everlasting

□everlasting 6
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暗闇の中、ぽっと小さな光が灯り、スマートフォンが細かく振動を続けて、やがて止まる。

電源を消してしまおうか…。何だか面倒になって何回かそう思った。

だけど、仕事をしている限り、マネージャーからや、舞台の関係者からの連絡を無視する訳にはいかない。
ギリギリの理性であたしのスマートフォンは外界との接触を保っている。

テーブルの上のスマートフォンが、また、着信を知らせ震えだした。

速水さんからの着信は出ない。涼ちゃんも約束を反故する訳にはいかないから、やっぱり出ない。

画面の表示を恐々見ると、水城さんだ。
これは出てもいいだろう。

「…はい。マヤです」

『マヤちゃん…あれから3日たったけど…元気にしてた?ご飯は食べてるの?』

「心配かけてすいません…。大丈夫ですよ。撮影も舞台の稽古もちゃんと行ってますし」

『それは、マネージャーからと…椎名君に聞いたわ。椎名君、心配してたわよ?撮影中マヤちゃんに話しかけても取り付く島もないって。電話も出ないし、メールも見てないんでしょ。貴女に謝ってたわよ?余分な事を言って速水社長を刺激したって』

「そんな…涼ちゃんは悪くないのに…。でも、ドラマを降板にならなくて安心しました…。それで充分です。あたしも約束を守ります」

『真澄様も貴女の様子を見て、流石に少しは反省してると思うわよ?現に椎名君は降板にならなかったでしょ?』

「電話は…かかってくるんですけどね」

『このままっていうのもね…。少しみんな冷静になって話し合いましょ。必ず上手くいくわ。だって、貴女以外の三人はみんな同じ考えを持っているのよ?貴女が幸せであるようにってね』

「それに甘えてたのかもしれません…」

『マヤちゃん?今からいってもいいかしら。一緒にご飯でも食べましょう。貴女昔、私の作ったご飯、美味しいって食べてくれたじゃない』

ああ、そういえば、そんな事があった。
そして、その後に起こった出来事も記憶の澱から蘇ってくる。
辛い記憶も女優として、演技という形で昇華しよう。
やっと、そんな風に思えるようになってきた。

「迷惑じゃないですか?水城さん忙しいのに」

『あたしが行きたいのよ。これは、仕事じゃないわね…ふふふ』

温かい思いが伝わってくる。結局あたしは水城さんの優しさに甘えてしまっている。
涼ちゃんにも本当に悪い事してしまった。速水さんと仲直りできたら、ちゃんと謝ろう。

電話を切ると、あたしは部屋を片付けるべく、電気をつけた。暗くなったって何にも解決はしない。

片付け始めると、また着信のコール。
今度は速水さん。このまま逃げてたって仕方ない。

あたしは、意を決して電話を取った。

「もしもし。マヤです」

『やっと出てくれたんだな。この間はすまなかった…』

「あたしもすいませんでした。涼ちゃんの事も水城さんの事も、速水さんに電話でもいいから伝えておくべきでした」

『気持ちが落ち着いたようだな。俺も少し冷静になったよ。マヤの言う通り、暫くは行動に気をつけた方がいいかも知れない』

良かった…。紫織さんとの婚約解消が上手くいくかどうかなんて、そんな事はわからないけど、速水さんがあたしを好きだと言ってくれる限り、あたしは待っていられるだろう。

「あたし、ちゃんと速水さんを信じて待ってます。お婆ちゃんになったって待ってますよ」

『君がお婆ちゃんなら、俺はこの世にいないじゃないか。大丈夫…そんなに待たせないよ。
…ただ、最後に一度マヤに会っておきたい』

「ダメですよ!今約束したばかりでしょ。行動には気をつけるって」

『わかってる。二度と軽率な行動は取らない。
ただ、一つだけ君の口から聞きたい事があるんだ。
君と椎名君の関係だ。幼馴染と言ったね?今なら冷静に聞く事が出来る。会って聞かせてくれないか?』

「彼とはもう会いませんし、あれから一言も口を聞いてもいません。それでも知りたいのなら、今この電話ででも、あるいは、水城さんか彼の口から…」

ちゃんと話しているのに、速水さんはあたしの言葉を遮ってしまった。

『違う。それでは意味がないんだ。わかってたんだ。俺のやり場のない焦りがマヤを追い詰めていたってことを。
俺は、自分の不甲斐なさでマヤがいつか去っていくんじゃないかって、余裕を失っていた。
マヤは待っていてくれる。それを疑っている訳ではない。ただ自信が欲しい。目をみて話して、君が椎名君とただの幼馴染だ、そういうのなら、マヤの行動を制限したくないんだ』

