everlasting

□everlasting 7
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身体中が軋んで、動かない。
心も軋んで、思考を停止している。

ひとつ呼吸をついて、緩やかに身体を捩ってみる。
強張った筋肉は悲鳴をあげ、痛みに促され、先ずは気持ちが現実感を呼び戻した。

速水さんは今、何を考えているのだろうか。
きっと、酷く傷ついている気がする。
そんな思いに、自然と視線が速水さんの行方を探す。

彼もあたしを見つめていたのだろう、お互いの視線がかち合った。

そして、交わす言葉もないままに、速水さんの目があたしから逸らされた。

……本当に不器用な人だと思う。

ーー大丈夫ですか?
そんな言葉を吐こうとしたけど、かける台詞としては相応しくないような気がして躊躇をした。

空気の振動さえ、音として伝わりそうな位の静かさの中、玄関のチャイムが鳴り響いた。

水城さんなのか、涼ちゃんなのか…。
どちらにしろ、今この状態で中に入って貰いたくはない。

とにかく服を着替えたい。
徐々に強張りを解きだした身体を起こそうと、痛みを堪えて身動きを始める。
すると、ふわりと慣れ親しんだコロンの香りとともに、スーツの上着があたしの上にかけられた。

速水さんが着衣をそれなりに整えて、気だるそうに玄関に向かう。

出るつもり…だろうか?こんな状態で?

蒼ざめたあたしを、速水さんが哀しい様な、怒った様な複雑な表情で見つめる。

「マヤ、涼ちゃん のお出ましだ。」

「…出るの?お願い、出ないで?」

「彼は俺達の関係を知ってるんだろ?なら、別に不思議じゃない」

あたしは何とか身体を反転させて、速水さんの足を掴んだ。
身体中が痛い。

「こんなの…普通じゃないってわかります!それに、此処に来たのは水城さんかもしれないんです!」

速水さんが怪訝な顔をした。

「椎名にそんなに見られたくない?彼が傷つくから?
悪いのは椎名だ。折角温情を与えたのに約束を反故にした。
自分の所為だってわかれば凝りるんじゃないか?」

速水さんは涼ちゃんを傷つけたいんだ。

「約束したのはあたしであって、涼ちゃんじゃないわ。
それに…あたしは?あたしは傷ついたって思わないの?酷いよ…速水さん…」

「…ごめんな。酷い事したって自覚はあるよ。痛い思いさせてすまなかった。
後で煮るなり焼くなり好きにしろ。責任は取る」

「速水さんは…勝手だ…!」

速水さんは、泣きそうな顔であたしの額にキスをした。

何度も鳴るチャイム。速水さんはあたしの手を振り払い玄関に向かう。

動かなきゃ!無理矢理に起き上がり、とりあえず下着を拾い上げた。

血が…フローリングを汚す血液。それを見た瞬間、下腹部が思い出した様に痛み、あたしは貧血を起こしてしまった。

玄関で言い争う声を聞きながら。



「…ちゃん!マヤちゃん!大丈夫⁉」

気を失っていたのはどの位だろうか…。
気がつくと水城さんが蒼い顔であたしを見下ろしていた。

「ああ…!気がついて良かった!あんまり蒼い顔してるから…」

水城さんの声が少し震えている。

「……病院へ行こうか?私がついていくから」

あたしは慌ててかぶりを振った。
病院に行って?犯罪として扱われたらどうしよう…。そんなのは嫌だ。

「マヤちゃん。庇わなくていいのよ。真澄様がした事はれっきとした犯罪だわ。」

「違う…。違いますから…!あたし、言い方が下手で、つい速水さん怒らしちゃって…。家に上げたのもあたしなんです。」

水城さんは複雑そうな表情を浮かべ、一言「そう」と言った。
そして、あたしの頭の下にクッションを入れ、頭を撫でてくれたかと思うと、憤然と立ち上がり、速水さんの頬を打った。

