小説

□アナタのこと
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 夜トが考えていることはある程度なら言い当てる自信があった。
 それは決して彼のすべてを知ろうとかそんな大それたことを試みようとしているわけではなく、夜トと一緒にいるささやかな日常のなかでは、彼の様々な感情の表れ方がただ単に分かりやすいものだったからだ。
 柄にもないようなうっとりとした溜息を溢すとき、突然鼻の穴がひくひくと動き出すとき、ゆるふわで天使になっているとき。
 そんな無防備であからさまな姿が見られるのも、つまり夜トが自分に心を許してくれているからで、かつ信頼を置かれている存在であるからだと自惚れてしまうほどには、ひよりは夜トのことをとてもよく見抜くことに長けていた。

「夜ト。クレープ買うならみんなの分も、ですからね」

 急にそわそわし始めた夜トの態度や、視線の向こうにある古ぼけたワゴン車とそのすぐ隣ののぼり旗の文句を見れば、彼が次に何を言い出そうとしているのかを当てることなど造作もないことだったのだ。目をまんまるにして驚いている夜トに「食べたいんでしょう?」と笑って訊ねる。

「ひよりって、エスパーみたいだな……」
「いえいえ夜トが単純なだけです」

『単純』と言われたのが不本意だったのか「バカにしてんのか」と夜トはぷうっと頬を膨らます。

「バカになんて、」
「いーやしてるね!ひよりの考えてることなど全てお見通しだ」

どーんの胸をはり偉そうにしている夜トに見下ろされながら「バカになんてしてませんよ。はいお金、レシートちゃんと貰ってきてくださいね」と千円札を二枚、手渡す。すると先ほどまでのオレ様気取りは何処へやら「よっしゃ!ひより、なに味にするぅ?」とコロリ表情を変え、白い歯をみせるのだった。

 人混みの中へ駆けていった夜トを見届け、一人残されたひよりはそこから少し離れた所にずらりと並んでいるガチャガチャの列をを見つけた。
 近寄って眺めていると、今時のものは一度まわすだけで三百円も使わなければならないものまであることに驚いた。いつからこんなにするようになったのだろうか。コイン一つでこと足りるようなカプセルトレイは指で数えるくらいしかない。
 流行りのアニメキャラクターだったり、オリジナルの女の子がお茶碗のふちからぶら下がっているものだったり、内容はさまざまだった。
 カピパーが色んなポーズをとっているキーホルダーというものに目をとめる。それがなかなか、どれも可愛かった。中でも『お昼寝カピパー』というのが一番気に入った。寝ている姿がどこか夜トに似ている気がしたからかもしれない。
 ひよりは小銭入れの中身を確認し、百円玉が足りないのですぐ脇においてあった両替機でお札を崩す。
 一回二百円のレバーをまわすと、まず『ムンクの叫びカピパー』というのが出てくる。二度目は『ラジオ体操カピパー』、三度目は『失意のカピパー』であった。膝を抱えてどんよりとしているそのカピパーは、夜トの落ち込みかたと同じで思わず吹き出してしまった。
 再び『ラジオ体操』が出てきたとき、なんだかとても大人気ないようなことをしている気持ちが起こった。が、どうしても『お昼寝カピパー』が欲しいのと、それを受け取ったときの夜トの顔をいろいろ思い浮かべながら、ひよりはまたコインを投入しレバーをまわす。しかし出てきたのは『長老カピパー』だった。
 六つ目の『たそがれのカピパー』で全ての百円を使いきってしまったようだ。膝の上に空になったカプセルを並べて、ひよりは少しだけ疲れてしまっていた。まずこういう時に限って狙いは外れてしまうものなのだ。肩をすくめて六つのカピパーを鞄にしまい、ひよりは諦めきれない気持ちをころして立ち上がる。そろそろ夜トも戻ってくるだろう。もといた場所へと歩き出そうとした。


 後ろから大きな声で名前を呼ばれびっくりして振り向いたのと、ドンッという音がするくらいの強烈な衝撃を受けたのはほぼ同じタイミングだっただろう。目の前が突然真っ暗になりひよりは目を回した。
 それがタックルではなく抱擁であることと、その相手が自分の好きな香りだということに気がつくまで、少しだけ時間が必要だった。ぶつかった鼻の頭が、パニックを起こしている。

「や、夜ト……?」

 ようやく発した自分の声は夜トの服に吸い込まれくぐもってしまっていた。広い胸板をいくら押し返してもまったくかなわない、もの凄い力だ。
 頭の上からふってくる弱々しい声から、ひよりは夜トの思っていることを大体察することができた。だがそれは決して彼に対して確認することではないような気がした。

「夜ト……」
「……ん」
「くる、しいです……」

 もぞもぞと動いていると夜トは腕の力を緩めた。隙間が作られるとそこでようやく、くらくらするような良い香りが身体中に入り込む。頭がかんたんに沸騰してしまいそうだった。ゆっくりと深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。

「勝手にいなくなったりして、ごめんね?」
「……ひよりの、バカヤロー」
「うん」
「めっちゃ探したぞ」
「……うん」
「今日なんかスゲー可愛いし、ナンパされたかと思ったじゃんか」
「今日は……おしゃれ、したかったんですよ」
「オレのためにか?」
「さあ……どうでしょう?」 

 冗談めかした発言も、自分を気遣うばかりの夜トの優しさで。
 突然消えてなくなってしまうということが、今までにどれだけ彼を悲しませ、傷つけてきたのか。
 自分のことを大切におもってくれる夜トの本心を、見落としてしまっていた。


「……カピパーのね、ガチャガチャを見つけてつい夢中になってしまいました」

 カピパーという言葉に反応を示し、ひよりをそっと離した。

「……カピパー?」
「はい、夜トも喜ぶかなあって」

 ビニールに包まれたカピパーのキーホルダーを鞄から取り出して見せると、夜トはぱあっと頬を染め上げ明るくなる。想像していた通りの表情を見ることができてひよりはホッとした。
 その夜トの笑顔が見たかったのだと、伝えたかった。
 いつまでもそばにいてほしいのは自分も同じだということを、彼に伝えたかった。


 夜トをすべて知ろうとか、なんでも分かろうとかそんな大それたことなどしなくてもよかった。
 こんな風に向き合ってさえいればいい。こうしているだけで夜トの心は知れるのだ。夜トはいつだって、惜しみ無くそのままの自分をくれるから。

 さっきまで背中に回していた夜トの手は、ぷらんと下がり行き場をなくしていた。ひよりがそれを掬うように握ると、夜トは顔をくしゃくしゃにして笑った。


「……ありがとな、ひより」


 呼ばれた自分の名前にこめられたさまざまな思いが、繋いだ手から流れ込むように伝わってくる。それが夜トとの、これからを作っていく原動力になる。

 ひよりはそれを、ずっとそばにいて支えたかった。
 ずっと、変わらないように、そのまま。



2016/4/10 アナタのこと


『お昼寝カピパー』は夜トがもらってきたお釣りを使ってようやく当てることができました。よかったね

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