さんへのメモに、一言添えて下さい」

『いいわよ』

「罰金として、サイダーとアイスを購入して持参の事!って」

『やぁねぇ…それくらい、私が差し入れるのに!…いいわ。罪を償うには、マヤちゃんの使いっ走り位、甘んじて受けてもらいましょうか』

水城さんは笑いながら電話を切った。
次にかけるのは…。

『prrrrr…prrrrr…おい!マヤ!久しぶりだな!元気にしてたのか?』

「涼ちゃん…連絡出来なくてゴメンね。ゆっくり謝りたいと思ってたんだけど…」

『いや…マヤが謝る事なんて何もない。それより何かあった?』

久しぶりに聞いた涼ちゃんの声が元気そうで、ホッとする。
水城さんが時折、彼の様子を伝えてくれたが、退院以後は順調に仕事もこなしていたようだ。
でも、伝聞だけでは、やはり伝わらない事もある。

「できれば、会って話したい事があるの。あたしが都合つけられればいいんだけど、今寝込んでて、家から出られないの」

『ええ⁉病気でもしたの?仕事は夜に打ち合わせがあるだけだし、今からそっち寄るよ。何かいるものある?」

「ん?今はいいや。ごめんね。忙しいのに。待ってるね」

あたしは電話を切ると、少し弾んだ気持ちで彼らの到着を待った。

最初に駆けつけたのは涼ちゃんだった。

ふらつきながらも玄関に辿り着き、ドアを開けると思ったよりも彼は元気そうで、少し胸を撫で下ろした。

「マヤ、大丈夫なの?」

「今、ちょっと元気出た!良かった。涼ちゃん元気そうで。悪いけど、寝室で横になってお話ししていい?それと、後で水城さんが来るから、出迎えお願いしていいかな」

「ふーん。水城さん来るの?何か企んでそうだなぁ。まあ、いいや。了解…」

ピンポン。

「丁度来たみたいね」

「ああ、オレ出るから、お前寝ておけよ」

ここは素直に言う事を聞いて、あたしはベットに横たわった。

トントン…。

「マヤちゃん?入るわよ?」

「どうぞ」

水城さんが涼ちゃんと一緒に部屋に入って来た。

「驚いた!椎名君がいるんですもの。あなた達気をつけなきゃ!どこでマスコミに狙われてるかわからないわよ?」

「ごめんなさい。今日は彼にも伝えたい事があって。水城さんもいる事だし、大丈夫かなって思ったんです」

水城さんは「仕方ないわね」と苦笑しながら、ベットの横に涼ちゃんと並んで腰を下ろした。
殆ど物の置いてない寝室には、腰掛ける椅子さえない。

「あ!ごめんなさい!リビングに行きましょうか?」

「いいから。貴女、病人じゃない。フルーツ買ってきたから、後で何か剥いてあげるわ。それで?病院では何て?」

「マヤ、顔色があまり良くないぞ。少し痩せたんじゃないか?変な病気じゃないだろうな?」

本当は速水さんが着いてから話をしたかったが、心配気な顔をする二人に、勿体振るのも気が引ける。
仕方なく、先に二人に報告する事にした。

「あの…。申し訳ないんですが、取りあえずは、スケジュールを暫く空白にしたいんです。
昨日、病院を受診して、安静にしてないと入院になるなんて言われたもんですから…」

つい気恥ずかしくて、肝心な事に口を濁すあたしに、二人の表情が厳しくなる。

「マヤ?入院になるかも知れないなんて、いったい何の病気だよ。仕事の心配より、まず身体だろ?」

「そうね。私も風邪くらいに思ってたわ。
貴女の行った病院は本当に大丈夫なの?
ねぇ、大きい病院に今から行きましょう?」

大事になってしまいそうな空気に、あたしは少し慌ててしまう。

「あ!違います!病気って訳じゃ…!」

それでもモジモジとするあたしに、二人はイライラした様子を見せている。

「……今、8週らしいです」

「「は⁉」」

「だから…昨日病院で…おめでたですって言われちゃって…」

二人の顔に、恐々視線を遣ると、水城さんの顔は蒼ざめ、反対に涼ちゃんの顔が赤らんでいた。

「…貴女…そうよね。そういう可能性を忘れてた私が迂闊だったわ…。こんな事になるなんて…。今直ぐに真澄様に来てもらうわ」

水城さんが、止める間もなく電話をかけだす。
その表情には緊迫感が漂っていて、あたしは、水城さんを制止する事を断念した。

涼ちゃんは心ここに在らずといった顔をしている。

「…だから!緊急よ!社長を出してちょうだい。
………ああ、真澄様?メモはご覧になりまして?いえ、そこに書いてあるより、事は重大です。は?そんなのキャンセルして下さい。ええ、スケジュールなら、私が調整して電話で伝えますから。
…もう!いいから、真澄様は今直ぐここへお越し下さい!来てから説明します!」

