Season3 【完結】

□冬の章八 追儺(ついな)
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薔乃の声が上擦っていた。
璃青は、薔乃の胸に掛かる髪を伝い、頭を挟むようにして、髪を撫でた。
璃青の指が髪に触れただけで、薔乃の身体は熱が沸き上がり、目眩のような高揚感に襲われる。
何もかもが消えるような、許せるような気持ちに包まれた。
璃青の手が薔乃の肩へと滑り落ち、シャツの左右を合わせると、薔乃の熱は急激に冷め、戸惑いを隠せなかった。

「…どうして? …私…気持ち悪い?」
「気持ち悪くもないし、怖くもないよ」
「……じゃあ…」
「薔乃、ちょっと」

璃青は薔乃を引き寄せ、胸に押し付けた。

「私の心臓の音、聞こえる?」

薔乃は、微かに聞こえる鼓動に耳を傾けた。
璃青の鼓動は、己れの心音とは比べ物にならないほど、普通だった。

「薔乃のことは大好き。だけど、どうやってこの身体を拓いていいのか、今がその時なのか、相手が薔乃でいいのか、分からないんだ。薔乃みたいに心臓がバクバクしちゃう好きなら、何の問題もないんだけどね」
「…そしたら、私を受け入れてくれた?」
「うん」
「…私じゃ、ダメなんだ…ね…」

薔乃の視界が、涙で滲んだ。

「薔乃が、じゃなくて私が、薔乃に追い付いてないんだよ」

薔乃の瞳から止めどなく涙が溢れた。
あれほど高鳴っていた心臓は、ぎゅうぎゅうと絞られ、声を発することも出来なかった。

「寒いよ。もう、中入ろ」

璃青が布団を掛けると、薔乃は静かに崩れ落ちた。

「ごめんね…。ありがとう、薔乃」

薔乃には謝罪の意味も、ありがとうの意味も分からなかった。
謝るくらいなら、受け入れて欲しかった。
この恋の行き着く場所は、どこにもない。
薔乃は、初めての恋心を嗚咽と共に昇華させるしかなかった。



断続的に弾かれる水の音で目が覚めた。
璃青か、薔乃か……どちらにせよ、朝が来たことに間違いない。
藍は、重たい瞼を開けた。
空気は冷たく、外からの光はまだ薄暗い。
床で寝たせいか、熟睡しきれていない身体は軋み、頭の中は靄がかかっていた。

「……あ、ごめんなさい。勝手に水使ってます…」

藍に気づいた薔乃が、非礼を詫びた。
冷たい水で洗ったせいだけではないだろう。顔が赤い。

「水くらいいいけど…、君、ホント分かりやすいよね」
「……振られたんだもん……」

薔乃は、泣き腫らした瞼を、隠そうとしなかった。

「ま、そもそも、両想いなら幸せ、なんて思う方が勘違いだけどね」
「…そうかな…」

薔乃には、まだ両想いの幸せの方が、比重として重かった。
そこから派生する障害は、想像できても実感がない。
そうなる前に、薔乃の恋は終わった。

「はよ…どうしたの?」
「……璃青」

起きてきた璃青が、薔乃の顔を見るなり、落胆の声を上げた。

「うあ! やっぱ腫れたかぁ。それで家に帰すのはなぁ〜」
「大丈夫だよ」
「冷やしてたの?」
「…うん。少しは腫れが引くかなと思って」
「冷たいのと、温かいの、交互にやるといいよ」

藍がアドバイスをした。

「ホント? じゃ、温かいのもやっとこ」
「…うん」

璃青は、いつもと変わらなかった。
友達として接してくる以上、薔乃もそれを受け入れるしかなかった。完全に関係が途切れてしまう方が怖かった。

「藍ちゃん、タオル貸して」
「どうぞ」

璃青は二本のタオルの内、一本を水に浸けて絞り、もう一本を洗面台に張ったお湯に浸けた。
薔乃は、璃青から言われた通り、冷たいタオルと、温かいタオルを、交互に瞼に当て、腫れが引くのを待った。

「何か、今日はいつもの藍ちゃんっぽい」
「いふものおうぇっへほんな?」

藍は、欠伸を噛み殺しながら聞き返した。

「いつもの藍ちゃんが、どんなんかは形容し難いけど、この前はツンツンしてた」

いつもの俺が分かんないなら、比較しようがないんじゃないの、と思いながら、藍は璃青の言う“ツンツン”を適当に解釈して返した。

「俺はね、端っから喧嘩腰な奴に、寛大になれるほど出来た人間じゃないから」
「喧嘩腰って?」

藍は無言で、薔乃を差した。

「え!? 何言ってんの? どこが?」
「璃青には分かんないよ」
「えーっ、もうまたぁ!? みんな、何で教えてくれないの?」
「いちいち説明するのが面倒臭い。恋愛したら、分かるようになるよ」
「恋愛って…藍ちゃんが言うと、何かやらしいな」
「失礼だな。俺だってプラトニックな恋愛ぐらいするよ」
「本当に?」
「あるの。相手に一喜一憂したり、他人に嫉妬したり」
「へぇ〜」

感心する璃青を尻目に、藍は心の中で嘘だよーんと舌を出し、側で二人の様子を物言いたげに見ていた薔乃に、無言で頷いた。
君の言いたいことは分かる、分かるよ。
俺も、ここまで鈍いとは思わなかった。
璃青は、藍が薔乃のことを言っているなんて、思いもしなかった。
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