*novel/POPN*
□狭間の安息
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真っ暗でなにもない、ただただ広がる空間。わずかに輝く星々のような光があるけれど、それらが本当の星かは解らない。
狭間と呼べる場所、ここに彼はいる。
わりと頻繁にパーティーなんてモノを企画するほど賑やかなのが好きなのに、普段の彼はろくに音もないこの空間に留まっていることが多い。今のような状態なら、都合が良いから尚更か。
宙に浮かんでいながら座っている彼、その周りには青白く光るモニターが複数。
所謂、お仕事の真っ最中なのだ。彼は……神は。
モニターをリズムよくタップしたりスライドさせたりして煌めく音を奏で、くるくると忙しなく動く彼は舞っているよう。神の舞いから生み出されるのはいったいなんだろう? なんにせよ、彼があんなに夢中になっているのだから素晴らしいモノに違いない。
しかして、こうなってしまうとろくに眠りもせず食事も取らず、根を詰めすぎる彼を心配せずにはいられない。神とて生きているのだから、そんな生活は御身に良くない。
「神、」
彼よりも低い位置から声を掛ける。が、これくらいで彼の集中力は切れない。
上も下もわからないような空間ではあるが、彼が上にいるからこちらが下。しっかりと足が着ける地など無いはずの場所に、己の内から真っ白なテーブルひとつと椅子を二脚取りだし、彼への奉仕の準備をする。地が無いからといって、間違っても転けたりはしないのでご安心を。
テーブルの上にまず、シンプルなデザインのケーキスタンドを。そこにサンドイッチ、スコーン、彼の好みそうなケーキをいくつか。どこから出しているか? ふふ、これにはタネも仕掛けもないんですよ。
次にティーセット。ポットを揺らせば次第に温かな紅茶が満ちてきて、注ぎ口から湯気が浮かぶ。すれば、彼の舞いがゆるやかに止まった。きっと、立ち上る香りが彼の元へ届いたからだろう。
静かに見下ろしてくる彼の表情。口をぽかんと開けて、サングラスの向こうにある目は見えないけれど、ぱちくりと瞬いているに違いない。
「……テント・カント?」
「はい」
短く応えれば彼の周りからモニターが消え、ふわり、神が降りてくる。その背後についている影がこちらを威嚇するようにジェスチャーしているが、彼はそれを手でやんわりと制した。
私、それからテーブルに目をやった彼が、ほうっと息をつく。
「……うまそー」
「どうぞ、お掛けになってください」
カップに紅茶を注ぎながら椅子を引いて促した。手が塞がっていようと彼の為に椅子を引くなんてのは造作もない。
大人しく腰掛けた彼の前に温かい紅茶とミルクにレモン、シュガーポットも。もし彼がロイヤルミルクティーを望むなら、すぐにポットもカップの中身も入れ替えよう。既にある紅茶を捨てたりするわけではありませんよ? なにかしらの中身を入れ替えるなんて私にとっては実に簡単なことですから。
取り皿とフォーク、スコーンの為のジャムにクリームも彼の前へ。獣のように体を所々逆立て、唸り声でも聞こえてきそうな影の前にも温かい紅茶と取り皿を。カップに手を伸ばしながら「お前もありがたくもらっとけ」と言う彼の言葉に、影は渋々従った。
ふー、ふー、と。白いカップを満たす紅へ波を立ててから彼は口をつける。今日はストレートでいいらしい。その動作をありもしない目に焼き付けながら、私も椅子へ腰掛けた。
こくり、と上下する喉。カップの縁を離れた唇から安堵に似た息を吐いた彼は、蕩けたような雰囲気を纏う。
「っあ゛〜……五臓六腑に染み渡るぜ……」
「紅茶を飲む少年の台詞として、いささかどうかと思いますが」
「紅茶を飲む少年として正解のセリフがわかんねえわ」
軽口を叩きつつ彼はケーキスタンドへ手を伸ばし、サンドイッチをひとつ口にくわえた。それを頬張りながらスコーンを皿に取ってふたつに割り、クリームとジャムをたっぷり盛る。そこへケーキもいくつか確保して、白い皿の上は甘く彩られ隙間がなくなった。
彼の為に用意したのだから喜んでくれるのはもちろん嬉しいが、片手に持ったスコーンをかじり、反対の手にあるフォークでケーキを一口大に切っている姿はまあ、なんというか。
「……お行儀が悪いですねえ」
「嫌ならお行儀のイイ相手を選べよ」
