ダー芸ワンライ5

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俺は会社に戻るから
夏目は直帰していいよ。
原稿は俺が編集長に渡しておくから。

そう言って俺は一人、
駅へと向かった。
夏目はどこへ向かうのやら
俺とは違う方向へ
足取り軽く消えていった。


今日はやけに寒い。
いや、あの部屋が暖かすぎたのだ。
仕事をしていたとはいえ
あんな幸せそうな空間は
俺にとっては苦痛でしかなかった。

原稿を受け取り、
適当に挨拶をして出てきた。
だから気づかなかったのだ。
後ろから、腕を引かれるまでは。

『……き、……のき、くすのき!』

グイッと腕を引かれ
その時初めて、声をかけられていたのに
気がついた。
後ろを振り向いて、ギョッとした。

『なっ……、どうしてそんな薄着で!』
信じられない。
今は何月だと思っているのか。
いくらあの部屋が暖かいとはいえ
コートも着ないでなぜここに……

そして、薄着のくせに
首元だけ重装備という
なんとも不恰好な。

『こ、これ……』

はあはあと息を切らして
先生が差し出したそれは
俺のケータイで。

『え、なんでこれ……』
『ソファーの隙間に落ちてたの。
楠のでしょう?』

差し出されたそれを
冷たくなった指先ごと
握りしめる。

『コートくらい、着てくださいよ。
指先もこんなに冷えて……』

俺だったら、こんなことはさせない。
上着の一枚も着せずに外に出すだなんて。

神堂さんとよりも
俺と共有した時間の方が
はるかに長く濃いものだったはずなのに。

なんで俺を
選んではくれないのだろう。

『すぐ近くにいるかなって。
忘れてたの、楠は歩くのが早いって。
私といる時は、私のスピードに
合わせてくれているでしょう?』

そういって、首元の黒いマフラーを
グッと引き上げて
口元まで隠すその仕草が
やけに可愛く見えたから
そろそろ俺も末期なのかもしれない。

俺の無意識の行動も
先生には筒抜けなんだな。

『耳まで真っ赤ですよ』
普段なら、
そんなボディータッチはしない。
だけどなんだか、触れたくなって。
手を伸ばして触れた冷たい耳には
神堂さんから貰った
イヤーカフが付いていた。

人差し指でマフラーを押し下げて
冷たい外気に晒された小さな唇を
温めるように、一瞬で攫った。

俺と先生だけの秘密を
共有したくて──


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