小説

□鼠輩(後編)
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「やっぱり、坂田の言う通りだったな。」
何ヶ月ぶりかの沖田との再会で、彼が一言目に発したのはそんな事だった。
「…なにが?」
「だって、前あんた言ってたじゃねえですか。俺とお前はまた絶対に会うって。その通りになったから、さ。あんた、予知能力あんじゃねーの。」
そう言ってカラカラ笑う沖田は、俺の知らない人間の様だった。
俺達は今、カフェで茶をしてる。
沖田のアパート付近を偶然を装いふらふらしていると、中から沖田が出てきて今に至るという訳だ。
沖田は、土方の所にいた時の様な派手な服こそ着ていなかったが、その表情は今までよりずっと柔らかかった。
「坂田は今何やってんの?まだ黒服?」
「…今はファミレスのバイト」
「へー、面接一発で落とされそうな顔してますけどね」
「喧嘩売ってる?」
「はは、冗談でさァ。」
俺は沖田を冗談めかして睨んだあと、飲みかけの紅茶を飲み、一呼吸おいて彼の方を見る。
「…沖田君は、さ、今何やってんの。」
出来れば聞きたくなかった。
だが、近藤から聞いただけでは納得出来ない。沖田の口が、小さく動いた。
「…坂田には心配ばかりかけてて、何の報告も出来てやせんできたよね。
俺、いい人に出会ったんでさァ。その人は男で、ちゃんとした家庭がある人でですね。最初はダメだと思いやした。でも、その人も俺の事好きになってくれたんです。それでつい先日、その人と住むことが決まったんです。
俺、今まで生きてきた中で一番幸せです。家族がいなくても、金がなくても、その人とならこの先ずっとやっていけるって、そう思うんです」
俺は沖田からの絶望的な言葉に、ただ茫然としていた。
嘘だ。
なあ、さっきみたいな冗談なんだろ。
笑えないからやめろよ。
確かに俺は近藤の話を聞いていたよ。
でも、せめてお前の口から聞くまでは、それまでは希望を持とうって…━━━━━━━━━━

そう思ったのに。
「…そっか。おめでとう、沖田君。」

俺は笑った。
完璧な笑顔だった。
これから、最後の害虫駆除が始まろうとしているのだ。









数日後、俺は近藤を場末のホテルに呼び出した。
近藤が部屋に入ってくるや否や、俺は奴の服を脱がし始める。
「お…おい!言っただろ、俺はお前とはもう…」
「する気が無えんならホテルに呼び出し喰らった時点でシカトすんだろ」
「…っだが…」
俺が奴のモノを咥えると、もう抵抗は弱まり、その快感に身を沈めるようになった。
「…くっ…」
一回出してしまうと奴はもう息を荒らげ俺の上にのしかかった。
「…はァ、はァ…いいか?お前とするのはこれで最後だ。これは浮気じゃねえ、ただの性欲処理だ…っ」
「分かってるから」
奴は俺にというより自分に言い聞かせる様に言った。
きっと奴はこれからも俺が呼び出せばそう言って結局するんだろう。まあ、これが本当に最後な訳だが。
「…は、ァ、…っあ…あ」
俺に覆い被さった大男は、そのまま腰を動かし盛大に果てた。
部屋に設置されたカメラの存在など知らずに。
































後日、近藤が会社をクビになった。
情報屋の男曰く、会社に匿名である写真が送られてきて、それが原因らしかった。写真の内容など、聞かなくても分かる。
俺は一人ほくそ笑んだ。

『今日は昼頃から土砂降りの大雨となります。お出かけの際は十分注意して━━』
付けっぱなしのテレビから流れる天気予報を無視し、俺は外に出た。
空は曇っていたが、俺の心は鎖を解いた様に軽い。
一歩、一歩と踏み出すごとに足は沖田のアパートの方へ向かった。
ぽつり、ぽつり
小さな雨の粒が肩を濡らす。
そういや傘を忘れた。そんな事はどうだっていい。
次第に雨は勢いを増し、髪や服、いたる所を濡らしたが気にも止めなかった。
ああ、それよりも。
絶望した君の顔を早く見たい。
そして、誰よりも優しく、誰よりも愛おしく、君を抱きしめてあげたい。
歩幅はいつの間にか大きくなり、濡れたアスファルトの上をぴちゃぴちゃと音をたてて歩いていた。
下を向いていた瞳をふと上げると、もうそこは沖田のアパートの近くだった。
人一人としていない静かな小道。
そんな所に、傘もささずに立ち尽くす少年が、いた。
俺の胸が期待に高鳴る。
敢えて静かに、ゆっくりと近づくと、その少年がこちらに振り向いた。
案の定、沖田だった。

「どうしたの?沖田君、傘もささずに。」
俺は妙に落ち着いていた。
沖田は弱々しく、唇だけ動かす。
「…それは、こっちのセリフでしょう…」
その表情は、あの幸せそうな顔とは似ても似つかなかった。
濡れた髪から覗くその双眸は空虚で、どこを見ているのか分からない。

「……捨てられ、やした。」
ぽつりと、抑揚のない声で、沖田は呟く。
俺はただ、そんな沖田を見ていた。
「…あの人はね、俺以外にも関係を持っていたようで。そいつのタレコミで援交がバレて、会社を、クビになったんですって。家族の方にもその情報が回ってて、元々冷えきってたのもあって、来月、離婚するらしいでさァ。で、あの人の周辺はこれから大変らしいし、何もかも失っちまったもんで、もう俺を養う事ができねえし正直手が回らないからって、それで…」
沖田の声は震えていて、後半はよく聞き取れなかった。
彼の顔は雨に濡れ、涙が出ているのかさえ分からない。
「…何もかも、失ったのは、あの人だけじゃない。俺も、俺だって、そうだ。欲しいものを手に入れても、すぐ消えちまう。なんで、いつも俺なんだ。なんで、なんで…俺ばっかり…」
沖田は泣いていた。
声はか細く、それでもしっかりと俺に届いた。
俺はただ、黙って沖田の姿を見ている事しかできなかった。
「もう、もう俺には、何も残ってねえ…!
金も、家族も、友達も、愛する人も… 何もかも失っちまった…!
もう、俺には、な…にも、残ってない…何も、なに、も…」
そう言って沖田はしゃがみ込んだ。
その光景は、俺が夢にまで見た姿と一緒だった。
全てを失い、泣き崩れ、一人孤独で、哀れな、惨めな、そんな姿。

なのに。
なのに、何故。
何故俺はこんなにも動揺しているんだ。
何故俺はこんなにも胸が張り裂けそうなんだ。

何故、こんなにも虚しいんだ。




俺はただ、君に見て欲しかっただけなのに。
君に、ただ一人、愛されたかっただけなのに。
必要とされたかっただけなのに。
それだけなのに。
それが、どうしてこうなったんだよ。





「俺が、」



俺が、いるじゃないか。




そう呟いた言葉は、沖田の嗚咽と土砂降りの雨によって掻き消され、消えた。










end
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