小説

□退子さんと総子ちゃん
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ふうと息を吐くと目の前の女は露骨に嫌そうに顔を顰めた。
どうやら私の煙混じりのフレイバーが気に入らないらしく、何気ない様に追って吹きかけてやると、ごほごほとわざとらしく咳を返す。

「くっせえ」とお上品な容姿にあるまじきやや乱暴な物言いで聞こえるように吐き捨てるこの女はこの店のナンバーワンだ。
口の悪さと蓮っ葉な笑い方が特徴だが、何故か見た目だけはどこかのお嬢さんの様に人形じみた美しさと貴さを持っている、いけ好かない少女。
「お疲れ様でーす」
さあ退散退散、と腰をあげる目の前の女に答えず無視して携帯を弄る私は、子供らしく、痛々しく見えているのだろう。とにかくうざったいその女が出ていってから先程の彼女の苦虫を噛み潰した様な顔を思い出し、笑いを漏らしながらおつかれさま、と独り言を呟いた。

少女、総子さんと私が出会ったのは約一年前だ。
体入に来た彼女は新生アイドルの如く扱われ、あれよあれよという間にナンバーワンに上り詰めた。光の速さで座を奪われた当時元ナンバーワンのお局は怒り狂い、他の嬢は笑えるぐらいただただ失望していた。そんな感じなので勿論総子さんに対するいじめは起きた。普通のピチピチ娘なら尻尾をまいて逃げる様な怒涛の嫌がらせラッシュが続き、誰もがあと1週間もすればシクシク泣いて辞めるだろうと予想した。
が、何故か総子さんは違かった。
下ろしたばかりのドレスをビリビリに裂かれたら、即座に犯人を突き止め、文句を言うことも無くその嬢の全てのドレスにどでかいチューリップのアップリケを縫い付けて(しかもご丁寧に本返し縫いで)元の場所に戻した。またある時私物が入ったロッカーに香水をぶちまけられた事があったが、次の日には犯人のロッカーから嗅いだら一日中鼻がひん曲がるような従業員全員を巻き込む史上最悪の異臭騒動が起きた。(後日談で、あれは犬の糞から抽出した総子特製オリジナルのフレグランスなんですぜいとドヤ顔で語っていた。)そんなこんなで、やられたらやり返すという堺雅人ばりの精神とドSぶりを見せた彼女を前に恐怖こそすれ、気付くと嫌がらせをする者などは1人もいなくなった。
皆が怯える中、当の本人だけは何故かしれっと何事も無かったかの様に過ごしていた。もしかしたらそのくらい面の皮が厚くなきゃこの業界ではやっていけないのかもしれない。いやにしてもお前の面の皮は広辞苑ですか。
32歳山崎退子、この世界に足を踏み入れて早9年だが一向に人気が出る無し。ほぼダブルスコア下の少女に圧巻された体験である。

そんな少女と私が初めて会話らしい会話をしたのは、彼女が入店してから二週間経つ頃だった。
更衣室で偶然2人きりになってしまい、無言のままでもいけないと無理やり声を絞り出した。
「えっと…今日早いですね!えへへ、帰りも早めにあがるんですかね?総子さん」
何がえへへだよ!
年下相手でも緊張してへこへこしてしまう悲しい性。
一秒前の自分に悔いている私を見て、数秒考え込んだ様な素振りをみせた彼女は、一言こう言った。

「あんた誰?」
はあああああ!?
もともと童顔で貫禄がないと言われるが、もしかしてもしかすると同じぐらいに思われてるのか?いやだとしてもあんた誰はねーだろ!つーかプライベートで話すのは初めてだけど仕事では二、三回程同席してるんですが!
「あ!分かんないですよねえ!山崎退子って言いまあす!本名でやってます!えっとおお、総子さんはおいくつ?」
こちらも大人だ、まだニコニコと話せていたはず。
「だいがくせい。」
ひぇー!!!大学生!!小娘!!!
小娘にタメ口きかれた!くそ!
「若いですねえ〜、じゃあ敬語できなくて当然かなあ、ね!いや、総子さんの人気凄いですよね!お零れに預かりたいくらいですよお、今度手ほどきしてくださいねっ」
あはは〜とお得意のへらへらで返す。よし!冗談交じりにさり気なく嫌味を言ってやったぜ!
あとは急いで更衣室を出るだけだ。小娘に背を向けクラッチを片手にそそくさと部屋のドアに手をかけると、後ろから物騒な声が聞こえた。

「あんたの接客はクセになんねーんだよ、ザキ。」

え、今なんて?
てゆうかザキって誰?なにザキって?
固まる私にコツコツと近づき、ドアのぶにかけた手の上から手を置かれた。そして、わずか10cm程の距離で小娘は、意地の悪そうに口角をあげ、顔に似合わず割と低い声で言い放った。
「あんた、あたしに手ほどき受けたいって言ったよな?高くつくぜィ」
楽しそうに笑う小娘。
そして、彼女はそのままドアをあけ、ハイヒールを鳴らしながら颯爽と店内に入っていった。
前言撤回。こいつは小娘なんかじゃない。
こいつはクソガキだ!!





