everlasting

□everlasting 4
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ショーウィンドウに映る、見慣れないあたし。

キャップを深めに被り、サングラスの位置を少しずらしてみる。
角度を変えながら、自分の姿を観察してみるけど、やはり様にならない。

『椎名君に会いに行くなら、それなりに対策をする事。それが条件よ!』

そんな水城さんの言い付けを、律儀に守ってはみたものの、変装しようがしまいが、メイクを落としたあたしを、芸能人北島マヤと気付く人はいないだろう。

ショーウィンドウのガラスに背を持たせると、冷んやりとした感覚が心地よい。
あたしは、その体勢のままで、バッグからスマートフォンを取り出した。

「もしもし。涼ちゃん?マヤだけど、なんか夕食買っていこうか?え、カレー作ってるの?アハハ!楽しみにしとく!」

こうして撮影の帰りに、涼ちゃんのマンションに行くことは、水城さんの言う通りそろそろ限界なのかも知れない。

紅天女の初舞台を前にして、TVドラマに出演させた大都芸能の戦略は功を奏し、あたしの知名度を上げた。
無名の新人、椎名涼。彼のプロデュースも水城さんが一枚噛んでいるだけあり、本人の実力と相俟って、瞬く間に若手人気俳優としての地位を確立しつつある。

お互い、マスコミに貢献できる立場になってきている今、軽率な行動で周りに迷惑をかける訳にはいかない。

今まで支えてくれた涼ちゃんに感謝しつつ、彼に甘えていた自分に、そろそろ卒業しなくてはいけない。そんな決意を抱きながら、あたしは、ガラスから、預けていた背中を引き離すと、背筋をピンと伸ばし歩き出した。

涼ちゃんのマンションに着き、チャイムを鳴らす。

『開いてるよ』

インターホンからの返事に、遠慮なくドアを開け、お邪魔しますとも言わずリビングに入る。
途端に、カレーのいい匂いが漂って来た。

「不用心だよ〜。鍵開けっぱなしじゃ!」

「マヤから電話があったから開けたんだよ。オレ、アメリカ暮らしだったんだぜ?マヤよりセキュリティ意識はたかいよ」

あたしは荷物をソファーの上にポンと置くと、洗面台に手を洗いに向かう。
恋人でもない、友人でもない心安さは、まるで実家に帰ってきたような、淡い幸せの感情を呼び起こす。

「うがいもしたか?そこの皿に飯よそってよ」

お玉を翳して指示を出す彼に従い、炊飯器を開け、カレー皿にご飯をよそう。
少し煮崩れたジャガイモと、給食を思わせるような懐かしい香り。
いかにも家庭的なカレーに思わず顔が綻んでしまう。

「「いっただきま〜すっ」」

「あ、美味し〜っ!」

「だろ?俺カレー得意なの」

カレーの隠し味や、仕事の愚痴、たわいもない話から、核心へ向けて会話は移行する。

「で?マヤの言うところのケジメはついたの?」

「ううん。その前に水城さんにバレちゃった。速水さんには、釘を刺してくれるって。ついでに、涼ちゃんと親しくしてる事もバレちゃってるの。今日ここに来てるのも水城さんは知っているわ」

「おいおい、大丈夫かよ」

「水城さんは信用出来る人だよ。味方にもなってくれたし。ただ、あたしと速水さんの事気づいてたなんて思わなかったけど…」

涼ちゃんは、自分のカレーに入っている人参を皿の隅っこに移す作業をしながら、答える。

「マヤが大丈夫っていうなら、大丈夫だな」

「でもね。こんな風に涼ちゃんのマンションに遊びに来たりはもう出来ないかも」

「水城さんに叱られた?」

「それもあるけど…涼ちゃん言ってくれたでしょ?」

「…うん。そうだな。マヤは大丈夫だ。ダメな子なんかじゃない。マヤのお母さんだって、きっとそういう。速水さんと幸せになる事だって絶対反対しないさ。
そうか…本当にもう大丈夫なんだ。それはそれで少し寂しいものがあるかな」

涼ちゃんは、感慨深げになった表情を潜めると、悪戯っ子の顔をして次々と人参をあたしのお皿に移し替えてくる。
2歳年上の彼は、大人のようでありながら、こうして時々幼い仕草をする。