「お行儀の良い相手ではなく貴方とご一緒したかったもので」
「ならガマンしな」
口の端にジャムとクリームを付けてニヤリと笑う彼は神というより小悪魔的。汚れた口元を影に拭ってもらってからケーキを口一杯に頬張る姿は少年と形容するよりもっと幼いただの子供か。
「んーっ、うまい」
「気に入っていただけたようでなにより」
「お前が俺の気に入らないもん出す方がめずらしいだろ」
「それは買いかぶりすぎですよ」
謙遜すんなって、と笑った彼はまたサンドイッチに手を伸ばす。空になっていた彼のカップへ新たに紅茶を注いだ。
影はじろりとこちらを睨みつつも大人しく紅茶にミルクと砂糖を入れて、スコーンを頬張っている。それを眺めながら私も紅茶に口をつけた。
再びサンドイッチを頬張る彼が「お前そこから飲めるのか」と言いたげな目を向けてくるのがくすぐったい。何度も見ているでしょうに、いつもそうやって不思議そうな顔をするのがまた可愛らしい。
「……それにしても、今回はまた随分と長く籠っていらっしゃる」
「そうか? ここにオレが引っ込んで、表の世界じゃまだ一週間くらいだろ。どこぞの輩みたいに一千年も籠らねえから安心しろ」
「まあ一千年ここに籠られても私は会いに来れますが……この一週間、お嬢さん方のお家に一度も帰っていないのでは?」
「こんぐらいでアイツらは心配しやしねーよ」
この神はウサギとネコのお嬢さんが住む家に居候している。神であろうと男がうら若き乙女とひとつ屋根の下なんてと、ごく一般的かつ紳士的な言い分を通そうとしたこともあったが「アイツらはそんなんじゃねーし、妬くなよ」と、意地悪く笑われて終わった。
もちろん、彼が彼女達に男と女が共にある場合に危惧されるようなことをするなんて端から微塵も思っていないが、そういう対象でなくとも、あのお嬢さん方が彼にとって掛け替え無く特別大切なモノというだけで私の中、纏ったテントのそのまた奥で、ドロリと黒い想いが溢れそうになるのを神である彼は見透かしているだろうか。
あまり悟られたくはない思考に囚われているとガタリ、と椅子が鳴る音。見れば彼がカップを持ったままふわりと宙に浮くところだ。
(また、行儀の悪い)
こちらが苦笑している間に先程まで浮いていた位置に彼は戻り、周りにモニターを出現させた。もう仕事を再開してしまうらしい。
「もう少し休まれては?」
「んー、でもなあ……」
彼の細く幼い指先がモニターに触れれば光が弾けて、きらきらと音がこぼれた。ぐいっとカップを煽り、中身を空にしたそれを何時の間にか側に付いていた影に渡して、彼はまた舞い始める。
降りてきた影がむすっとして突き返してくるカップを受け取りつつ彼を見上げると丁度視線がかち合い、彼はニッと歯を見せて笑った。
「いまスッゲー楽しいとこだから、休むなんて勿体ねえんだよ」
その顔は屈託無く、まさに姿相応な少年のそれで。彼の眩しい笑顔に、胸の内があたたかく満たされる。
私が近付くことを赦し、こちらの奉仕を享受しながら多彩な表情を見せてくれるのは、多少なり私も彼にとって特別だからなのか。
そんなふうに自惚れてもいいだろうか。
降ってくる音を心地よく感じながら、テーブルと椅子にどこからともなく出した布を被せて一気に引く。すれば、短いティータイムの痕跡は香りも残さず消えた。
「あ。なあ、テント・カント」
掛けられた声に布を片付けながら「はい?」と返事をする。
きらきら輝く音を降らせて舞う神は、薄い唇に緩やかな三日月を湛えた。
「これが終わったら、オレ、ロイヤルミルクティーが飲みてえなー」
彼の言葉、ウキウキとした声音にぽかんとしてから、ふっと笑う。まったく、どこまでこの神は私を喜ばせてくれるのか。また私と、他愛無いティータイムを過ごすことをお望みらしい。
私でよければいくらでも、貴方の望みを叶えて差し上げます。子供のようなワガママでも、大人びた願いでも。
「……では次回、とびきりのものを振る舞いましょう。頃合いを見て、またこちらに伺います」
「頼むぜ」
ニカッと笑んだ彼に微笑み返す。
さて、そうと決まれば彼のお仕事をこれ以上邪魔しないように退散しましょうか。影も『しっしっ』と犬でも追い払うような動きをしていますし。
次のティータイムは、表の時間でさらに一週間後といったところでしょうかね?