everlasting
□everlasting 3
1ページ/1ページ
「あれは、半年前…紅天女の試演の前日でした…」
あたしが語り出すと、水城さんは携帯をバイブに切り替えて鞄にしまい込んだ。
試演を前にして、どうにか自分の紅天女が完成したとは思う。
速水さんへの気持ちを阿古夜の恋に昇華する事で、自分の中でのケジメはついた。
だけど、決着はついていない。
婚約者のいる速水さんに、完全に振られる事。
あたしが秘密を知っている事を明かした上で、紫の薔薇の人…つまりは速水さんと決別する事。
どのみち、はなから、どれも失ってしまったものかもしれない。
だから、今更振られるも、決別もないのかも知れない。
でも、全てに決着をつけて試演に臨みたかった。
今思えば、受け取る速水さんの気持ちを無視した、あたしらしい、子供っぽいエゴイズム。
試演の前日の夜。
あたしは速水さんの都合も考えず、想いのたけを全てぶつけて…速水さんは……。
息が止まってしまうと思った。
あんなに強く抱き締められるなんて。
あんなに強い想いを吐露される事になるなんて…。
本当に思いもしなかった。
『婚約は解消する。待っていて欲しい』
あたしは、幸福感に包まれながら、頷いてしまった。
よく考えれば、それが速水さんを茨の道を歩ませる結果となるのに。
そして、彼は苦しんでいる。
一時は、自分の命さえ絶とうとした紫織さん。
そんな彼女を見捨てられず、速水さんは彼女に寄り添い傷を癒した。
やっとの事で、心の平静を取り戻したであろう紫織さんへの再びの婚約解消の申し出は、速水さんの立場をますます窮地に追いやった。
速水さんのお陰で、何の憂いもなく演じる事の出来た紅天女。
あたしは紅天女を継承し、ぬくぬくと速水さんの愛情に甘えきってしまっている。
一方、速水さんは、紫織さんに泣かれ、鷹宮家にも、速水さんのお父さんからも責めを受け、そして自分自身をも責める。
そんな中でも、待たせて申し訳ないといつもあたしを気遣う速水さん。
ただ、のうのうと待つだけのあたしに、気遣う事など何一つないというのに。
あたしはチビちゃんで、速水さんにとって、ただ守るべき存在で…きっと弱音や愚痴を吐く事さえ出来ないのだろう。
それでも、手離すことが出来ない。
誰かに愛して欲しかった。
紫の薔薇の人の優しさが、あたしの孤独を今まで支えでくれた。
誰かを愛したかった。
そして、速水さんに抱き締められた温もりの中で、愛し愛される事の喜びを知ってしまった。
一人になるのが怖い。
月影先生は、あたしに紅天女を託し、愛する人の元へ旅立っていった。
友人達はやがて恋人や夫を持ち、大切な家族を作るだろう。
あたしが帰る場所は、速水の腕の中でありたい。
速水さんが帰る場所は、あたしの胸の中であって欲しい。
その為にも、あたしは速水さんに頼ってばかりの小さな女の子から卒業しなくてはいけない。
「…そう。真澄様の気持ちはずっと以前から知ってはいたの。貴女の気持ちに関してももしかしたら…って。
真澄様が一度は断念した婚約解消をまた振り出しに戻した事と、貴女達の親密そうな態度。
証拠は無かったけど、確信はあったわ」
「親密に見えますか?気をつけてたんですけど…」
「目は口ほどにものを言うってね。
気持ちが溢れてたわよ。特に真澄様がね。
ただし、私以外はどうかしら?気づいてないとは思うわ。付き合いの長さは伊達じゃないですからね。
でも油断は禁物だわ」
水城さんはそれきり黙って、俯き加減で考え込んでしまった。
「あの…でも、あたし達、気持ちを確認しあっただけで…その…何もないですし…」
水城さんは顔を上げると、驚いた表情を貼り付けて、まじまじとあたしの顔を見つめた。
「はぁ?何にもないって…その…男女の関係というか…そっちの…?