「ちょっと!人参あたしのお皿にのせないで!もう!」

邪気のない笑顔を見せ笑う涼ちゃんに、あたしは心から感謝の気持ちを伝えたかった。

「あのね…涼ちゃん。ほんとにありがとね」

「いいや。おばさんが亡くなったのは残念だったけど…こうして、マヤと引き合わせてくれたのはおばさんの導きかなって思ったし」

涼ちゃんは立ち上がると、インスタントコーヒーを入れ始めた。

「だけどさ、速水社長も、意外にマヤより自制心ないよね。冷静沈着そうな人なのに、結構情熱家というか…。それが、恋ってやつなの?俺わかんないしさ。そういう感情。」

涼ちゃんはサラッと言うが、恋する感情がわからない…その言葉の裏には悲しく辛い彼の人生が詰まっている。

「それにさ、紫織さんが喚こうが死のうが構わず、さっさと切り捨てちゃえばいいのに」

「水城さんも同じ事いってた。だけど、見殺しにするような人じゃないもん。速水さんは優しい人だし。速水さんが安心するくらい、あたしがしっかりしてたら、速水さんも重荷が一つ減るんだけど…」

涼ちゃんはあたしの前に、牛乳たっぷり、お砂糖たっぷりのコーヒーを置くと、自分のブラックコーヒーにゆっくりと口をつけた。

「…マヤはもう充分大人になったよ。速水社長にはそれが分からないのかな?
女優としても、俺はマヤを尊敬してる。
紅天女だって、そんな未熟な人間が継承できる役じゃないだろ?」

あたしなんか…そんな風にばっかり思っていたあたしだけど、スッとそんな励ましが素直に染み込んで、あたしに新しい勇気を与えてくれる。


涼ちゃんと2回目に会ったのはドラマの撮影現場。
彼は、主役のあたしに言い寄る青年実業家の役どころ。
あたしには後で結ばれる予定の相手役がいるので、彼が演ずるのは、ドラマを盛り上げる咬ませ犬的な存在。

誰もドラマ初出演、演技未経験のモデルの彼に期待なんかしてなかった。
そして、みんなの予想通りに、彼はど素人の演技を見せつける。

まぁ、こんなもんか…そんな雰囲気でリハーサルは終了し、涼ちゃんは悔しそうな目をして、真っ直ぐあたしの所へやってきた。

『何処をどうしたら、他の出演者みたいな演技が出来るんだ⁉』

『え⁉まず…基礎が違うし…みんなプロだから上手いのは当たり前というか…』

ガックリうな垂れる彼に、自分の口下手さが申し訳なかった。

『で、でも、役作りをちゃんとすれば、今よりずっと良くなるよ?』

『どうやって⁉』

涼ちゃんの目は真剣だった。役を掴めない…思うように演ずる事が出来ない…そんな悔しさをあたしも知っている。
そして、彼の情熱が伝染し、あたしも女優の顔になる。

『モデルさんなんだよね?貴方、カメラで撮られてる時とプライベートは一緒の表情してるの?』

『いや、違う』

『それも、役作りだよ。今、椎名さんは、若手の実業家のイメージじゃないわ。モデルがスーツ着てるだけ。具体的に実業家をイメージすると…えと実業家ねぇ…』

演技や演技論はおいおい学ぶとしても、今この場で彼に役立つアドバイスをしなくちゃいけない。

『そう!速水さ…速水社長に会った事あるよね?先ずは彼をイメージして演じてみて。
台詞は入ってるでしょ?』

『ああ…成る程分かりやすい。速水社長に台詞を吐かせりゃいいわけね』

目の前で速水真澄を演じだした涼ちゃんに、あたしは鳥肌がたってしまった。
彼が演じたのは物真似なんかでない。速水真澄の本質だ。

冷徹では無く冷静。豪胆に見えて繊細。奥に秘めたものを内包しつつ、表面的な立ち振る舞いでカバーする。

数回会っただけで、こうも人の本質的なものを捉えられるのだろうか。

『椎名さんは、今演じてみてどう思った?』

『ん…?今のは人真似だろ?だけど、あんたの言う役作りって意味が、なんとなく分かった気がする。俺が喋るんじゃないんだ。
でも、速水社長はちょっとイメージ違うなぁ…。
俺の思う青年実業家は、もっと彼より野心を秘めてるな。あんたが演じてる役にも、自信満々で振られるなんか思っちゃいない。
速水社長は臆病だもんな。あんたが振るわけなんか無いのに』

