everlasting
□everlasting 5
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大都芸能第二会議室。
円形のテーブルを取り囲むように配置される沢山の椅子には、あたしと涼ちゃんだけが隣り合わせて腰掛けている。
窓に切りとられた空には飛行機雲。
ホワイトボードに、ところどころ残った黒いマジックの跡が、消した人間の雑な性格を物語っている。
緊張感と手持ち無沙汰を綯い交ぜにしながら、彼方此方眺めたり、時計と睨みあったりで既に30分が経過している。
そろそろ速水さんが出先から戻る頃合いだ。
意図していなかっとはいえ、速水さんに相談もせず、水城さんや涼ちゃんに二人の事を話した事や、二人の気持ちにすれ違いが生じている事が、これから行われる話し合いに漠然と不安を生じさせる。
昨夜、速水さんに電話をかけた時も忙しそうで、今日話をする時間を取り付けるだけで精一杯だった。
きっと速水さんは、怪訝に感じているに違いない。
あたしの緊張と不安が伝わったのか、涼ちゃんがギュッと手を握ってくれた。
口下手なあたしだけど、水城さんも、涼ちゃんもあたしと速水さんの味方をしてくれている。
ちゃんと向き合って話をすれば、速水さんもちゃんと話を聞いてくれる筈。
ノックの音にハッとして扉に視線を向けると、水城さんが三人分のお茶を持って部屋に入って来た。
だけど、速水さんがいない。まだ会社に帰って来ていないのだろうか。
「あの…速水さんは?」
「ごめんなさいね?今、取引先の会社を出たって連絡が入ったから、もう少し待たせてしまう事になるわ。良かったら…先に話しを聞いてもいいかしら?」
「マヤ、先に水城さんにわかっててもらう方がスムーズに話しが進むかもしれない」
「涼ちゃんがそれでいいなら…」
水城さんはあたし達の前にお茶を置くと、正面に座りあたし達と向き合った。涼ちゃんはとても静かな声で話し始めた。
「水城さんは、僕が10才の時からアメリカで暮らしていた事を知っていますね?その理由も」
「知っているわ。横浜の基地で働いていた貴方のお父様とお母様が恋をして、貴方が産まれる前にお父様は亡くなってしまった。そうだったわね?」
「はい。父と母は入籍もしていません。父は僕が母の胎内に宿った事さえ知らなかったと思います。そして、母も僕が10才の時に亡くなりました。
自分が不治の病にかかっている事を知った母は、自分が亡くなる前に父の兄に連絡を取っていたんです。
天涯孤独だった身の上の母は、僕の行く末を案じて伯父に僕を託したかったんでしょう。」
「その後貴方は、アメリカで12年過ごした後、お母様との思い出のある日本へ帰国する事にした。そして、モデルとその他のアルバイトで生計を立て暮らしていた。私の知っているのはここ迄ね」
日本に帰って来たのは、あたしに会いたかったから。そう涼ちゃんは教えてくれた。
「そうです。そして、日本に帰って来たのは母さんとの思い出の為だけではなく、横浜での最後の2年間を過ごしたマヤに会いたかったからです」
「横浜で…そう、幼なじみってマヤちゃんも言ってたわね。大都芸能のスカウトを受けたのはマヤちゃんがいたからかしら?」
「いえ、大都に誘われたのは、渡りに船でしたが、マヤに接触したかったからという訳ではありません。もともとマヤの幸せな姿を見る事が出来たなら、幼なじみと名乗るつもりもありませんでしたし。おまけにマヤときたら、あんなにワンワン泣いて別れを惜しんだ癖に、僕の事すっかり忘れてましたしね!」
あたしはすっかりバツが悪くなってしまった。小学1、2年生と言えば、記憶が残っていてもいい筈なのに。
「すっかりって訳じゃ…何となく女の子みたいな綺麗な男の子とよく遊んだって事は覚えてるんですよ!」
涼ちゃんは笑いながら無理すんなとでも言うように肩を叩いた。
「ハハ!いいんです。マヤが覚えていようがいまいが。要は、その記憶がその後の僕の人生を支えたって事だけが大事なんだから」
