小説

□一歩、その線を越えること
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 次の停車駅を告げるアナウンスが入るタイミングで、電車がトンネルの中に入った。ゴーッという外からの音と、車掌独特の抑揚のある声が重なって、隣で話している二人の友人の会話が遠くなる。
 ドアのガラスが鏡になって自分の姿が映し出されたので、ひよりは何気なく髪を確かめてみた。二つに結んで肩に流した髪型は映画館でゆっくり座れるようにと選んだものだ。

 今日は友達との前からの約束で隣街に映画を観に行くことになっていた。この日は小福邸には顔を出せないということを、あらかじめ伝えていたつもりだったのだが…。
 落としていた電源を入れて、SNS『ついった』をチェックすると案の定、タイムラインは凄まじいことになっている。
 やれやれと小さく溜め息をつき、画面をスクロールして夜トのつぶやきを眺めた。

 ホームに着く直前、電車がトンネルを抜けてパッと外の景色に変わる。ひよりはふと顔をあげ、窓の外に視線を移すと、空はもう真っ暗だった。
 このあたりに雪はなかなか降ることはなかなか無いが、季節はやはり冬であることを葉を一枚も付けない木々が教えてくれる。明るい街並みと、あちこちにある住宅地の灯りがみえた。
 休日であるからか、車内はそれなりに混雑している。ドアが開いて人の波に押され、流れるようにホームに降りた。冷気がひよりの頬をつつみこみ、ほぅと息を吐けばそれはすぐに白に変わった。

(でもまぁ…。今日は電話もメールも一件も入ってなかったし…)

 しつこく電話をかけてくる筈の夜トが、最近はなぜかやけに大人しいのだ。夜トにしては偉いですね…と、夜トのつぶやきの内容を一通り眺める。

【ひよりがいない…】
【電話したいけど我慢】
【つまらない、ヒマ】
【ひより早く帰ってこないかな〜】
【やっぱ電話しちゃおうか】
【ひよりひよりひより】

 電話をかけようとしたり止めたりを繰り返す、そわそわした黒いジャージ姿の神様が容易に想像できてしまいつい顔が綻んでしまう。お腹の中から込み上がってくるあたたかいものが、まるで胸を擽ぐるかのような感覚が心地よい。

「な〜に、一人でニヤニヤしてんだ〜?」

 ふいに顔を覗き込んでくるのは、クラスメイトのやまちゃんこと、山下晶。

「えっ…、」
「あらやだ、急に頬染め上げちゃって…。さては例の彼氏だな?!」

 眼鏡の下でキラリと目を輝かせて鞄から自分の携帯をとり出し、ひよりの母に電話をかけようとするあみちゃんこと、田端愛美を慌てて止めるのにひよりは必死である。

「ちちちち違うよ!彼氏だなんてそんな、」
「またまた〜、だって男なんだろ、そいつ?!」
「まあなんてこと!おばさま大変ですわ!お宅のお嬢様に悪い虫がついてますわよ!」
「キャーー?!あみちゃんやめて、お母様に変なこと言わないでー!!」

 この手の話になるといつもこうである。笑う二人の間でぷぅと頬を膨らませるひよりに、田端が喋り始めた。

「その彼氏。ずいぶんとひよりにご熱心なようで、羨ましいわぁ。ちゃんと紹介してくれるって約束だからね」
「か、彼氏じゃないってば!」
「ひよりは鈍感だからな…。どうせ言い寄られてんのにも気付かないで、空回りさせてるんじゃないか?」
「だからちがう…、えっ?それってどういうこと?」

 ひよりはふと聞き返してしまった。
 山下はニヤリと口元を緩ませて、ひよりの唇にビシッと人差し指を突き立てる。そして急にわざとらしく悲しい顔をして言いきった。

「まだキスもさせてない…!」

 突然のその単語にひよりはビクッと反応してしまう。
 頭の中で、パレードのイルミネーションがぐにゃぐにゃと渦巻き始めた。あの忌々しい思い出が甦り、無意識のうちにカッと顔が熱くなる。

「赤くなった?!図星かひより!」

 二人の声にはっと我に帰り、手をふり慌てて否定した。

「ちち、違います!いや、違わないけども…。いえ、そもそもお付き合いしてる人なんかいないって!!」

 やれやれ、いつもこれだよ〜、と二人はまた笑い出した。


 駅を出ると沢山の建物が視界に飛び込んでくる。
 若い女の子が出入りする雑貨店、あちこちにある居酒屋、ビジネスホテル、ファストフード店、コンビニ。
 バスやタクシーがターミナルを往き来して、建物に組み込まれた大きなスクリーンからは、最近のヒット曲や少し早いがクリスマスソングが流れていた。

 ここはこんなに人で賑わっているのに、一人一人のことをいちいち憶えて歩くことはできない。
 ひよりはいつか夜トが言っていたことを、ふと思い出す。
 先程の会話の中では嫌なことを思い出してしまったが、そのことでいつまでも落ち込んでしまっていては今日の楽しかった時間も台無しになってしまう。
 あの忌々しい記憶も、新しく出会う大勢の人たちと過ぎていく時間の中で、楽しい思い出を沢山増やして、少しずつ塗り替えていこうと決めたのだ。あれこれ考えるのにはあまりにも時間が勿体無い。
 自分たち此岸の者に与えられた時間は限られているのだ。


 そこでひよりは一旦考え事を止めて、自分を挟んで会話する二人の話に耳を傾けると、なにやら少し前を歩いているカップルのことについてらしい。
 車道側を女の子に歩かせてるのはどうなのか、あんなにあからさまにベタベタするのは視てるこっちが恥ずかしい、とか。
 ひよりが前の二人に聞こえちゃうよ、とたしなめれば、聞こえるように言ってんだよ!と主張する山下が面白くて、クスクスと笑った。


「あ!あの角曲がった」

 田端がカップルの向かう先に指を指す。

「あっちは確か…」

 山下がなにか言いかけて、小走りで駆け寄っていった。角で立ち止まりカップルが進んでいった道を確かめて、こちらを振りかえるとニヤリと笑っている。

「ど、どうしたの?」
「なんかワルいこと考えてるな…」


 山下晶の『ニヤリ』には、嫌な予感しかしない二人であった。
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