速水さんは突っ立ったまま、抵抗する様子も見せない。

一回…二回…三回目であたしは思わず声をあげた。

「もう、いいですから!水城さん止めて!」

水城さんは息を切らせながら、怒りで顔を紅潮させている。
水城さんのこんなに怖い顔初めて見た。

そして…いつから其処にいたのか、リビングの扉の前に涼ちゃんが蒼ざめた顔をして立っていた。

その表情を見れば、きっとあたしに何があったのか分かってしまったに違いない。

「玄関の鍵…」

あたしの問いかけの意味が分かったのか

「あ…玄関先に真澄様が出てきて…普通じゃない様子に、何があったのかって慌ててここへ駆け込んだから…」

水城さんがすまなそうに言う。

鍵は掛けてなかったらしい。

涼ちゃんは速水さんと水城さんを無視して、フラフラとした足取りであたしに近寄ると、ペタリと座り込んだ。

「…ごめんね?」

何がごめんかはよくわからないが、兎に角、彼の顔を見て、思わずそう言葉が溢れた。

涼ちゃんの長い睫毛が小刻みに震えている。そして、そっとあたしの頬に、彼は手を添えた。

「……ごめんね?マヤ…」

何故だろう。謝る理由なんてないのに、彼も謝罪の言葉を口にした。

頬に添えられた手が氷のように冷たい。
それに気付くとともに、みるみる彼は蒼白といっていい顔色になり、あたしに背を向け、凄い勢いで嘔吐した。

何度も、何度も。

慌てて駆け寄る水城さんが、彼の背中を撫で摩る。

「マヤを寝室で休ませてくるよ」

速水さんがあたしの膝の裏と脇の下に腕を差し込んだところで、水城さんが大きな声を出した。

「触らないで!私が運びます!」

「君には無理だ」

有無を言わせず、あたしは寝室に運ばれたが、水城さんは後を追っては来なかった。

涼ちゃんがあの状態では、水城さんは彼の元から離れられないだろう。

速水さんはあたしを寝室に運ぶと、ベットに優しく横たえてくれた。

「着替えは何処だ?」

「クローゼット…」

あたしが馬鹿正直に答えると、速水さんはクローゼットから、パジャマや下着を見つけ出し、ベットの上に揃えて置いた。

「着替えられるか…?」

少し身体を動かすと、全身筋肉痛みたいな痛みはあるが、何とか着替えくらいは出来そうだ。

「何とか…」

「そうか…なら、後ろを向いているから着替えなさい」

今更…おかしな配慮だなと思いつつも、やはり着替える姿を見せるのは恥ずかしい。

「着替えました…」

「ああ、何か、冷たい飲み物でも用意しようか?」

「冷蔵庫にミネラルウオーターがあるので、お願いできますか?」

「わかった」

速水さんさんが振り返った。

「…マヤ?」

「何ですか?」

思った通り、速水さんは見ているこちらまで胸が切なくなる位に哀しい目をしていた。

「すまない。ごめんな。マヤ」

それだけ言い残し、速水さんは部屋を出ていった。

何故だろう。怖かったし、痛かったし、辛かった。
だけど憎いとは思えない。むしろ、速水さんが可哀想に思えてしまう。

暫くして部屋に入って来たのは水城さん。

「マヤちゃん?お水と、鎮痛剤。私のだけど、お薬のアレルギーはないわよね?」

凄く有難い気遣いだった。

「あの速水さんと涼ちゃんは…大丈夫ですか?」

「椎名君は、少し落ち着いたけど、ショックが大きいみたいだから…。今日はこのままこの家で休ませていいかしら?
勿論、私も泊まり込むから。明日、私が彼を病院に連れていくわ」

「あ…それはいいんですけど…。来客用のお布団一組しかなくて…。
クローゼットに入ってますから。
すいません、水城さん。迷惑掛けっぱなしで」

水城さんは、あたしの身体をそっと優しく起こし、薬を飲ませてくれた。
お水が凄く美味しい。

「マヤちゃんは人の心配ばかりね。何も気にしなくていいから、眠れそうならもう寝ちゃうといいわ」

「…速水さんは?」

「彼とは少し話をしたいと思ってる。それが終わったら引き揚げてもらうわ」

あたしは少し不安になってしまった。

「あの…あたし、そんなに大した事ありませんから。明日あたりには身体もマシになってると思います。だから…」

「わかってる。わかってるわ。私もカッとしちゃったけど、もう、冷静よ。
警察沙汰にしたり、真澄様を責めても、貴女がかえって傷つくだけなんでしょ?悪いようにしない。安心しなさい」

水城さんはあたしを安心させるように、ニッコリと微笑み、頭を撫でてくれた。

「さ、今日はもうお休みなさい」

その言葉を合図に、対抗し難い眠気に襲われる。

その後、あたしは朝まで目を覚ますことは無かった。

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