小説
□KAGOME
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夢見が悪くて眠れない夜は、ひっそりと部屋を出て廊下を歩いた。ひんやりとした空間に身を投じて、誰もいない、長い長い通路を、まるで身体から切り離されたたましいがさ迷うようであった。夜の廊下はしんと鎮まりかえっていて、自分がたてる足音だけがやけに大きく感じた。この両足が無意識のうちに闇の中を求めたのか。それとも犯した罪を慰めようとでもしたのだろうか。
「……高弥?」
てっきりひとりだと思っていたのだから、突然あがった声に驚くのが普通だったのかもしれない。だがその時は、高弥はその声に呼ばれるのを前もって知っていたかのように、そして自分でも不思議だとおもうほど落ち着いていた。「どうしたんですか、こんな夜更けに。どこか出かけるの?」この少年の姿をした主に、皆もようやく慣れてきた頃だ。高弥は主と視線の位置を同じにしてから「いえ、何も。ただ少し、眠れなくて」と答えた。恵比須はしばらくキョトンとしていたが「そうですか」と困ったような顔をした。その闇の似合わぬその鈴を転がしたような幼い声に、彼のひとの面影はどこにもなく、高弥はどこか安心していた。そしてそのことにいつも、どうしても腹が立った。
恵比須から視線を逸らすと、さっきまで夢の中でながれていた童歌がまた腹の中を煩くしだした。かごめかごめと回る幼子の声の終わりに、頭の上で「きぃ」と鳴いた目玉がギョロリと開いて目が覚めるのだ。毎晩同じ夢をみて、背中まで汗でびっしょりになる。気持ちが悪い、そんな日は犯した罪を賤しくも慰めるように、こうして蛇のように廊下をねりあるく。惨めな自分を少しでも、無意味だとわかっていても、赦されざる罪から少しでも解放されたいと願ってしまうのだ。そうして自分が、嫌で嫌で仕方なくなった。
「すこし、休息が必要かもしれませんね。高弥はいつも、いちばん辛い仕事をうけもってくれますから」
恵比須はそう言って高弥の手をとった。
もうひとりの主に名前を返してから、この恵比須邸で暮らすようになったこと。新しい道司の考えと、恵比須の曲がらないまっすぐな正義。そしてそれを支えるひとりになれたことは、本当に奇跡のようであった。
「高弥……?」
心配そうに覗き込んでくる恵比須の瞳に、自分の泣きそうな顔が映っていた。もう二度と、この痛々しいほど優しいひとを傷つけてはならなかった。高弥はその手を強く引き寄せ、我儘なこどものように、我が主の身体を自身の腕のなかに綴じ込めた。
小さな背中に回した自分の腕が、絞り出した声が馬鹿みたいに震えた。それでも、こんな私でも、愛してくださるのですか。
「ごめんなさい……」
かごめかごめと唄う幼子の、あのときの恐ろしい光景を思い出し、この名に懸けてお守りすると、言えない自分の弱さを呪った。
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お題「わらべうた」
2016/4/26(火)1:00