そんな速水さんの訴えに、あたしの心は揺れた。
ちゃんと話を聞いて欲しい。分かって欲しい。そう思っていたのは、あたしの方なのだから。

「会社でお話しする訳にはいきませんか?」

『実は今、マヤの部屋の前にいるんだ』

どうしよう…。

本当はあたしだって速水さんに会いたい。
二人きりで会える事なんか、今後は暫く無いだろう。

リスクを犯さず二人で会えるのは、ひょっとして、水城さんが訪れる今夜くらいしか無いのかも知れない。

もしかしたら丁度都合がいいかも知れない。二人で話しをして、水城さんも交えて二人の取り決めを報告しよう。

心の振子は、速水さんに会う方へ傾いてしまった。

あたしは通話を切ると、玄関の鍵を開ける。
ドアはあたしの手を煩わす事なく開かれ、会いたかった人がその姿を現した。

「…速水さん」

「マヤ…会いたかった」

玄関のドアを閉めるや否や、あたしの身体は速水さんに、強かに抱きすくめられてしまった。

苦しくて胸が熱い。

思わず背中に腕を回すと、速水さんの唇があたしの唇に激しく覆い被さってきた。

まるで目眩を起こしてしまいそうな熱い口づけは、痛切な程に深まっていき、速水さんの舌があたしの唇を割り口内を探る。
嫌じゃないけどどうしたらいいのかわからない。

たどたどしく速水さんの舌の動きに合わせてみるけれど、少し冷静なあたしが、これ以上はいけないとブレーキをかける。


「…ん…っは…!速水さん!お話ししに来たんでしょう?ここ、玄関だし…」

「ああ、すまない。…少しお邪魔するよ」

速水さんをリビングに招き入れ、取り敢えずコーヒーを用意する。ブルーマウンテンなんかないからインスタントを。

話さないといけない事は、沢山ある。
コーヒーを淹れながら、あたしは話し始めた。

「涼ちゃんとは…小学校1年生の時に横浜でお友達になって、2年生でお別れしたみたいです」

「みたい?と言うと?」

「ぼんやりとしか、覚えてないんです。あたし物覚え悪いから…」

思わず自分の記憶力のなさに笑ってしまっう。台本以外てんで覚えられないんだから。

「それは…本当に椎名君か?良いように記憶を利用されていないか?」

「どうぞ…」

コーヒーをテーブルに置き、あたしは彼の正面に腰を下ろす。

「それはない…ですね。どんな遊びをしたとか、どんな話しをしたとか、それはサッパリ…ただ、彼の面影は脳裏に残ってます。あたしの過去に彼は存在したわ」

速水さんはあたしの目をじっと見つめて呟いた。

「そうか…」

目を見て話したい。彼はその言葉の通り、あたしの瞳からそれが嘘ではないと探り出した様だ。

あたしは自信を持って続けた。

「当時、お母さんが病気を患っていて、彼は不安な日々を過ごしていたみたいです。
そして、お母さんは亡くなってしまった。
アメリカの伯父さんに引き取らた後、彼はどんなに不安だったかと思います」

速水さんはコーヒーを飲みながら、黙ってあたしの話しを聞いてくれている。

「彼は、あたしがお別れの時に言った『帰って来て、待ってるからね』なんて言葉を日本に帰るまでの間、後生大事に心の支えにしてくれていたみたいです。
その後の彼の人生は辛くて悲しいものだったから。
…虐待を受けてたんです。伯父さんに…ずっと…その性的暴行を…」

「彼はトラウマの為に、肉体的な関係や、恋愛に嫌悪感を抱いてしまったと…そういう訳か…」

「はい。その通りです。そして、彼はあたしも天涯孤独だという事を知り、あたしの孤独に共感して寄り添ってくれた。そこに、異性に抱くような感情は存在しません。幼なじみであり、そして肉親を思うみたいな、そんな親愛の情なんです。」

速水さんの顔が苦悶の表情で歪んでいく。

「…俺が…君を…天涯孤独に追いやったんだ」

「違います!あたしにだって罪はある。昔速水さんを責めてしまった事を本当に後悔してるんです。
速水さん、もう母さんの事で苦しまないで…あたし、その事もちゃんと速水さんに向き合って話をしたかったんです。」

「俺が寄り添う。それじゃダメなのか?」

その言葉を実証する様に、速水さんはあたしの隣へと居場所を移した。

「ううん…嬉しいです。あたしには速水さんがいる。
母さんの話は、何だか速水さんにしちゃいけない気がしていたんです。
本当は避けて通る事のできない出来事だったのに。
涼ちゃんに背中を押してもらって、やっと速水さんに母さんの話が出来ました。
彼はあたしが速水さんの事を愛している事をよく分かっていてくれて、あたしの幸せの為に力を貸してくれたんです。
でも、それが速水さんに勘違いさせる原因になってしまって…。あたしの配慮が足りませんでした。心配させてごめんなさい…」

