everlasting

□everlasting 1
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ふわりふわりと漂う意識が、徐々にリアリティをもって覚醒をしていく。

見覚えはあるけど、見慣れない天井。

取り敢えず身体を動かしてみると、肩と首に痛みが走る。

いつの間にかクッションを枕にフローリングの上で寝ていたらしい。

あまり生活感のないこの部屋にあるのは、TVと2人掛けの赤いソファーと小さなテーブル。

キッキンのカウンターに椅子が一脚。

寝室には、ベッドと鏡台。

後は何も無い。

食器や調理器具はキッキンの棚に、洋服だって、クローゼットに全て収まってしまう。

一人暮らしには広すぎる位のスペースは、未だ慣れなくて居心地悪い。

紅天女を継承した新進気鋭の若手女優、北島マヤ。

本人の自覚は他所に、立派過ぎる肩書きに釣り合うようにと、半ば無理矢理入居させられたこの部屋が、あたしのお城

痛む首を摩りながら身体を起こすと、テーブルの上のスマートフォンを手に取る。

〈1時35分 〉
帰宅してすぐ、6時間余りも眠ってしまったらしい。

今夜はもう、眠れそうにない。
立ち上がると、冷蔵庫の中を覗き込む。夕食を抜いてしまった為空腹を感じるけど、お腹を満たす物は入っていない。

仕方なく牛乳を飲むが、朝まで空腹を抱えて過ごすのも辛い。

コンビニに行くか否か逡巡するが、頭の中でうるさ型の事務所社長が、難しい顔をして、あたしを睨みつける。

「若い娘がこんな夜中に、危機感はないのか?大体君は、女優としての自覚が無さ過ぎる!」

腕を組んで、あたしの事務所の社長である速水真澄の真似をして一人芝居してみる。

意外にソックリで、笑いがこみ上げた。

一人暮らしのガランとした部屋に、ケラケラと笑い声を響かせながら、スマートフォンの着信履歴を確認する。

ズラリと並ぶ〈大都芸能 速水社長〉の表示。

溜息を吐くと、コンビニに向かうべく財布を掴んだところで、またしてもスマートフォンから着信音が鳴り響いた。

画面を確認すると、やっぱり速水さんだ。
電話に出れば、また会いに来ると言いだすかもしれない。そして、あたしも誘惑に負けてしまうかもしれない。

少し悩んで、スマートフォンをそっとテーブルに戻した。

マンションを出ると、意外と電気のついている住宅が目立つが、流石にシン…と静まりかえっている。

しかし、五分も歩いた先には大通りがあり、夜中でも空いている飲食店も多く、昼間程では無いが人通りも多い。

さっさと大通りまで抜けようと、足を速めたが、数メートル先にある見慣れた高級車に足が止まってしまった。

そっと踵を返そうと、抜足差足で方向転換をする。

「こんな時間にお出掛けとは、君には危機感ってものがないのかな?」

車のドアが開く音と同時に、一人芝居の台詞が再現されるが今度は笑えない。

渋々後ろを振り向くと、予想どうりに腕を組んで渋面の速水さんが睨んでいる。

「…乗りたまえ!」

有無を言わさぬその態度に、仕方なくあたしは車の助手席に乗り込んだ。

「こんな夜中に誰かに見られたらどうするんですか?会わないでおこうって約束したじゃないですか」

「君が電話に出ないからだろう?」

「寝てたんです」

速水さんは溜息を吐いた。

「そして、目が覚めて腹が減ったと。そんなところか」

当たっているのが腹が立つ。思わず頬を膨らませてしまう。

「そして、図星をつかれ、腹を立てている…と」

速水さんがニヤニヤしながら此方を見ている。

「さぁ、お姫様が空腹でますます不機嫌にならない内に、何か食べにいきますか」

今度はあたしが溜息を吐く番

「…誰かに見られたら、どうするんですか?仮にも速水さんは結婚間近の人ですよ?マスコミに何言われようが、あたしは平気です。
だけど、紫織さんは?違うでしょ?困るのは速水さんじゃないですか」

