小説

□甘い香り
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 今年も街はチョコレート菓子を求める女性で溢れかえっているらしい。どこかのテクノユニットの歌の文句じゃないが、テレビのニュースで流れていたデパートの地下の様子は、たくさんの人で賑わって揺れそうだった。

「ったく…。日本人のイベント好きの傾向はいつからだ?別に日本の祭りでもなんでもないっつーのによぉ。どこの国かもわからんオッサンの誕生日だか命日だか知らんが、そんなことよりオレ様を祀れ日本人!」
「なにを他人事みたいに…。おまえだって楽しみにしてたろ、バレンタイン」

 妖退治も一段落。ノルマを果たし、今日もあとは日が沈むだけ。布団の上でだらしなく寝そべって、現代の日本について語りだした主に一声かけ、雪音は宿題のドリルにペンを走らせる。先ほどから夜トがぶつくさ文句を言いながらもどこかソワソワしているのは、下の階でひよりが小福と一緒にチョコ作りに勤しんでいるのが原因だ。ひよりには「出来上がるまで降りてきちゃだめですよ」と言われてしまっている。せっかくの日曜日なのに彼女がちっともかまってくれない退屈さと、自分たちのために一生懸命お菓子作りをしてくれているということのくすぐったさ。夜トは下から漂う美味しそうな匂いに頬を緩ませ、眠たそうに欠伸をして布団にうずくまっている。

 夕方からやけに風が強くなった。日中はずっとぽかぽかしていて夜トもゆるふわを外していた。あまり実感はわかないが、春はだんだんと近づいているようだ。

 窓がガタガタと音をたてる。その強い風に、夜トは昨年の夏を思い出した。黄泉の一件が終わった頃上陸した台風。「去年の台風は凄かったよなあ」とむにゃむにゃと話しかければ、雪音は計算に熱中しているらしく「そうだね」と気のない返事を返される。「雪音までかまってくれないの…」と、まるで田舎から遊びにきて年の離れた従兄弟にかまってもらえない小さい子供、みたいな拗ねた声をだす夜トに、雪音は溜め息をついて振り向く。

「オレは今宿題やってんの!ひよりがお菓子作り終わるまで黙って待ってられないのかこのジャージ!」
「だって…」
「だってじゃねーよ!疲れてんならひよりが来るまでしばらく寝てろ!めんどくせえ奴だな。ほーら台風だぞ、雨が降ってきましたー」
「ぶほぉっ?!」

 つかつかと夜トに近づいて行って雪音はそばに重ねてあった布団や毛布を夜トに覆い被せる。いちまーい、にまーい、さんまーい。
 きゃあやめてーと夜トが埋もれていく姿に、雪音もだんだん楽しくなって上からどーんと乗っかって身動きがとれないように圧力をかけてみる。「どうだまいったか夜ト、ひより来るまで大人しく寝てろ!」と言って雪音は布団の山から降りると、中にいる夜トが動かなくなっていることに気づく。「あ、やべ。死んだか?(笑)おーい、夜ト」と声をかけたが返事はなくて。死ぬことはないと分かっていても、流石にやり過ぎたかと雪音は布団の中に腕を入れてみる。突然グッと引っ張られた。

「うわっ?!」
「さあお昼寝タイムだぞユッキー」
「い、いやだー!離せよっ!くそっはーなーせーこのクサい!」
「酷っ!?」

 布団の中に引きずり込まれ後ろからがっちり捕まえられる。雪音は必死に抵抗してみるが夜トの力に叶うわけもなく、もがけばもがくほど掴んだ腕は強くなっていき雪音は諦めて脱力。間もなくして後ろからすうすうと本当に子供みたいな寝息が聞こえてきた。

(寝んのはやっ、赤ん坊か!)

 雪音は主の子供っぽさにいつもの如く呆れてしまうが、確かに今日は珍しく100匹ノルマを達成したのだ。何枚も重なった布団のぬくもりと、夜トの体温(少しじめじめしている)に雪音も次第にまぶたが重くなる。

(…宿題、まだ終わってないんだ、けど)

 突然襲ってきた睡魔に抗うことも出来ず、雪音はゆっくりと眼を閉じ深い眠りの海へ微睡んでいった。

***

 ひどい嵐の中。夜トは一人、走っていた。放った筈の野良を握って、あの嫌いだった着物を纏い息を切らせて、全力で走る。
 身体中に下水を浴びた、物凄い異臭と全身に広がったヤスミ。あちこちに刻まれた細い傷痕は、黄泉の女王の髪の毛だと気づく。


