OffーSeason2
□かわいいひと<1>
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暮れも押し迫った十二月三十日、杉下法律事務所では納会が行われていた。
「納会て。五人しかいてへんのに。大体が三十日まで働かすなっちゅーねん」
ぼやいたのは勿論、日出子。ではなく、夫の暢宏だった。
「いやぁ、働いた、働いた。納会のビールって旨いんやろなぁ。って車で来てるし、家帰ってゆーっくりできるわ」
「世間様がお休みになると、弁護士は忙しくなるんですよ」
日出子の嫌みを、所長の杉下が微笑みながら一蹴した。
接客スペースに一同が介しての納会は、労いの言葉もビールもない。
あるのは、五つの紙袋と、その横に置かれた桐箱一つだけだった。
「高木さんが皆さんに分けてくれたから、持って帰ってね。早く帰りたいでしょ?」
「へぇ、お歳暮ですか。これは何ですか?」
新人の小坂井が、桐箱を指した。
「そうなんですよ、所長。これ、どうしましょう?」
いつもは、てきぱきと庶務をこなす事務員が、珍しく困惑した様子で所長に訊ねていた。
訊かれた所長も、同じく困った顔をしていた。
「どうしようかね…。日出子さん、持ってく?」
「何ですか?」
「牛肉なんだけどね…」
「所長が持って帰ったら、えぇんとちゃいます?」
「かみさんと二人きりだし、こんなに食わんよ」
六十を過ぎた杉下には、子供が三人いるが、全て独立し、家庭を持っている。
「かみさんも、最近は肉とかめっきり食べなくなってねぇ。歯も悪いし」
「誰か一人が持って行っても、角が立つでしょ?」
「あ、なら俺が……」
牛肉の行く末を、本気で思案する高木をよそに、空気を読まない小坂井が手を挙げた。
「百年早いわ、アホ。どの面下げて言うてんねや」
暢宏が、小坂井の手を叩きながら言った。
「いや、でも俺、実家だし、両親も食べ盛りの弟もいるん…」
「はい、そこまで。誰が、小坂井みたいな若造に、みすみすくれてやると思ってんねん。ちょっと、いいですか?」
言葉を強制終了させられた小坂井が、それでも権利を主張する横で、日出子は桐箱の封を切った。
「結構ありますねぇ。これやったら、五等分に分けられるやろ」
「見た目悪くなっちゃいますけど、分けます?」
「そぉしよ」
暢宏が桐箱覗き込んだ。
「それくらいやったら、所長もいけますやろ?」
「そうだねぇ」
「だからぁ…」
「見た目なんか、どうでもえぇよ。桐箱も邪魔やし」
「話、聞いてます?」
食い下がる小坂井に、日出子が噛みついた。
「喧しいな。いいから、給湯室に行って、箸とラップ持っといで。あんたの分も分けたるから」
「えー?」
小坂井が、露骨に嫌な顔をした。
「何やいらんの? ほな、四人で分けよ」
「あ、いいですね。分け前が増えて」
「分かりましたよ、取ってくればいいんでしょ? いつか、絶対に訴えてやる。所長、訴えますからね」
「止めときなさい。瞬殺されますよ」
「所長ぉ〜。後押ししてくれないんですか?」
「他人を当てにしない。負ける裁判なんて、時間とお金の無駄です」
給湯室に入ると、所長の声が届かなかったのか、小坂井の返しは無かった。
「あれ? あれ?」
代わりに、引出しの擦る音や、流し台の扉をバタバタ開け閉めする音が返ってくる。
「高木さん、箸とラップってどこにあるんですか?」
「あぁもう、そこにあるでしょ? 使えない子ね」
結局は、文句を言いながらも高木が給湯室まで赴き、収束を図った。
日出子は、テーブルの上にラップを五枚敷いたうえで、桐箱入りの牛肉を手早く分けていく。
綺麗に並べられた形は崩れたが、色もサシも美しいそれを、誰もが無言で見つめている。
「何でみんな無言なん?」
「そう言えば、何ででしょうね?」
「別にちょろまかしたりせぇへんよ」
「ハハ、分かってますって」
肉は四つに分けられ、なぜか牛脂だけが乗っているラップがあった。
日出子がやおらにそれを包むと、小坂井に渡した。
「ほら、新人君の分」
「! …って、牛脂だけじゃないですか! やっぱり、訴えましょう、所長! 裁判です、裁判!」
「やいやい、言わんといて。かわいい冗談やんか。そんな時は、『うわぁ、僕、牛脂大好物なんです。嬉しくて、ちびってまうわ〜、って何でやねん』ぐらい返さんと」
「横浜に、関西の風を吹かせないで下さい」
「アホか。横浜やろが、東京やろが、風はどこでも吹いてるっちゅーねん。ほら、持ってき」
日出子は、四つに包んだ内の一つを小坂井に渡した。
「え? それだと日出子さんの分が……」
「うちはえぇよ。暢さん、それ持ってうちですき焼きしよ」
「おぉ〜、一家団欒ですか?」
小坂井が、明るいイメージをしての言葉だったが、事務所にいる誰もが、「余計なことを言うな」と、突っ込んだ。
「あんた、うちら夫婦の会話に、入ってくる勇気あんの?」