「ちゃんと気をつけてはいるさ。会う時間さえいつもほんの僅かじゃないか」

それまでの気安いムードは掻き消え、車内を重い空気が包み込む。

「マヤ、君に何故何度も電話をしたのか知ってるだろう?」

「言ったんでしょ…紫織さんに。何もかも捨てるって。そして、あたしと…」

「聞きたくないのか?俺が大都も速水の姓も何もかも捨てて、マヤを選ぶと彼女に伝えたその後を」

あたしは、どう答えていいかわからず曖昧に微笑んだ。

「マヤ…必ず俺はこの問題を解決する。だから、俺を信じて待っていて欲しい」

「答えになってないですよ」

「すまない…彼女が…紫織さんが、また自殺を仄めかしてきたんだ。何とか、自分を傷つけないよう、説得はしてきた」

あたしは手を伸ばすと、優しく速水さんの頭を胸に抱きしめた。

「いいんです。わかってるんです。速水さんが責任感の強い人だってこと。そして、それで苦しんでいるって事も。あたしだって、紫織さんが自殺なんかした後で速水さんと結ばれたって幸せになれないわ」

「マヤ…」

彼の柔らかいウェーブのかかった髪にあたしはそっと口付けた。

「速水さん…あたし、ちゃんと待ってます。速水さんの事信じて待ってますから。今はこんな風に会わない方がいいと思います」

「チビちゃんはいつもそれだな。会いたくなるのも、会いに来るのも俺ばかりだ。心配なんだよ…。
こうして、真夜中に出歩いてしまう、危機感のなさも、すぐに共演者と噂になってしまう警戒心の無さも…」

それは…実際そうなのだろう。速水さんばかりを責められない。

未だにあたしは、チビちゃんて呼ばれることがある。
速水さんは親しみを込めて、そう呼んでいるのかもしれない。
卒業した筈のその呼び名を聞くたび、彼の中であたしはまだまだチビちゃんなんだな…って悲しくなってしまう。

「ごめんなさい…。心配かけて。もう、こんな夜中に外出するような事はしません。
共演者との噂に関しては…あたし、速水さんに疚しい事なんか何もしてません。あたしだって仕事をしてれば、共演の人とお話ししたり、仲良くなったり、お友達を作る事だってあるわ?」

淋しいんだもの…そんな事は言えない。また速水さんを責めてしまう事になってしまう。

「…お友達ね。君はそう思っても向こうがそうは思わない。それが心配なんだよ。桜小路だって…」

まただ。なんでこうなるんだろう。あたしに隙があるのは、成る程確かにそうなのかもしれない。だけど、堂々と恋人がいますと言えないあたしの立場もわかって欲しい…なんて、こんな事も言えやしない。

「信じて下さい。あたしは速水さんしか見ていません」

「…なら、それを感じさせてくれないか…?」

髪に長い指が差し込まれて、ゆっくり速水さんの顔が近づいてくる。

ああ…キスされるんだな。こんなところで、いいんだろうか…。
冷静なあたしが危険信号を知らせるけれど、結局は彼の魅力的な誘惑に逆らう事が出来ない。

コンコン。

少しだけ唇が触れたその時、車の窓をノックする音がして、あたしの全身に緊張感が走る。
思わず顔を両手で覆い隠して、車のシートに身体を押し付けた。

コンコンコン。

もう一度運転席の窓を叩く音がした。

「警察ですが…」

流石に速水さんがウィンドウを半分程度開けると、警官が中を覗き込んできたので、あたしは助手席の窓側を見るように警官から顔を隠した。

「こんなところで、どうかされましたか?最近は変な輩も多い事ですし…絡まれないよう、どこか落ち着いた所でデートされてはいかがですか?」

「…ええ、直ぐに車を移動させますから」

速水さんは、揉めない様に素直に警官に応じるとウィンドウを閉め、車のエンジンを始動させた。

「少し、流すぞ」

思い掛け無いドライブも、こんな状況じゃなければ楽しいのかも知れない…。

「…このまま、俺のマンションへ来るか?」

一緒にいたい。あたしだってそう思う。
だけどこのままじゃ…いつかきっとバレてしまう…。

あたしは静かに首を振った。

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