「「夜   ト  さあぁん?」」


 闇の奥から恐ろしい声が聞こえる。ぶるっと身体を震わせ、目をかたく閉じる。振り返ることなく、がむしゃらに走った。

「「お茶をどうぞ」」

 壁岩が崩れて、来た道が塞がっていく音。床が割れて溢れてくる水の臭い。寄って、近づいてくる髪を緋器で蹴散らし、ひたすら出口を探していた。

「「お菓子をどうぞ」」

 肩に手をまわされる。シュルシュル、シュルシュルと長い黒髪がまとわりつく。

「「ずっと、」」

 甘い、優しげな声がする。細い指で首もとに触れられて、新しいヤスミがまた増えた。悪臭を漂わせ近付き、闇の中へ誘う。
 杯に注がれた液体に、自分の顔とひよりの顔をした女が映る。柔らかくて形のいい唇が耳元に寄せて囁いた。


「「ずっと一緒にいられるのよ」」


 ぐら、と頭が揺れる。鼻にまとわりつく嫌な臭いが、

「「おいてかないで…」」

 一瞬、心地よいと感じて振り向いた。笑っていた筈の女の瞳から次から次へと大粒の涙が溢れていく。追い詰められて、生きることに苦しんでいる、どこかで見たことのある表情だった。
 ずるずると女の長い髪が身体に絡まって、動けなくなる。否、動くことを止めた。


「「一緒にいて…」」


 こんなとき、どうしたらいいんだっけ。

 どうしたら、ひよりを救えるんだったか…―――。



「夜ト!」

 少年は主の名を呼ぶ。

「はやく離れろ!そいつはひよりなんかじゃない!」

 雪音がつくった矛がイザナミに襲いかかり、長い髪が怯みゆるりと距離をとった。すると雪音の声に反応するかのように、手にしていた緋器が分散して消えていく。目の前に駆け寄りイザナミに立ち向かう雪音の小さな背中が、初めて出会った頃より大きくなったように思えた。

「…オレ、兆麻さんとこ行って術の修行頑張ったよ。縛布だって出来るようになったし、呪歌だって覚えた。く、暗闇は、そりゃ、まだ怖いけど…。…それでも夜トを守るならどこだってついていくって決めたんだ」

 ぐるりと振り向いて夜トを真っ直ぐ見据えた。

「夜トの進むべき道は、オレが示す!オレが夜トを守る!名前を呼んでくれ、夜ト!!」


***


 ガタガタと窓が大きな音をたてる。薄目を開けて部屋の中はすっかり暗くなってしまっていた。

「…う、」

 腕の中で雪音が身動ぎをする。積み重ねられた布団や毛布をすべてよけて、雪音から手を離した。むく、と起き上がって目を擦り、寝ぼけ眼の雪音がゆっくりと話し出す。

「へんな夢…。夜トがひよりの顔した女に掴まってた」
「それ、オレが黄泉で逃げ回ってた時の記憶、に雪音が入ってきたのな…。へんなの…」

 ぱちぱちと驚いたように瞬きをして「…今、おんなじ夢見てたってこと?」と雪音が訊ねる。はっきりとはわからないが、多分そういうこともあるのかもしれない。「…へんなの」と夜トがもう一度呟いて、ぷっと吹き出した。雪音も欠伸をしながら、笑う。

「…誘惑されて固まってるし。なにやってんだよ、はやく離れろよな」
「それ、野良にも言われた…」
「…誰だって言うとおもうぞ」
「うぅー、だってひよりが…」

 そこで階段を上ってくる音がして会話終了。ひょっこり顔を出したのは小福だった。

「わ、真っ暗!夜トちゃんたち起きてる?夕飯もお菓子も出来上がったから降りといで〜」

 雪音が眠たそうな声で返事をして、立ち上がって階段のほうに向かって歩き出した。

「…雪」

 夜トがその後ろ姿に声をかける。雪音は振り替えって「なに?」と答える。

 黄泉には連れて行かなくて正解だったと、あの時は思った。雪音にはない強さが緋にはある、今回ばかりは野良で良かったなんて、馬鹿なことを考えたものだ。

『名前を呼んでくれ』

 さっき、雪音が言ってくれた言葉を思い出す。
 一年前の禊では、呼んでやらなくちゃ消えてしまいそうだったのに。いつのまにかこんなに頼もしくなっていたのだ。十四で彼岸に来てしまった少年。あんなまっすぐな瞳で自分を守ると言った神器は、雪音だけだ。

