恋愛小説「BBQでABC」

□悲しみの蜜壺
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「ピーマンがキライな男性はダメね。てんで相手にならないわ。」

奥多摩へ向かうワゴンRの助手席で、蝶野正子がそうつぶやくのを、橋本真哉は黙って聞いていた。
少しアクセルを強く踏んでしまい、動揺が隠せなかったかと焦りもしたが、運転中の橋本は、彼女の横顔の機微を上手く読み取れない。

「ピーマンと人参。これをキライだって言う男はもう小さい頃に我慢というものをしてきてないのよ。苦手なものも食べれるようになるっていうのは成長する上で必要な大人の階段だと思わない?」

正子が軽く伸びをしながらそう話す。
視界の端に写る、白い肌。
もちろん7月のこの暑い日に、ノースリーブとホットパンツは正装と言っていいのだが、橋本には彼女の素肌はまぶしくて、ちょっと困ってしまう。

「でもさ、ピーマンを食べなくたって生きていけるじゃんよ」

後ろの席で岡田カズチカが言った。
カズチカはたぶんピーマンが食べられないんだろう。
橋本と一緒だ。
よかった。援護射撃が来たのだ。

「生きていけるか生きていけないかでいったら、音楽も絵画も映画も、何一つ必要ないわ」

正子はカーステレオから流れる柏シティーハードコア「ヌンチャク」を聴きながら言った。

カーステレオからは

♪アナル アナル アナル窒息

と聴こえて来る。

やめてほしい。
橋本もヌンチャクは嫌いではないが、出来ればもっとビーチボーイズやジャックジョンソンなど、ベタベタに夏を感じるBGMを聴きたい。

「生きていくために必要なものなんてそんなにないわよ。音楽も絵画も映画も、ピーマンも、必要は無いわ。でも、必要がなくても、それがあると人生が豊かになるものって、あると思わない?」

カズチカは反論する。

「でもよ、ピーマン程度で人生豊かになるかね。」

「チンジャオロースーを食べれない中華料理屋なんて悲しくならないかしら?」

「ならないね。俺は酢豚さえ食えりゃいいさ」

「あなたひょっとして酢豚にパイナップルを入れる人?」

「ああ、当たり前だろう。パインのない酢豚なんて、フリーのいないレッチリみたいなものさ」

「エビチリ?」

「レッチリ」

「どっちでもいいわ。いずれにしても酢豚にパイナップルはあたしと趣味があわないわ…」


結局は、正子も好き嫌いを語っている。

とはいえ、社内の空気は悪くない。
むしろこの晴天も手伝って、とても快適にこのドライブは続いている。

まだ大人にならなくてもいい、このいわゆる大学期間というモラトリアムで、僕らはどうでもいいことで論争をしては楽しんでいる。

僕達大学生という生き物は呑気なもので、サークルと、覚えたてのお酒と、恋と、あとはいっぱしの評論化気取りの論争で、ヒマをつぶしては暮らしているのだ。


奥多摩にバーベキューをしに行こうと言ったのは正子だった。

蝶野正子。
僕らの所属する軽音サークルでは、彼女はベーシストだ。
コピーバンドサークルなので、2ヶ月に1度あるかないかのコピーライブの度に、50人くらいのサークル員がそれぞれ適当に4人ずつくらいで集まって、バンドを組む。
そしてライブをして、あとは酒を飲む。
それが主な活動内容だ。

少し気だるい感じで話すアンビエントな正子の物腰に、男性サークル員は、みんな少なからず好意を持っていた。

「橋本君は、ピーマンは食べられるの?」

運転中の僕に質問が来た。
後ろの席の棚橋ひろ子からだ。ひろ子は明るくて、とてもギターが上手い女性だ。

「え、もちろんだよ。」

橋本は思わず嘘をついた。
あとで正子にいいかっこするために、あの中身がスカスカの緑色の爆弾のような食べ物を食べなければいけないと思うと、今から胃液がこみ上げる。

しかし、正子はもう聞いていないかのように話題を変えてきた。

「ねえ、ねえなんかバーベキューってちょっとエッチじゃない?」

カズチカが即反応した。

「なんでなんで?」

「だって固くて強い棒情のもので、やわらかい肉を貫くのよ。なんか、あたし、とっても卑猥な気がする」

吐息まじりに正子が言ったあと車内はバカじゃネーのとか、確かに〜!とか蜂の巣をつついたかのように盛り上がった。
現代の若者の御多分に洩れず、楽しいものを次々求める飽き症な僕らは、他の話題をほしがっていたんだろう。

しかし、橋本は正子のその発言を拾い盛り上がることなく、黙って運転に集中していた。


そう、勃起していたのである。

(続く)
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