everlasting

□everlasting 12
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「マヤさん、ごきげんよう。水城さんもご無沙汰しております…」

マンションに横付けされた、黒塗りの高級車から現れたのは、上品なスーツに身を包んだ紫織さんだった。

優美な笑顔で挨拶をする紫織さんの表情からは、厭悪の感情は読み取れない。
だけど、あたしは何と言って言葉を返していいのか思いも及ばない。

そんなあたしの前に、水城さんがスッと立ち塞がる。

「紫織さん、ご無沙汰しております。今日はマヤちゃんに何か御用でしょうか」

「ほほほ…何も取って食べたりいたしませんわ。…ただ、マヤさんと少しお話がしたいだけ。
出来れば、水城さんはご遠慮して頂けないかしら」

紫織さんは笑いながら、立ち塞がる水城さんを避け、あたしに近づいた。
一度は謝罪しなければと思っていたあたしは、考える事なく頷いた。

「はい。お伺いします。狭苦しい処ですが、あたしの部屋でいいでしょうか」

「マヤちゃん!…いいわ。わかりました。
マヤちゃんは今、体調を崩しているものですから、私が同伴するということで、条件を飲んで貰えるのでしたら、席をご用意いたします」

「まあ…水城さんたら、怖いお顔。
いやだわ。わたくし、とんだ悪役ですのね?よろしいですわ、その条件で。
わたくしは、マヤさんのお部屋でも、どちらかで席を設けて頂いても、どちらでも結構よ」

紫織さんが、あたしに会いに来る理由など、速水さんの件以外に無いだろう。
紫織さんは、終始穏やかな微笑みを浮かべているが、会話も穏やかに進むとは限らない。
あたしは、やはり自分の部屋で紫織さんに相対する事にした。

「…どうぞ。ご案内します」


何もない部屋にポツンとある小さなテーブルと、二人掛けのソファー。

あたしは紫織さんに、ソファーに腰掛けて貰うよう勧めた。

「結構ですわ。貴女がお座りなさいな。妊婦さんが腰を冷やしては大変よ?わたくしはこちらで結構です。突然押しかけて来たのですから」

あたしが妊娠している事は、速水さんが言ったのだろうか。
躊躇しながらも、素直にソファーに腰掛けたが、自分の家でありながらも居心地が悪い。

水城さんが流石に慌てて、クッションを座布団代わりに勧めると、紫織さんは優雅な仕草で膝を揃え腰を下ろした。

こんな殺風景な部屋に、如何にもセレブ然とした紫織さんが、クッションがあるとはいえ、直にフローリングに腰を下ろす姿というのは、何とも妙なものだ。

「さあ、どうぞ」

水城さんは、テーブルの上に、あたしのためのホットミルクと、紫織さんのために淹れた紅茶をと、それぞれ置いた。

「ありがとうございます。どうぞお気遣いなく。
では、早速ですけど…。マヤさん。よろしければ水城さんも、これを見て下さるかしら」

差し出して来たのは、雑誌が3冊。2冊は紫織さんに相応しくない大衆誌。一冊は経済誌だろうか。

「では、失礼いたします」

先に水城さんが、大衆誌を手に取った。
これが何を意味するのかもよくわからないまま、あたしも残る雑誌に手を伸ばす。

「これはいずれも発売前のカンプ(ゲラ刷り)ですわ」

「これは…」

水城さんが驚いている。
あたしも書いてある事に目を通して、何故、こんな記事が出る事になったのか、何故これを紫織さんがあたしに見せる為に持ってきたのか、直ぐには理解する事が出来なかった。

「真澄様と貴女へのお祝いですのよ」

紫織さんは驚くあたし達を見て、クスクスと笑った。

ー鷹宮家令嬢と大都芸能社長速水真澄氏、半年前の極秘婚約破棄を本誌がスクープ!ー

ー大都グループ次期総裁 速水真澄氏 秘密裏の婚約解消ー

ースクープ!大都グループ速水真澄氏は婚約解消していた⁉ー

いずれも、婚約解消がずっと以前になされていたと示唆するような見出しだ。

「ふふ…。驚かれたかしら?これは、わたくしの意思で記事にしてもらいましたの。
今日これが届きましたので、早速と思い此方にお持ちしましたわ。
明日には大都芸能にも届くと思いますけれど、まずはマヤさんに…。少々お話もしたかったものですから」

「紫織様?これは…真意はどこにおありなのでしょうか」

「だから、お祝いと申しましたでしょう?
これで、マヤさんと真澄様がご結婚されても、婚約者を寝取った女なんてスキャンダルになる事は避ける事ができるでしょう?」

確かに、こちらでどんな根回ししようが、あたしや速水さんへのバッシングは避けられなかっただろう。

「わたくしとしましても、鷹宮家としましても、婚約者を寝取られた女などというレッテルは迷惑千万。御免こうむりますの。
ですから、これにつきましては、鷹宮側から、意を唱える事は御座いません。お爺様も了承の上ですわ」