 突然呼び止めて、何も言わない夜トに違和感を覚えたのだろう。雪音が変な顔をしてこちらをみおろしている。早く下に降りてひよりたちの作ったチョコ菓子を食べたいのだろう。明らかにじれったそうにしている瞳に、少年のあどけなさがあった。

「…ホワイトデーは、パパと一緒に作るか!」

 と言って笑えば、雪音はため息をついて「寝言は寝ていえ」とぼやいて今度こそ出ていってしまった。

 後に雪音がお菓子の作り方がわからず、夜トと一緒にホワイトデーに向けて特訓をすることになるのだが、それはまた別の話。


***


「おお〜、すげえ旨そう!」

 雪音が嬉しそうに目をキラキラさせる。テーブルの上に置いてある、しっかりとデコレーションされたホール型のガトーショコラはとっても美味しそうな香りがした。

「ケーキは小福さんと一緒に作ったの。これはみんなで食べる分ね。夜トと雪音くんと大黒さんには私から、手作りクッキーがあります」

 一人ずつ、綺麗にラッピングされたクッキーが手渡され、三人とも大いに喜んだ。

「食べたらもれなくひよりんの毒に当たるのよぉ〜」

 小福の発言に大黒が珍しく乗っかって「そいつぁいったいどういった毒なんだ、ひよりちゃん」と聞けば。普段なら冗談を言わないひよりもこれまた珍しくちょっとだけ、色っぽい表情をつくって、


「ずっと一緒にいられるのよ」



 みたいな?と照れ隠し。すぐいつもみたいに笑った。

 同時に夜トと雪音は顔を見合わせ、お互いしばらく同じことを考えたんだとおもう。夢の中でみた魅惑の女?いやいや、ひよりのほうが格段に色っぽいだろ。

 そして突然笑いだした二人。

 ひよりも小福も大黒も、ただ不思議そうに眺めるのであった。


***


「ひよりのクッキー、美味しかったなぁ」
「ほんとは焼きたてが美味しいんだけどね。ケーキはどうでした?」
「スゲー旨かった!オレ、ああいう濃厚なの大好き。普通手作りのガトーショコラってパサパサしちゃうのに」
「ホント、大成功でしたね。ちゃんと小福さんにも分かるような、簡単な作り方なんですよ。それであんなにチョコの濃厚な感じを出せるなんて、流石は私のお母さまのレシピ!」
「ひよりん母ちゃん、すげーな。あの小福でも作れるなんて…。よく台所燃えなかったと思うよ」

 強い風ももうおさまっていて、帰り道はいつもより暖かい感じがする。道端に飛び散らかったゴミ箱や、倒れた自転車とかを元に戻しながら歩いていたら、いつもより遅くなってしまった。親には遅くなると連絡してあるので問題はないし、ひよりはもう少しだけ夜トと手を繋いで歩いていたいとおもう。
 月の明かりだけが暗闇の中で道を照らす。この素敵な道を夜トと一緒に歩くことができるのは、あと何回だろうか。


「…ひよりのクッキー、今頃毒がまわってきた」

 夜トがポツリと呟いて繋いだ手を『にぎにぎ』してくる。

「…あれ、実は夜トのにしか入ってないんです」

 ひよりも返すように『にぎにぎ』。

 しばらく二人は何も言わず『にぎにぎ』を繰り返して、そうしているうちにひよりの家の前に着いてしまった。


 今日は楽しかったね、また明日会いましょう。
 このまま、世界がとまればいい。さよならを、言いたくない。


 このいとおしいひとに、今日はちゃんと伝えよう。ひよりは自分の掌を合わせて、自分の顔の前に持ってくる。

「夜ト、これ覗いてみて」

 夜トが一瞬キョトンとしたが、ちゃんと体をに少しだけ屈めて、膨らんだ掌で作った入れ物を覗く。

「そのまま、目を瞑って」

 夜トは言われるがままに目を閉じる。次の瞬間ふに、という感触が唇に訪れ、甘い香りがした。咄嗟に目を開くと、ひよりの柔らかい唇が、そっと離れていく。



「…好きです、夜ト」


 ひよりの毒に侵されて、夜トはこのまま、少女を帰したくないと、素直におもった。




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