小説

□サ店
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「そう、うちの母の妹の旦那さん。今は北海道に住んでるんですけど」

 珈琲の良い香りと、紅茶のちょうどよい色加減。BGMで流れている音楽は聴き覚えがある。この滅茶苦茶な弾き方に、面白いくらい聴き心地の良さを覚えてしまうバッハは、多分グレングールドだ。確かゴールドベルク変奏曲だったとおもう。ははは、何だこのテンポ。

 目の前に座るのは、普段下ろしたままの綺麗な黒髪を三つ編みにした少女。襟元に小さな薔薇の刺繍の入った、ベビーピンクのワンピースを纏い、アンティークのコップに注がれた紅茶を飲んでいる。

 今日はひよりが来てみたかったというこの喫茶店で、二人きりでお茶をすることになった。最初、雪音も誘うつもりで声をかけてくれたんだろうに「オレ、大黒さんの手伝いがあるから」とか言ってなぜか断っていたウチの祝。そのとなりで小福が「ユッキー、気が利くぅ」などとニヤニヤしていた。あいつが余計なことを言うせいで、今日のオレはどうも落ち着かない。いつものジャージとゆるふわを身に付けていないせいでもあるかもしれないが。
 まだ熱くて飲みにくい珈琲を少しだけ啜ってみる。こういった類いは今まであまり口にする機会が無かったので、オレは取り敢えず一番安かったブレンドを選んでみたんだが。先ほどのひよりは、店員がメニューを下げていくのを眺めながら「夜トが珈琲飲むとか意外ですね」などと驚いていた。オレがここでオレンジジュースを頼むような男に見えるか?と問えば図星だったのか、ごめんなさいとクスクス笑ったひより。いつもと違う雰囲気の彼女に、心なしかそわそわしてしまう自分がいる。


「私の義叔父に当たるわけだけど。その義叔父さまがね、浪人時代によく遊びに来てたらしいの。この間連れてきて貰ったときはちょうどお休みだったから、今日は来れてよかったです」

 ひよりが話しているのは、最近遠方より訪ねて来ていたという親戚の話。その義叔父さんとやらが昔この辺りに住んでいたことがあるらしく、この店のことも彼に教えて貰ったらしい。
 店内をぐるりと見渡した。至るところに色んな『想い』が込められているのを感じる。人の念や呪が凝り固まったものが妖になるのと裏腹に、こういった良い感情や思い出が積み重なった空間は長い間在り続けることが出来るんだろう。そんな場所、滅多に目にすることはない。珍しいな、と素直に感動。昔から変わらずにあるこの喫茶店は、この町の色んな人から愛され続けてきたことがひしひしと伝わってくる。

「どうかしましたか?」

 そんなことを考えていたら、不意にひよりがこちらの様子に気がついて声をかけてきた。

「あ、いや。良いとこだなと思って、ここ」
「ふふ、よかった。夜トにも気に入って貰えて」

 ほんのり薄く引かれた口紅。そのミルク色と薔薇色だけで構成されたかのような頬がふんわりと微笑む。
 なんでこんなにドキドキするんだろう。ああ、やっぱり今日のオレ、なんか変だ。



「お待たせしました」

 店員が持ってきた二つのショートケーキ。オレとひよりの前に一つずつ置かれる。頼んだ覚えがなくて、ひよりと目を合わせておろおろ。ひよりが慌ててそのことを伝えれば、男だか女だかよく分からない顔立ちの店員は、にっこりと笑って答えてくれた。

「本日はカップルでお越しのお客様限定で、こちらのケーキをお付けするようにと」

 カウンターのほうに立つ店長らしき女性の方を示すと、こちらに気づいた彼女もまた、にっこりと微笑む。半分減ってしまっていたお冷やを注ぎ足して、店員はスッと下がっていった。

 置かれたケーキに視線を落として、上に乗っかる苺は多分採れたてだということがみてわかる。赤く熟れたその果実が真っ白な生クリームの上に行儀よく座っている。

『カップルでお越しのお客様に』

 そろりと顔を挙げてみれば、ちょっとだけ照れ笑いのひより。だからそういう顔、こっちまで伝染るからやめて欲しい…!オレは目を細め、下唇を突きだしてわざと変顔で誤魔化す。ぷぷぷ、とひよりが吹き出すのを確認して、ようやくこちらもいつもの調子に戻ることができた。

「ラッキーだな、有り難く頂戴するぜ」
「そうですね、頂きましょうか」

 小さめのフォークを手にしてケーキにたてる。サク、と良い感じの音がしてそのまま綺麗に一口分だけとり、食べる。甘い。
 ひよりも同じようなタイミングで口に運んで、満足げに笑っていた。その笑顔がなんだかくすぐったくて、オレはたちまち落ち着かなくなる。

「ね。フォーク、色ちがい」

 ひよりがフォークの頭の部分をこちらに見せてきた。宝石みたいな、埋め込まれた色の配当は店員のちょっとした心遣いか。ひよりのはピンク、オレのはブルー。
 その些細な発見に嬉しそうに喜ぶひより。自分の欲目を抜きにしても、本当に可愛いとおもう。

 オレは右にフォークを持ったままテーブルの上に放置し、左の掌を広げて、ぐっと握る。それを口元に持ってきて、目線だけでひよりを捉えてみた。
 サク、サクと上品に食べ進めていく、彼女の小さめの口とか、フォークを握ったその細い指、とか。
 流石に見詰め過ぎてしまった。ひよりがこちらに気づいて小首を傾げる。なんでもない、とだけ伝えて自分のケーキにありついた。顔が熱い。

(アホか、オレは…)


 会話が途切れてしまっていて、ちょっとだけ気まずい雰囲気。こういうとき何か気の利いたことを言えるような、そんな出来た男ではないという事実に今さらながらヘコみそうになった。



「…義叔父さまと叔母さまがね、」


 同じ気まずさを感じていたのか、ひよりが徐に話題を提供してくれる。おぅ、と相づちを打って会話を続けさせようとした。が、ひよりは何か躊躇うように、次の言葉をなかなか発しようとしない。
 最後の苺を残したまま、言葉を探す。オレも一旦フォークを置いて、良い具合に冷めた珈琲を口に含んだ。生クリームの甘さと珈琲の酸味が絶妙に絡み合う。
 そして、ひよりがようやく口を開いた。


「初めてのデートでここに来たときにね、
…店員さんがケーキをサービスしてくれたんですって」


 小さな声でそう言ったかと思うと、残してあった苺をパクリと口へ放り込む。上目遣いでこちらをみて、少しだけ頬を染め上げくすりと微笑んだ。




 ああ、ずるいオンナだ。

 そのカオをもう一度見たくって、オレは自分の苺を彼女の皿に置いてやる。


 グールドの奏でるアリアが、笑えるくらいゆったりと、流れた。




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