言葉が出ない。どうしてこの人は、あたし達の関係を知っているんだろう。
何故、わかったの?そう尋ねる前に本番が始まってしまった。

そして彼が演じたのは、リハーサルとも速水さんとも違う自信過剰の、でも憎めなさを感じる青年実業家。

たった一言のアドバイスで、彼は自分の役どころを掴んでしまった。

もしかして、とんでもない才能の持ち主かもしれない。

あたしは、彼に応じるように、自分の役にのめり込み演技で応えた。

『楽しいな。芝居って…』

ああ、彼は取り憑かれてしまった。演じる事に…。
あたしには、彼の気持ちが手に取るように分かる。

本気になった彼は、直ぐに大都の研究所で演劇を本格的に学び始めた。
ドラマも演技としてはまだまだ荒削りだが、突出した魅力が視聴者の心を掴み、あたしは本来違う人と結ばれる役どころなのに、涼ちゃんとのハッピーエンドが見たいと視聴者からの希望が殺到しているそうだ。

『主役を食っちゃたら、いい役者にはなれないんだから』

以前は自分も散々言われた耳の痛い台詞を、先輩風を吹かせて言ってやった。

『出番が増えて喜んでたのに…。うるさい先輩だな』

月影や一角獣のみんな…。なかなか会えなくなってしまったけど、彼はそんな仲間と同じ匂いがした。
というよりも…自分と同じ匂いを、何故だか感じてしまう。

彼とはきっと、いい役者仲間、友人になれそうな気がする。
そんな事を考えていた時投げかけられた彼の言葉は、予告無く、心の奥底にある秘めた小部屋をノックする。

『あの小さくて泣き虫だったマヤが、こんなに立派な女優になるなんてな。おばさんも鼻が高いだろうな…』




「今、何考えてた?」

「涼ちゃんが下手くそな演技して、泣きついてきた事」

「ちょっと褒めたからって調子に乗るなよ?すぐ追い抜いてやるからな!」

顏は笑っているけど、きっと負けん気に火がついたのだろう。

「あの時から、涼ちゃんはあたしと同じ匂いがするって思ってたの」

涼ちゃんがソファーに座り、あたしに手招きをする。

「俺はマヤと再会した時からだ。マヤと社長がすれ違って視線を絡めた時…すぐにわかったんだ。マヤは魂の底からこの男に恋してるって。
ついでにマヤを通して速水真澄の気持ちもわかった。
人の善意や悪意にはもとから敏感だったけど…マヤは特別だ。」

あたしは、涼ちゃんに寄り添うようにソファーに腰掛けた。

「お互い一人ぼっちだもんね」

「マヤは速水社長がいるじゃないか」

「恋は…違うんだよ。肉親の愛と違って欲が絡んじゃう。自分だけみて欲しいって。だからままならないんだよ」

涼ちゃんは、ソファーの隣に腰を下ろしたあたしの手をギュッと握った。

「一人ぼっちなんかいうな。水城さんもオレも応援してるんだから、きっと速水社長と上手くいくって!」

「涼ちゃんはさ…恋をしたくないの?あたしが好きな人の所へいっちゃったら、淋しくない?」

「マヤ…オレにとってそれは違うんだ。恋じゃないから、失わなくて済む。
小さいマヤが俺の為に泣いてくれたから、それだけで孤独に耐えて来たんだ。日本に帰ればマヤがいるって。
俺にとっての愛情ってそれが全て。それ以外の感情で見られてたら…吐き気がしてくるんだ。」

「ごめんね。思い出させるような事言って。でも、涼ちゃんがまた、一人ぼっちになったらって思うと切なくて…。水城さんになら、相談してもいいんじゃないかな?」

涼ちゃんにとって思い出すのは辛い事な筈なのに、そんな時でもあたしの事を一番に考えてくれている。彼の言葉にはそんな優しさがあった。

「ん?治療を受けるとか、そんなこと?俺は必要性を感じてないからなぁ。ただ、水城さんに話した方が、マヤとしても都合がいいと思うよ。
いや、オレから明日水城さんと社長に話す。マヤからは話しにくいだろ?
そんな顔するなって!マヤが幸せになる為なら、誰に話したってオレは傷つかないよ」

「速水さんは…わかってくれるかな?あたしの気持ち。会えなくてもちゃんと待ってるって事も、速水さんに、自分を責めて欲しくないって事も…母さんの事だって…。
大丈夫よね?離れてちゃったりしないよね?」

「大丈夫。今までお互いを思いやり過ぎて気持ちがすれ違っていただけなんだから。
オレの事だって、ちゃんと話して誤解を受けないようにするから。すぐに気持ちが伝わらなくても、一人で悩まずオレに相談しにおいで。
実家に帰るみたいに甘やかしてやるからさ」

あたしは涼ちゃんの手の温かさと、肉欲を一切持つ事のない涼ちゃんの愛情が切なかった。

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