ああ、哀しきかな。どんなに憎たらしくてもクソガキでも総子さんはやっぱりナンバーワンだった。
ナイトワークは純粋そうな見た目ほど需要が無い風潮があるが、総子さんの場合中身とのギャップが相余ってそれが思いのほか受けた。
その美貌と客を客とも思わないドSな接客で人気を博し、よって爆発的な中毒者を多発させていた。
致命的に色気は皆無だが、どことなく汚してはいけない少女の危うさのような気質があり、それが逆に世の男達の欲情を煽っていた。
総子さんは取り柄といえば顔だけのゴミクズ野郎だが、マイナス要素さえも武器にしてしまう天性の美少女、つまり神に愛されしクソガキだったのだ。

そんな彼女曰く、私の接客はなんともつまらないらしい。そして、埋もれたくなきゃ人と違う路線でいくことだとも仰った。
「あとさあんたのその化粧似合ってない。濃ければいいって問題じゃないんでぃ。あんたみたいな地味なのっぺり顔は和風美人路線狙えばいい。まずはその汚ねえプリン真っ黒に染め上げてこい、話はそれから。」
誰が年端もいかない小娘の言う事など聞くものかと思っていたが、相手はナンバーワン様だし、言っていることもまあご最もだったので、渋りながらも言われるがままに云年ぶりの黒髪に染め上げてくると、それが予想を上回り好評だった。その後も総子さんによるボロクソの辛口評論は続き、半信半疑ながらもそれに従っていると次第と指名数も増えていった。こればかりは私も驚いたが喜んでいいのやら悪いのやらなんとも絶妙な心持ちだった。ともあれ悪い気がしない訳でもないので、待機室で総子さんとばったりした際にほんの気遣い半分、大人の余裕という名の見栄で「吸います?」と普段なら言わないような事を言ってみた。すると総子さんはふいとそっぽを向き「あたしタバコきらい。」とだけ答えた。そのツンケンした態度にはもう慣れっ子だが、照れくさい好意を無下にされた様で少しむっとした。以前総子さんに、あんたみたいに喋れねーやつは風俗のが向いてると言われたのは、こうゆう時に何も反撃できないからだろう。だからと言って言葉も返さないのは癪なので総子さんの小綺麗に整った顔をずっと眺めていたのだが、少々酒が入っていたのもあって「整形してます?」と何やら突拍子も無く失礼な質問をしてしまった。
総子さんは何言ってんだこいつという様な顔で元々丸い目を更にまんまるくしたが、次の瞬間にはもう鼻で笑うように、「残念ながら、目も鼻も口も胸も全部天然ですぜぃ」と得意気に言ってみせた。
いや胸はぶっちゃけペチャパイなので疑ってなかったのだが。
そして、「ザキ、生まれ持った素材は皆違って皆いいんですぜ。」と謎の哀れみを込めた口調と共に肩に手をぽんと置かれた。いや全く慰めになってねえよ。つーか余計なお世話だ!




「店長お疲れ様です。」
後ろ向きで煙草を吹かしている銀髪の男に少し上擦った声で話しかけると、薄暗い店内でも微かに光る紅い瞳がこちらを捉える。
「おー、退子ちゃん、お疲れ様」
にっ、とわざとらしく口角を上げる表情が何ともこの男の胡散臭さを物語っているが、それがまた堪らなくいい。
この人はこの店の店長で、銀時さん。
気さくな人なので、お店の女の子達からは旦那の愛称で親しまれている。
そして私の想い人だったりする。
いい歳になって結婚もせずにろくな恋愛経験もない水商売の女には、彼は充分過ぎる位に惹かれる存在だった。
我ながら痛々しいとは想うが、この感情はプラトニックなものだと思うのだ。彼の吸う煙草の香りは何ともほろ苦く私を締め付ける。
私とは違う銘柄。彼の香りを纏えば彼に好かれるなんてそんな乙女の様な考えは微塵も持ってない。阿呆らしい。そう自分で分かっていた。