水城さんは怖い顔をして、荒々しく電話を切った。

「マヤ…」

そんな空気をもろともせず、涼ちゃんは、あたしの手を握ぎり、ポロポロと泣きだしてしまった。
その姿に、あたしも水城さんも、暫し呆然としてしまう。

「おめでとう。良かったね」

水城さんがハッとした表情になり、あたしは…嬉しかった。
その言葉が聞きたくて、三人にまず来てもらったのだから。

「うん!ありがとう!」

「マヤ?嬉しいだろ?なぁ、男の子かな?女の子かな?オレ女の子だと嬉しいなぁ。あ…こういうお目出度い時って赤飯とか炊くんだろうか。オレ買ってこようか?
速水社長も来るんだろ?お祝いしなきゃ」

「あたしもわかんない。やっぱりおめでたい時って鯛なのかしら。水城さん知ってます?」

さっきのピリピリしたムードがすっかりなりを潜め、水城さんは、やや呆れた口調で言った。

「あなた達…事の重大さがわかってる?」

「え…はい。大変とは思いますけど…」

水城さんは額に手をやり俯向くと、小さく溜息を吐いた。

「ちょっと…仕事の電話かけてくるわね。頭と気持ちの整理も少ししてくるわ」

水城さんが部屋を出て行くと、流石に少し浮かれ過ぎた自分を反省し、涼ちゃんも少しバツの悪い顔をして、今閉じたばかりのドアを見ている。

つい、幸せな気分を抑える事が出来なかった。
あたしは、まだ何の変化も見られないお腹にそっと手を当てた。
温かな思いが胸を満たしていく。

やがて、用が終わったのか、水城さんが部屋に帰ってきた。
先程言っていた、頭と気持ちの整理とは何だったのか、水城さんの表情は先程と違い穏やかなものだった。

「マヤちゃん…貴女は、覚悟を決めているのね?」

覚悟といったら、覚悟なのだろうか。
大変だろうなと漠然とは思う。周りにもきっと迷惑をかけてしまうのだろう。
勿論、水城さんにも。
実際、浮かれていられる立場ではない。

そういえば、紅天女の全国公演の企画は、何処まで進んでいるのだろう。違約金や賠償金は発生するんだろうか。
やっと其処まで考えが至り、あたしは自分の迂闊さを恥じた。

「あの、さっきは、ごめんなさい!
少し浮かれ過ぎてました。色々ご迷惑かけちゃう事になると思いますけど、休養期間が終わったら、死ぬ気で頑張りますので!」

「やあね、そんな…。迷惑だなんて思ってないわよ。さっきはごめんなさいね。
違うのよ。今、貴女は女優として伸び盛りの時だわ。それを、真澄様の愚行で水を差された事に、ついカッとしちゃったのよ。
頭を冷やして反省してきたわ。貴女が本気で喜んでいるなら、どんなフォローでもしてあげるわよ」

「あの…水城さん、いいんでしょうか?あたし、喜んじゃって…」

水城さんがあたしの頭を、ポンポンと優しく叩いた。

「おめでとう。でも大変よ?頑張りなさいね」

ピンポン。

あたしと涼ちゃんが、ホッと安堵の表情を見せた時、玄関のチャイムが鳴った。

「どうやら、真澄様が着いたようね」

速水さんに妊娠を伝えたら、一体どんな顔をするんだろうか。ほんの少しだけ不安が過る。

「マヤちゃん。貴女は何も心配いらないわ。私がついてるんだから」

慈愛に満ちた微笑み。

「ただ…父親の方にはキッチリお小言を言わせてもらいますからね」

聖母の微笑みは露と消え…水城さんは恐ろしい台詞を吐き捨て、速水さんを迎えるべく部屋を出ていった。

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