ダー芸ワンライ4

□8.春の強敵
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カチャカチャとキーボードを叩く音。
コロコロと口の中で転がる飴。
時々、うーんと唸っては手を止め
画面を凝視する。

『すぐに終わるから、
ちょっとだけ仕事させて』

そう言って、
リビングでキーボードを打ち込む彼女が
口に含んでいるのは
白い棒が付いた飴玉。
カラフルな包装に包まれたそれらは
色々なフレーバーがあるらしく
今食べているのは、グリーンアップル味。

『お行儀悪いだろうけれど……』
視線を画面から逸らさずに
俺に話しかけてくる。

『ポモドーロテクニックって言うんだって』
『ポモドーロテクニック……?』

それは、25分の作業と5分の休憩を
繰り返すことでメリハリをつけ、
より短い時間で質の高いアクションが
行えるようになるのだとか。

『でね、この飴はだいたい30分弱は
口の中で楽しめるから
これを食べ終わった頃に休憩を挟むの。
タイマーも必要ないし、
糖分も取れるし、一石二鳥でしょう?』

つまり、約30分はこの飴玉が
彼女の唇を占領するということか。

『じゃあ俺は、その飴を食べ終わった頃に
風呂から上がるとするか』
『ん……ごめんね。
この仕事だけ終わらせてしまいたいの。
春はゆっくり、湯船に浸かって
体を休めてね』

そう言いつつも
視線はPC画面に釘付けだ。
目も口も、今は俺以外のものに
占領されてしまっている。

飴とPCにヤキモチを焼くだなんて
末期症状だ。
手に負えない。

『あまり根を詰めすぎずに……』
彼女の頭をひと撫でして
俺は浴室に向かった。
いつもはシャワーばかりだが
今日は湯船に浸かって
新しい曲の構想を練ることにする。
彼女が飴を食べ終える頃を見計らって──




濡れた髪をワシャワシャとタオルで拭きながら
リビングに戻ると
そこで信じられない光景を目にした。
PCは閉じられ、ソファーに座りながら
彼女が本を読んでいた。

いや、別にそれは良いのだが
問題は、口元。
彼女の口から
先ほどと同じ白い棒が見える。

テーブルの上には
飴玉の包み紙が。

(今度は……チェリー味か)

せっかく30分かけて時間を潰したと言うのに
またさらに30分も飴玉に支配されるとか
冗談ではない。

しかも彼女の視線は、
今度は書物。
これは手強い相手だ。

物語に没頭している彼女に
声をかける。

『今度はなんの味だ?』
『んー?うーん……』

『今は何の本を読んでいるんだ?』
『うん……』


視線も、意識も、
全然こちらになびいて来ない。
これは由々しき事態だ。

リビングの椅子に座り
テーブルに肘をついて
ソファーに座る彼女を見つめる。
俺の視線に気づくだろうか。


時折、クスクスっと笑ったり
コロコロと音を鳴らして
飴玉を口の中で弄んだり。
そんな彼女を俺はずっと見つめていた。
早くその飴玉が、溶けないだろうかとか
早くその物語を読み終えないだろうかとか
そんな事を考えながら。

時間にして5分ほどだろうか。
いや、俺にはもっと時間が長く感じられたが。

ふいに彼女がパタリと本を閉じたかと思うと
クスクスと笑いだした。

『すごい。まるでビーム飛ばしてるみたい』

何のことだ?
物語の中の話だろうか?

まだ飴玉が残る白い棒を
口から外して
彼女が言葉を続ける。

『こっち見ろ〜。気づけ〜って感じの
強い視線だったから
すぐに気づいたんだけど
なんか面白くなっちゃって。
気づかないフリをするのも大変だったわ』

その後はもう、全然内容が頭に入らなくて
なんて彼女は言ってのける。

俺の苦悩の5分を
(体感的にはそれ以上だが)
彼女は分かって知らぬフリをしていたとは。

しかし、書物には勝ったようだ。


彼女のそばまで歩み寄り
膝をついて目線を合わせる。

随分小さくなった飴玉を
再び口元に持っていこうとする手を掴み
そのまま俺の口に放り込んだ。
そして、ガリガリと噛み砕く。

彼女の手には
白く短い棒だけが残った。

『どうしたの?珍しいね。
春が甘いものを食べるなんて』

まったく……。
人の気も知らないで。
かと言って、飴玉に嫉妬していたなんて
口が裂けても言えない。

とりあえず、邪魔者(と言っていいのだろうか)は
いなくなった。
彼女の視線は俺に向けられ
唇もいまはフリーだ。

『春には少し甘ったるくない?
私、続けて食べちゃったから
口の中がずっと甘くて……』

何の変哲も無い飴玉が
こんなに強敵だとは思わなかった。
形無くしてもなお、
彼女の口内に残っているとは。

『続けて飴を舐めると
ずっと糖分が口の中にある状態だから
あまり感心できないな。
虫歯の原因にもなるだろうし』

もっともらしい理由をつけて
本心を隠す。

そしてそのまま、彼女の口内を
味わうように舐め回す。

確かに、甘ったるい甘味料の味だ。
本来の彼女の甘さとは全然違う。
人工的に甘いそれを拭い去るように
執拗に口内を貪る。
[本来の彼女の味]に戻るように。


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