ここから先は…前にも涼ちゃんから聞いたとはいえ、聞くのが辛い。
「伯父は…僕をアメリカに連れて行き、そして…長期に渡り、僕に性的虐待を加え続けました。」
水城は蒼ざめ言葉を失っている。
「7年間ですかね…。僕も彼には逆らえなかった。肉体的にも精神的にも。いつか、日本に帰ろう。それだけが正気を保つ支えでした。身寄りの無い僕の帰りを待つといってくれたのはマヤ1人だけですから」
「7年耐えて…貴方はどうしたの?」
「伯父は捕まりましたよ。児童虐待で。僕は然るべき施設に行き、カウンセリングを受けて過ごしました。
だけど…何が悪いのか、外の世界に出ると、僕は色んな人間の性的対象になってしまう。男女問わずね」
日本にあっても彼の容姿は人の心を妖しくさせる。仕事以外で極力その容貌をカムフラージュするのは、そんな彼の自己防衛本能だ。
「僕は…それ以来、男女を問わず肉体的欲望を持ち合わせた僕への興味を受け付ける事が出来ないんです。
僕自身もいっさいそういう感情はありません。
純粋に愛し愛された母親も亡くした。伯父は家族なんかじゃなかった。僕が今愛情を注げる対象はマヤだけだ。でも邪な思いじゃありません。」
「それで…マヤちゃんは貴方との関係を肉親を思うようなものといったのね…」
「はい。それも、押し付けるつもりなんか無かった。彼女が家族をなくてしまっていると知るまでは。
彼女と僕はよく似ている。顔形じゃない。感性そのものが。
トラウマを抱えているのは、僕だけじゃない。彼女も大きいトラウマを抱えていたんです。」
「マヤちゃんが?それは…どういう事かしら」
水城さんが心配そうに、あたしに視線を移した。
「あ、あたしはもう…大丈夫です。自信が無かったんです。人としても、女優としても。
いつだってダメな子だって、母さんに言われて来ました…。本当は褒めて欲しかったんです。よくやったね、て。涼ちゃんと会ってその事に気付きました。
でも、ちゃんと、自分の中で整理がつきました。
母さんを死なせてしまった罪の意識にも…。」
「貴女のお母様のことは…真澄様の心にも深い傷を残しているわ…」
「速水さんだけが悪い訳じゃないんです。速水さんがその事で負い目を持っているのがわかりながら、あたしも怖くてその話に触れる事が出来なかったんです。でも、ちゃんと二人でこの事に向き合いたいと思ってます」
涼ちゃんが、後を引き継いだ。
「僕は、大事な幼なじみのマヤに幸せになって欲しいだけです。マヤの幸せな姿を見れば、僕も過去の自分と決別できる気がするんです。決してマヤに対して邪な気持ちを持って近づいたわけではないという事が分かって頂けたでしょうか…」
「よく…わかったわ。貴方も、ちゃんとカウンセリングを受けて、自分自分の幸せを見つける事よ。協力は惜しまないわ」
良かった…。やっぱり水城さんは、涼ちゃんの事もちゃんと考えてくれている。
「僕はいいんです。それよりマヤを…」
涼ちゃんが、今後の事を話そうとしているところで会議室のドアが乱暴に開いた。
「三人で秘密の会議かな?」
隣り合わせで座るあたしと涼ちゃんに気付いた速水さんは、苦々しい表情を浮かべ、剣呑にそう言った。
「お待ちしておりましたわ。真澄様」
機嫌が悪いのを隠す事もしない速水さんに、流石、水城さんは冷静に対処をする。
「君達のマネージャーから今聞いたよ。君達が親密になり過ぎているって話をね。そんな話し合いだなんて、俺は今初めて聞いたね」
「ですから、それは勘違いだとご説明を…」
「俺は、何故事前に知りえた情報を報告しなかったと、そう聞いているんだ。第一秘書の水城君?」
水城さんも負けてはいなかった。こんなに迫力のある速水さんに対抗できるのは水城さんだけだと思う。
「真澄様が冷静さを欠いているからですわ。
真澄様はマヤちゃんに対してもっと冷静になるべきです。
お二人の関係が外部に漏れたらどうなさるおつもり?