「彼は…それでいいのか?誰も愛さず、マヤを俺に手渡した後、一人で生きていくのか?」

そうはならない事をあたしは願っている。

「あたしは彼がカウンセリングを受けて、前を向いて生きてくれるのを望んでいます。
水城さんも、彼に気を配ってくれている様ですし…。
そして、今すぐは無理かも知れませんが、速水さんが納得してくれた時には、あたしも彼の力になってあげたいとは思っています。」

「マヤの言う事は理屈では分かる。だが、君達の絆がいつか、愛に変わる事がないと言えるのだろうか。もし、カウンセリングで彼が心の病を克服したら?」

速水さんの手があたしの手を包み込み、再び真実を探りだそうと瞳の中を覗き込む。

「あたしは、速水さんを愛しています。あたしの魂の片割れは速水さん。あなた以外この世に存在しません」

あたしは祈りに似た気持ちで彼を見つめた。
想いが伝わりますようにと。
其処には偽りがないと、きっと分かってもらえる筈。

そして、テーブルのスマートフォンの着信音が、静かなる二人の魂の会話に亀裂を与えた。

速水さんとあたしの視線がスマートフォンの画面に移る。

〈涼ちゃん〉

画面の表示をみた速水さんの手が、あたしより早くスマートフォンを取り上げた。

『もしもし?マヤ?速水社長の事、悪かった。話も出来なくて心配しているんだ。俺ん家来れる?ああ、まずいか…。今からそっちいく…』

速水さんの手の中でスマートフォンから、涼ちゃんがあたしに語りかける。
そして、速水さんは無言で彼からの電話を切ってしまった。

速水さんが彼との会話を避けたのも、わざとあたしに通話内容を聞かせたのも、あたしと涼ちゃんの関係を危惧しているからだろう。

もう少し電話のタイミングが遅ければ、速水さんはあたしの中の真実を見つけてくれただろうと思う。

「マヤ。君は彼に肉親の情に近いものを抱いているのかも知れない。そして、彼も今は君と同じく性別を超えた愛情で寄り添ってくれているのかもしれない。
ただこの先、君が俺を待っている間、彼の方で変化がないなんて、言い切れるんだろうか?」

「なら…会いません。速水さんが心配なら、あたし、会いませんから」

仕方ないのかも知れない。速水さんは今、疑心暗鬼になってるんだろうと思う。
今は速水さんにあたしを信じて貰う事で、二人のすれ違いを修復したい。
今日の事は水城さんに伝言すれば、涼ちゃんに伝えてくれるだろうし、彼は理解してくれる。

「椎名は今から来るかもしれない。そして、マヤ。君は…彼の家に行った事がある?」

「それは…相談に…」

「あの電話を聞く事がなかったら、君の行動は制限しまいと思っていた。
だが、俺が君達の関係性を認めていたら…?やはり、そんな密接な関係を続けるつもりだった?」

「だから!会いませんってば。それに涼ちゃんはそんなんじゃないんです。本当に異性としてなんか思って…っ⁉」

次の瞬間、目が回ったかと思うと、天井が見えた。
見覚えはあるけど、まだ見慣れない天井…そして、速水さんの怒った顔。

「だから?それが、危機感も警戒心もないと言っているんだ。
彼が男になったら?君は拒絶出来るのか?
君が信用している人間は、君の意思を必ず尊重すると…本気で信じているのか?」

「…信じてます」

この言葉が迂闊だったのかも知れない。でもあたしは駆け引きなんか知らない。

「なら、拒絶したまえ!信じ続けてみたまえ!」

速水さんの怒りを込めた台詞と共に、Tシャツが音を立てて裂けた。

強い力で押しつけられた手首にフローリングが軋む。

何をされるのか、何を試されているのか、それを理解すると同時に、あたしの言葉を封じるように唇が塞がれた。

速水さんはあたしの意思など尊重はしないと態度で示している。

そして拒絶して見せろと。

あたしが信じている事なんか幻想なんだと。

そう…知らしめたいんだ…。

乱暴に揉みしだかれた乳房よりも、心がもっと痛い…。

こんな形で速水さんと結ばれたくなかったのに。

怖い顔してる速水さんの瞳の奥に、ほんの少し悲しそうな光を見つけて、あたしはありったけの力で身を捩った。

この行為で傷つくのは、あたしだけじゃない。それがあたしの恐怖心に拍車をかける。

僅かながらも逃げ果せた身体は、いつもなら頼もしくて安らぎを覚える筈の速水さんの力強い腕に引き戻されてしまう。

スカートのホックが弾け飛ぶ小さな金属音。

乱暴な指先で弄られる度に、彼の爪先が肌を傷つけていく。

心も身体も痛すぎて、好きな人でもこんなに怖い…。

涼ちゃんはどうやって耐えたんだろう。

なす術もなく、ただ耐えるしかないって、こんなに辛い事だったなんて……。

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