「ごめんなさい!本当にごめんなさい!」

世間を欺いても、あたしは婚約者を寝取った女。その事実を改めて紫織さんに突きつけられた思いだった。

「紫織さんには、なんて謝ったらいいかわかりません。本当に申し訳ありませんでた!」

ソファーにのうのうと座っている場合ではない。
あたしは膝をつき、フローリングに頭を擦りつけ、紫織さんに詫びた。

「マヤちゃん!」

水城さんの慌てた声。

そして、頭を下げ続けるあたしの背後から、香水の良い香りがフワリと漂い、背中に手を置かれた温もりが感じられた。

「まあ…!マヤさん、いけないわ。
さ、頭をお上げになって?わたくし、嫌味のつもりは…。あら、少しあったかしら?
まあ、いやだわ。ごめんなさい。
でも、誤解しないでね。わたくし、貴女を責める為にここへ来たのではないんですから」

水城さんが、思わず疑問を口にした。

「では、何故?」

「少しね…事実を告げたかったの。水城さんが先程わたくしに対した態度…。わたくしを嫌な女、そう思われたのでしょう?どんな危害をマヤさんに加えるか分からないって顏をされていたわ」

「申し訳御座いません」

水城さんは慌てて頭を下げた。

「仕方ありませんわ。実際、婚約解消をごねていたのはわたくしですもの。
でも、真澄様も悪いのよ?誰だって好き好んで悪役になりたいものですか。ね?そうでしょ?」

何かを思い出したかの様に、紫織さんは少し気疎い顔をした。

「お恥ずかしい話ですが、わたくし世間知らずでしょう?何でも与えられ育った我儘娘の自覚が無い訳じゃありませんのよ。
だけど、与えられる物が本当に欲しかった物かは分かりませんの。
初めて自分の意思で欲したものは…真澄様との結婚ですわ。
ですから、お慕いした真澄様が、わたくしのもとを離れてしまう事に耐えることが出来ませんでしたの。
ご存知なのでしょう?わたくしが自殺未遂などと愚かな真似をしたことを。」

「あの…ええ…」

曖昧に返事する事しか出来なかった。

「一度死に損なった者は、二度と死ぬ事は出来ませんのね…。
心と身体が回復すると、最早諦めの境地でした。
生きていくと決めてから、自分の幸せを考え続けました。
…愛してくれない方に縋る自分が、とても嫌で…そんな真澄様との未来に幸せなどないとわかっていましたの。」

「でも…その後の婚約解消の申し出にも、首を縦に振らなかったのは紫織さんでは?」

余りに遠慮の無い物言いだが、回りくどい言い方を好まない水城さんの口調は、それでも決して人を不快にしない、誠実な人柄が滲み出ている。
事実、紫織さんも気にしてはいない様子だ。

「そうですわ。でも、わたくしを解放してくれなかったのは真澄様ですわ」

「それは、何となく理解できます。真澄様はお優しいと言えば言葉はいいですけど…煮え切らないところがありましたしね」

紫織さんは悪戯な表情で水城さんを見た。

「まあ、水城さんにわかってもらえるとは、意外でしたわ…。
そうですわ。わたくしも未練が無い訳ではありませんでしたから、婚約解消を申し出てこられる度、つい、縋りついてしまいましたの。
そしてその度、わたくしを振り切る事が出来なかったのは真澄様。
わたくしの我儘とはわかっております。だけど、キッパリ切り捨てて欲しかった。
どんどん嫌な女になっていくのを自覚しながら、どうしようもなかったの…」

紫織さんは深い溜息を吐いた後、話を続けた。

「ですが、ある時…いつもと違う様子で真澄様は現れましたわ。捨て鉢な様子で…その、貴女に不埒な真似をしてしまったと…。いずれ、告発されるだろうとおっしゃって…」

「そんな事まで…速水さんは紫織さんに言ったんですか⁉」

顏が赤くなると同時に、居た堪れなくなってしまった。
やはり、知られる事は気持ちよいものではない。

「ごめんなさいね?貴女が赦していると知って口にしましたが、迂闊にお話しする事ではありませんわね…」

申し訳無さそうに紫織さんは言うが、紫織さんが気持ちを語る上で、きっと避けては通れない話しだったんだろう。

「でも…その時の真澄様を見て、わたくし悟りましたの。もう、捨てる物を無くした真澄様にどんな我儘を言っても通用しないって。そこからは、少し時間を頂いて、真澄様を諦めるべく自分の心を整理しましたわ。
いえ、実際はとうに諦めてしまったんですけど。やっぱりね、時間が欲しかったの…」

そういって紫織さんは、儚げに笑った。
胸に突き刺さる様な、寂しい笑顔だった。

「ごめんなさい…」

「ですから、怒ってませんわ。ただ、貴女とお友達になれるかと言われれば、今はまだ複雑ですわね。
でも、お二人におめでとうって言いたい、その気持ちは嘘じゃありませんのよ?
それに、嫌な女と思われたままなんて、癪に触るじゃありませんこと?
ですから、マヤさん。貴女に会いに来たの。真澄様を出し抜いてね」

紫織さんが、ウインクをしてあたしに微笑みかけた。
品があり、淑やかな紫織さんの初めて見せる、悪戯でチャーミングな笑顔だった。

「ありがとうございます。本当にありがとうございます、紫織さん…」

水城さんが、よかったわね、と肩を優しく抱いてくれた。

「でも、マスコミは抑えられても、鷹通の…お祖父様の妨害はわたくしの管轄外ですわよ。一応、口添えはしますが、期待なさらないでね?後は…貴女達が上手くやって下さいな。
さあ、わたくしはこれで失礼させて頂きますわね」

あたし達に別れを告げて去っていった紫織さんは、今まで見た中で、一番凛として美しかった。

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