意外というか、やっぱりというか、相変わらずもたもた…コホン、いえ、こっちの話よ」
「えと…キス位はしましたが…。」
思わず語尾が小さくなってしまう。
何言ってんだろ、あたし。
水城さんとあたしは二人して赤面しながら、次の句を探していた。
口火を切ったのは水城さん。いつの間にか表情は険しくなっている。
「真澄様はああ見えて、お優しいところがあるわ。だから私もこき使われてるのを自覚しながら、今日まで仕えてきたわけだけど…」
「…はぁ」
「その優しさが裏目になって、紫織さんに婚約解消を申し出ても、死ぬなんて言われたら、もうにっちもさっちもいかなくなってしまうと…そういうわけね⁉」
「…はぁ」
何だか水城さんがヒートアップしてきて…怖くて口を挟めない。
「でもね。真澄様はわかってないわ!そこをつけ込まれている事にね!
紫織さんは狡猾よ。命を盾にすれば真澄様が強く出れないって事わかってやってるんだわ!」
「…そうなんですか?」
「きっとそうよ!でも…このままじゃあ、紫織さんの粘り勝ちね。真澄様がどこかで思い切らなきゃ、時期に結婚式まで持ち込まれるわ」
少々熱くなってしまっている水城さんだけど、そんな中でも彼女の判断力が鈍るという事はないような気がする。
成り行きとはいえ、水城さんに相談出来た事で、あたし一人でやきもきするよりも、余程速水さんの立場を守る事が出来るかもしれない。
「ですよね。速水さん優しいから…自分のせいで紫織さんを傷つけた分、責任を感じて自分を責めちゃってる。だから…速水さんは、あたしに言ったんです。」
「何を?」
「全部捨てるって。社長の地位も、速水の姓も…」
「はぁ⁉何ですって⁉真澄様は正気なの⁉
それは…違うでしょ?万策尽きた訳⁉…で!どうしたの⁉」
驚くのも無理はない。
速水さんが社長の椅子を投げ打つという事は、大都芸能の存続にも関わる一大事だ。
大都芸能だけでは済まない。ひいては、大都グループの何万人という社員の生活にも影響を与えるやも知れない。
「あたしも、全てを捨てる事が最善とは思わなかったんです。
だから、行動に移す前に、速水さんが全てを無くしたら本当に紫織さんは諦めてくれるのか、ちゃんと話しをしたらどうかって言ったんです。
本当に速水さんが全部捨てたところで、紫織さんが自殺しないで諦めるって言いきれますか?」
「そうねぇ…。でも、それはどうかしら。以前の婚約解消騒動はいざ知らず…一度立ち直った紫織さんの今の態度は本気とは思えないのよね。
本気なら宣言する前に、何らか行動として現れると思うわけよ。あくまで推測だけど」
水城さんは難しい顔で冷めたコーヒーを口にした。
「…ああ、まずいコーヒーね!で、真澄様は紫織さんに言った訳?全部捨ててしまうから、婚約解消してくれって。
悪いけど、そんな事いったって、真澄様が紫織さんに振り回されてる今のまんまじゃ、紫織さん有利の言葉のチキンレースじゃない。ばからしい!」
あまりにも、速水さんをメッタ斬りするもんだから、辛くて仕方ないのに何だか笑えてきてしまった。でも…。
「…水城さん、速水さん本当に苦しんでるんですから。何だかやつれてきちゃってるし…」
「あら…マヤちゃん…ごめんなさいね。私ったら…」
さっきまで怒ってた水城さんが、急にシュンとしてしまって、あたしは慌てて手を振った。
「謝らないでください!違うんです!
