ダー芸ワンライ4

□9.恋文
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窓辺で手紙を読む女
手紙を書く女
青衣の女
手紙を書く貴婦人と召使
女と召使
恋文……

フェルメールの作品の中で
手紙を扱った主な作品は
こんなにある。

そのどれもがお気に入りではあるが
今回調べているのは
【恋文】だ。


『婦人と召使いの後ろに飾られている
海と帆船の絵は、
激しい愛の隠喩である、か……』

ただ単に、一枚の絵に、
あるがままを描くのではなく
その周りに散りばめられている小道具たちに
寓意的な意味合いを持たすという手法は
非常に興味深い。

少し前に春と見に行った美術館は
実写絵画専門で
見える通りに描いたものだった。
それもとても素晴らしいけれど。


連載しているエッセイで
好きなものについて熱く語るという趣旨で
原稿を依頼された。
好きなものと聞かれたら
色々あるけれど
パッと思いついたのが
ヨハネス・フェルメールだ。

彼が描くと
女が身につけている赤いサテンのドレスも
本当にそこにあるかのように
描かれる。
美しい真珠の耳飾りも
目を惹く青衣も、ターバンも。

あぁ、考えがまとまらない。
春に断りを入れて
リビングで少し、仕事をする。
溢れてくる言葉たちを抑えるように
口の中にひとつ、飴を放り込む。

『お行儀悪いだろうけれど……』
言い訳のようになってしまうが
念のため、春に説明する。
でも、視線は画面のままで。

『ポモドーロテクニックって言うんだって』
『ポモドーロテクニック……?』

それは、25分の作業の後に
5分の休憩を入れて
それを繰り返すことでメリハリをつけ、
より短い時間で質の高いアクションが
行えるようにすること。

『でね、この飴はだいたい30分弱は
口の中で楽しめるから
これを食べ終わった頃に休憩を挟むの。
タイマーも必要ないし、
糖分も取れるし、一石二鳥でしょう?』

それに、口の中で転がしているだけで
集中力も高められる。
食べすぎないことを条件にすれば
とても良い方法だと思う。

『じゃあ俺は、その飴を食べ終わった頃に
風呂から上がるとするか』

うぅ……ゴメンね、春。
悪いとは分かっているけれど
今はこれを優先したい。
謝りつつも手元はどんどん動いていく。
今日はなんだか、調子が良いのかもしれない。

『あまり根を詰めすぎずに……』
そう言って私の頭をひと撫でして
春は浴室に向かった。

春が出てくるまでには
一気に仕上げてしまいたい。
大丈夫。きっとできるはず──



グリーンアップルから
チェリーに味を変え
今はソファーで雑誌を読んでいる。
さっきの原稿は、
あっという間に書き終えた。
やはり、好きなものを語るのは
楽しくて仕方がない。
そして今は、
そのフェルメールの作品の記事が載っている
情報誌を読んでいる。

どれもこれもしっかり書き込まれており
十分な読み応えだ。

『今度はなんの味だ?』
『んー?うーん……』

春がお風呂から上がってきたのは
分かっていた。
分かっていたのだけど……

『今は何の本を読んでいるんだ?』
『うん……』

ちょっと、待ってて欲しい。
この記事の内容を
じっくり読み解きたい。

25分の集中時間の後
5分の休憩……
のはずだったのだけど
その休憩時間も
別の味の飴を
舐めてしまっているのに気づいたのは
ソファーに座ってすぐの頃。
口寂しいわけではないのに
なぜか包みを
開けてしまった自分が恨めしい。

これではただの間食だ。
そう思いつつも
意識は本の中から抜け出せない。


ふと、圧倒的な視線を感じた。
それは、どう考えても
すぐそこにいる春の視線。

ううぅぅ……ごめん。
分かってる。
もう切り上げるべきよね。
でも、後少し。
このページだけ読ませて。

心の中で春に懺悔をして
文字を追っていくけれど
その間ずっと
春からの熱い視線が
気になって気になって。

(な、なんか……
顔を向けづらいんですけど……?)

怒っているのかな?
呆れているのかな?
時間が経てば経つほど
春に顔を向けづらくなった。
そうして5分ほど経った頃
ついに私は音を上げた。

だって、ずっと見てるんだもの!

『すごい。まるでビーム飛ばしてるみたい』

春の無言の言葉たちは
とても強靭だった。

『こっち見ろ〜。気づけ〜って感じの
強い視線だったから
すぐに気づいたんだけど
なんか面白くなっちゃって。
気づかないフリをするのも大変だったわ』

もちろん、全然内容が頭に入らなくて
これはもう、一人の時に読むしかないと
諦めた。


無言の春が、こちらに近づいてきたかと思ったら
私の手にある、食べかけの飴を
いきなりガリガリと
噛み砕いた。

(え?春ってこんな甘い飴を、
好んで食べる方だったっけ?)

『どうしたの?珍しいね。
春が甘いものを食べるなんて』


喉のことを考えて
春はいつも同じのど飴を舐めていた。
だから、こんな甘いフレーバーは
滅多に食べることはないと思っていたのに。

『春には少し甘ったるくない?
私、続けて食べちゃったから
口の中がずっと甘くて……』

そう、さすがに30分以上も
飴を舐め続けると
口の中がどうも甘ったるいのだ。
なにかさっぱりしたものが欲しい。

『続けて飴を舐めると
ずっと糖分が口の中にある状態だから
あまり感心できないな。
虫歯の原因にもなるだろうし』

軽く春に咎められ
申し訳ない気持ちになりつつも、
なんだかちょっと、
お母さんみたいな物言いで
風邪を引いた時のあのシーンが蘇る。
春のお節介がまた始まったのかなって。

そう思っていたのに。

いきなり春は
私の後頭部を押さえ
口内をまさぐるような
激しいキスをしてくる。

二人の口内で混ざり合った甘い唾液が
だらしなく開いた私の唇から
少しだけ滴る。
それすらも舐め取ってしまうような
激しいキスに
頭がクラクラする。

(確か……フェルメールの【恋文】は……
女性らが居る部屋とは
別の部屋から覗いているかのような
複雑な空間構成で……)

さっきまで読んでいた記事の内容と
春の熱い視線がリンクする。

春の想いのこもった【恋文】が
ダイレクトに届いた気がした。


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