なので所謂一種の願掛けの様なものだったのだ。

「あれ、煙草変えたんで?随分厳ついの吸ってますね」
「あー、うん。ぶっちゃけ合わないんですけどね。」
総子さんが物珍しそうに覗きこんできた。
「なんで不味いの吸ってるんで?」
「ひみつです。」
好きな人と同じ銘柄にするなんて愛読書は山田詠美ですかと言わんばかりの駄目女じみた事をしている。総子さんが知ったらきっと床の上を転げ回るに違いない。
「ふーん、椎名林檎への憧れはもう無くなったんですかい。」
「いや別に椎名林檎に憧れてセッター吸ってた訳じゃないですけどね」
このクソガキこういう感は鋭いのだ。くそ恥ずかしい。
「似合わないよ、あんた。」
総子さんて声質はしっかりしてるのだが、普段は意外と小さい声で喋る。それなのにいきなり張った様な声を出したので驚いた。
「似合わないよ、ラッキーは。あんたの性に合わない」
なんだそりゃ。いやまあ確かに見た目は気弱そうだから変かもしれないけど。
「総子さんのアドバイスは外れた事無いですもんね。ご忠告ありがとうございます」
思ってもない社交辞令で薄っぺらく返すと、総子さんは何やら不服そうに踵を返して出ていった。変な人だ。




総子さんは意外と気遣いが出来る人だ。仕事においては。
接客はぶっきらぼうで冷たいのだがマナーは出来ているし、どんなに酷い言葉を言っても何故か育ちの良さが伺えるので人気があるのも頷ける。
やはりどこかのお嬢さんなのではないか。だとして何でこんな仕事をしているのだろう。
「総子さんは何でキャバ始めたんですか?」
仕事終わりの更衣室でふと聞いてみた。なんやかんやで孤高の存在で誰も近づかない総子さんと元々ぼっちだった私は唯一の仕事仲間みたいなものになっていた。認めたくはないが。
「学費のため。」
そうさらっと答えた総子さんは怠そうに小さな口で欠伸をする。
「学費かあ。昼間のアルバイトじゃ駄目だったんですか?」
「早くお姉ちゃんを楽にしてあげたかったから。」
あー、お姉さんがいるのか。さぞや美人だろうなあ。
「うちんち両親いないんで、姉と二人暮らしだったんすよ。体弱くて、今は入院しているけど」
ん?…これはさらっと流していいものなんだろうか?
「小学生の時両親が事故で死んでから、お姉ちゃんは私の親代わりなんでさ。今の大学も、お姉ちゃんが出といた方がいいって、自分の身体のこと後回しにして沢山働いて色んなとこに頭下げて無理くり入れてくれて。だから、今度は私がお姉ちゃんに返していく番なんです」
普段自分の事をあまり語りたがらない総子さんのこんな姿は初めてかもしれない。どこか人間味が無くて無機質に感じてた彼女の本当の部分を見た様な気がした。頭のネジが数本抜けてて何も考えてなさそうな彼女でも、伊達にこの道に足を踏み入れた訳では無いのだ。
「そうゆうザキは、なんでこの仕事してんで?」
総子さんの妙々たる動機を聞いた後では何とも気恥しいが、ここまで聞いといて自分だけ言わない訳にもいかない。
「…私は、とりあえず適当な大学入って、適当な会社に就職したはいいものの、合わずにすぐ辞めて、そのままキャバをずるずるやって今の店に至るって感じです。」
話してて我ながらなんとも情けない。
総子さんは聞いて呆れるだろうか。
「だからだ。」
ふと、目の前の彼女が小さく呟いた。そして彼女は、神妙な顔つきになってこう続けた。
「あんた、この仕事してる自分恥ずかしいって思ってるでしょ?」
「なんで、ですか?」
「プライドがねえんだもの。こんな自分クソ喰らえだと思ってる。転落人生だって。だから守りに入る。それが逆に自分の価値を下げてるとも知らずに。」
いつになく冷静に、だけど一生懸命に話しているのが伝わる。
いつも生意気な事を言うこの口を常々閉じてやりたいと思っているが、今はただ総子さんの一言一言を聞いていたいと柄にもなく思った。
「…図星ですよ。いい歳して自分何やってるんだって、ずっとそう思ってやってます。」
「ザキ、ほんとはね。ほんとは、最初にあんたと同席した時から、あんたの事知ってたんだ。そん時、あんた見て無性にいらいらしたんだよ。すげえいらいらした。」
総子さんは止まらずに話を進めた。
「良い素材持ってんのに、自分で気付いてないし、宝の持ち腐れだって。自分で自分の可能性潰してたんだよ。こうやって話すようになった今だから分かるけど、ほんとは肝座っててしっかり物事言えんのに、あん時のあんたは無駄にへらへらしてて自分を安っぽく見せてたから。だからあんたにここで話しかけられて、冗談でも教えを乞いたいって言ってきたもんだから、つい嬉しくなって言いたい事言っちまったんだ」
普段口数が少ない方の総子さんは、話し終えて少し疲れた様にふうと一息をついた。
「あんたの魅力はあんたより先にあたしが気付いたんだ。だからこれからもあたしの言う通りにすればいい。そうすれば、あんたはもっと輝ける」
だいぶ大それた事を言っている様だが、当本人の目は本気だった。美人が凄むと物凄い気迫だ。何故か私は叱られている様で褒められているみたいだ。もしかしたらこの人は私にめちゃくちゃ心を開いているのかもしれない。
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