マヤちゃんの紅天女の公演が近いこの今、彼女の評判を落とす事がどんなダメージを与えるか、よもや社長の真澄様が忘れたなんて言わせませんわよ?」
「何故君が俺たちの関係を知っている?…マヤから聞いたのか?」
速水さんの視線にあたしは身を縮めてしまった。
「私が先に気付いて、マヤちゃんに問いただしました。私以外が勘づくのも時間の問題ですわ。
マヤちゃんは自分の事よりも真澄様の立場を慮っていますのよ?
大人である貴方が率先して軽率な態度を慎むべきではありませんか?」
水城さんの言い分が正論だという事が速水さんにも分かっているんだと思う。
だから矛先がこっちに向いてしまったんだろう。
「水城君のご高説は承るよ。しかし、そんなシークレットな話し合いに、何故椎名君が混ざってるんだ?彼の件は勘違いだと、そう言ったな?なら、その部外者がどうして此処にいるんだ!」
「速水さん!彼は…幼馴染で…あたしの相談に乗ってくれただけなの」
「相談なら俺にすればいい。そんなだから、共演者と噂になったり、つけ込まれたりするんだと話したばかりだろう?」
速水さんは怒ってる…。上手く伝えたいんだけど、論点がずれていくのをあたしの説明じゃ止められない。
「取り敢えず、冷静に話し合えませんか?社長。
僕は、ただ、マヤが貴方の事を好きだから…それを応援したいだけであって、決して邪な考えで彼女の相談に乗っていた訳ではない」
涼ちゃんが萎縮するあたしの背中を大丈夫だよと撫でてくれた。ただ、速水さんにはそうは見えなかったらしい。
「偉く仲がいいんだな。君が幼なじみなど、俺は今初めて知ったよ。君達は揃いも揃って、秘密主義なんだな」
「だから、今日この場を持ったんじゃないですか。だいたい、話し合いだって、貴方が遅れて来ただけだ。密談だなんて言い掛かりもいいところだ」
口調は冷静だけど、涼ちゃんのイライラした感情があたしに伝わってくる。
「これは、俺とマヤの問題だ。水城君ならいざ知らず、君は関係ない。今後一切関わるな。ドラマも降板してもらおう。
それ以上マヤに触るな。幼なじみか何だか知らないが、それがマヤに関心がない証拠になるもんか。さあ、帰れ!」
「真澄様!この件と椎名君の仕事とは関係ありませんわ!私情を挟み過ぎです!」
あたしも、呆然としてしまった。あたしの所為で涼ちゃんが見つけた芝居という生き甲斐を奪われてしまうなんて…。
「なんて…横暴なんだ…。オレは兎も角、マヤを信じてやれよ。オレが邪魔ならすぐにでも消えてやるよ。その代わり、マヤを蔑ろにするのを止めろ。ちゃんと話聞いてやれよ。もうマヤも子供じゃないんだ。あんたがそんなんじゃ、マヤは幸せになれない」
「…本性を現したじゃないか。偉そうな口を聞いているが、見え透いた手口だな。マヤの弱みに付け込んで優しく労わり隙をつく」
「オレは…!オレは性的不能者だ…。肉体的に人を愛せない。恋愛感情を持つというごく当たり前の事さえ欠如している人間なんだ」
伝える順番を間違えてしまったのかも知れない。水城さんには伝わった涼ちゃんの悲しい現実。だけど、速水さんの頑なになった心には届いてくれなかった。
「そんな話、嘘か本当かわかるもんか」
「アメリカでのカウンセリングの資料を送ってもらいますよ。何なら、日本で診察を受けてもいい」
「仮にそんなものを送って貰ったとして、完治してないとどう証明する?日本で診察を受けたところで詐病を詐ることなんていくらでも可能だよ」
いいたくない話まで言ったのに、そんな事まで言われて…。
涼ちゃんへの申し訳なさと、自分への無力感。
これ以上、水城さんと涼ちゃんに迷惑を掛けたくはない。
「もう…いいです。あたしが悪いんです。速水さんに全部背負わせて、周りを頼ってみんなに迷惑をかけて…甘えてました。
涼ちゃんとは仕事以外は口も聞きません。
水城さんも、もういいです。あたしと速水さんの為に尽力してくれてありがとうございます。
速水さんも、あたしを心配しないで。仕事以外で外出するような事もしないから…。暫く一人にしておいて欲しいの」
水城さんは溜息を吐き、涼ちゃんは怒りを必死でら堪え、速水さんは…顔を背けるように俯いてしまった。