その…あたしも水城さんと同じ様な事考えてて…。
紫織さんの態度が狂言かどうかは別にして、結局は…同じ事の繰り返しなんだなって。
速水さんが紫織さんを傷つけて、そして自分を責めてを繰り返して消耗して…」
「そうね。真澄様が、紫織さんを傷つけても切り捨てる覚悟がない限りはね」
「だからこそ、あたしは紫織との話し合いする事を勧めたんです。
紫織さんがそれを阻止するのを知りながら。速水さんがそれを撥ね付ける事が出来ない事も知りながら」
水城は解せないといった表情でマヤに問うた。
「試したって事?」
「正確には違いますね。結果はわかってたんですから。
あたしは、決断したかったんです。これ以上速水さんを苦しめない為に。
もう見てられないんです」
「決断って…真澄様とは別れるってそういう意味かしら?」
片思いの時は、仕事や偶然以外、会う事も電話をかける事さえなかったのに。
気持ちが通じ合ったとたん、どうして会わずにいられなくなっちゃうんだろう。
「あたしはケジメをつけたいだけなんです。別れるも何も…。
速水さんは婚約中だし、まだ始まってもいない段階ですから。
婚約解消までは、お互いの気持ちを知らなかった時の関係に戻したいんです。」
「その気持ちを真澄様に伝えたのかしら」
「会わない方がいいとは、いつも言ってるんですけど…。
あたしが心配かけるような事しちゃったら、速水さんすぐ様子を見にきてくれたりするし、あたしも拒絶しきれないんです。
やっぱり、あたしだって会いたいって思うし…」
「真澄様にも困ったものね…」
速水さんから見ると、あたしはまだまだチビちゃんだから…危なっかしくてほっとけないのかも知れない。
「あたしも悪いんです。いつも口酸っぱく言われてます。危機感も警戒心もないって。
もっとしっかりしてたら、速水さんも安心してほっとけるのかも知れませんね。
自分でいってて情けなくなっちゃう」
結局あたしは子供なんだ。
だから、速水さんは全部一人で背負ってしまって、あたしの言う事なんて聞いてくれないんだ。
「実は、昨日も速水さんはあたしのマンションに訪れて…二人で車にいるところを警官に見られてしまいました。」
「何ですって⁉真澄様は何でそんな迂闊な事を…」
「あ、多分、あたしの顔は見られてません。その後は、その場を離れて、直ぐに帰宅しましたし…」
「そんな事を続けてれば時間の問題ね」
水城さんがこれ以上無いくらいに苦々しい顔をして腕を組んだ。
「いいわ。真澄様には私が釘を刺しておくから。どうせ貴女の言う事なんか聞きはしないんでしょ?」
「すいません…水城さんにまで迷惑かけちゃって…」
「何言ってるの。悪いのは真澄様よ。貴女は何も悪くないわよ。
マヤちゃんより11も歳上の癖に、てんでだらしないったら!」
水城さんは、今まで苦々しい顔をしていたのが嘘みたいに、あたしに慈愛の眼差しを見せてくれた。
「かわいそうにね…。誰にも相談出来ないで、一人で悩んでたのね…」
一人なら…あたしは、もっと苦しんでいたかも知れない。
「一人ではないです。相談に乗ってくれる人がいましたから」
「青木さん…とかかしら?以前同居していた」
麗なら…彼女だって親身に考えてくれただろう。だけどきっと憤慨しちゃって、速水さんに乗り込みかねないな。
うん。麗ならそうやってあたしの為に怒ってくれただろうと思う。
「いえ、違います。涼ちゃ…椎名君です」
「椎名君⁉…友達にしては…踏み込み過ぎてない?しかも、彼は同性ではないのよ?いくら仲良いからって、それは軽率過ぎない?」
水城さんの心配はもっともだと思う。あたしと彼の関係性を伝えてないのだから。
「彼は、あたしの幼なじみなんです。もっとも覚えてるのは彼ばかりで、あたしは殆ど記憶にないんですけど…それに」
「まぁ…そうなの…。聞いてなかったわ。…それに?」
「この先は、彼に許可なく話す事が出来ないんです。彼のプライベートに関わる重大な問題なので。
ただ、彼は、あたしとの関係を誤解されることを恐れていて、速水さんにはいずれ話す事になると思います。
その時は、水城さんになら話してもいいって彼も言うかもしれません。
あたしは、彼の今後の為にも、水城さんに相談に乗って貰うべきではって考えてますので…」
「わかったわ。今は聞かない。ただし、今後は何にせよ軽率な行動はダメよ」
意図した事ではなかったとはいえ、水城さんに相談出来た上に、味方についてもらえた事が本当に心強い。
あたしは、心の重荷が少し軽くなるのを感じた。