小説

□鼠輩(後編)
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沖田は知らない男と一緒に歩いていた。

たまの休日にそこら辺でもと思い外に出た俺は、一瞬目を見開きその光景を目だけで追った。
まるでスローモーションの様にゆっくりと、人波に呑まれて見失わない様に。
相手の男は四十は軽く越えるであろうリーマンだった。
やがて二人はホテルに入っていき、俺はその様子をただじっと見つめていた。季節はもう冬で、賑やかな歓楽街をより一層イルミネーションが輝かせている。そんな騒がしい町で、俺一人だけ時間が止まってしまった様だ。
「…おきた」
無意識に、ぽつりと呟いていた。






それから何分経ったか分からない。
もしかしたら何時間も経っていたのかもしれない。
俺は、沖田が入ったホテルの前でただ立ちつくしていた。若い女が怪訝そうに眉を寄せ、俺を見ている。冬の夜は凍える様な寒さで、俺の手先の感覚は無くなっていた。
息がしろい、しろい。
今はただその白さに溺れたい

「坂田」

ふとよく通る声が聞こえた。
知っている、懐かしい声だ。俺は振り向いた。声の主はもう分かっていた。
「…久しぶり、おきたくん」
俺は、彼に笑いかけて、言った。









「前もここで話したよね」
「そうですかィ?」
「覚えてない?半年前。」
「ああ…ハイ。」
俺達はまた近所の公園のブランコに座っていた。沖田は俺の質問に歯切れの悪い返事をぽつぽつと返し、居心地が悪そうに目線を逸らした。流石の沖田も気まずい様だった。
そりゃそうだろう。幼い頃から自分を知っている奴に援交がばれたのだから、どんなに面の皮が厚い沖田だろうと、もう俯くしか無い。
「家族や土方のことはあんなに話してくれたのに、自分のことになると喋れなくなっちゃうんだね、沖田くんは。」
「…んなんじゃ無え。違ぇんです。」
「…」
「…しょうがねえんですよ。もう俺には、この方法しかないから」
沖田は俯いたまま言った。
その瞳は俺を捉えることなく、ただじっと前で握られた自身の手を見つめていた。
俺はその華奢な手に、自らの手を被せるように置いた。
ビクッと肩を震わす沖田に、俺は「大丈夫だ」と耳元で呟く。

「俺に話して、全部。な」
「坂…」
「楽になりなよ、沖田くん。ねえ、土方とはどうして別れたの?」
「なんで、知って、」
「いいから早く。」
「…あの人が、煙草、吸ってたからでさ」
答えると同時に沖田は身をよじり、俺の手をさりげなく戻した。
「土方さんはずっと隠してたんです。俺が父親の根性焼きのせいで煙草がトラウマなの知ってたから。
でも俺は土方さんが隠れて吸ってんの見ちまって。それで昏倒して…」
「だから別れたんだ。」
「いえ、それだけが理由って訳じゃねえですけど…。まあ、それが一番の理由です。」
「ふーん。」
やはりあいつには、沖田は荷が重過ぎたようだ。
「…そのあと、最初は女のヒモをして生活してたんです。でも追い出されちまって。
そんで、父親に教わったコレを思い出したんです。」
沖田はもう落ち着いていた。
本当は心のどこかで誰かに相談したいと思っていたのかもしれない。
その誰かが俺だったのが、運の尽きだが。
「男達に貰った金でホテル代を繋いで、その日凌ぎの生活をしていたんです。俺にはもう、この方法しかねえから。」
沖田はそれきり黙った。
俺が立ち上がり「明日仕事だから、そろそろ」と言うと、沖田が待ってと小さく声をあげた。
「…ごめん、引き止めちまって」
「いや、良いけど。何?」
「…なんか、さ。ここで別れたら、二度と坂田と会えなくなっちまう気がして…」
「…」
「…いや、すまねえ。変な事言った。今の無しな」
そう言って俯く沖田が儚げで。俺はそんな沖田に微笑んだ。
寒さなどどこかへ行ってしまっていた。
「俺と沖田くんは、またあうよ。絶対に、ね。」
そう、害虫駆除はまだ始まったばかりなのだから。

















沖田と別れて数日、俺は新宿界隈で知り合った情報屋を雇い、沖田の客を洗い浚い調べ上げた。
父親仕込みの金稼ぎは沖田の性に合っていた様で、思った以上に奴が男を咥えこんでいる事が分かった。
俺は黒服の仕事を辞め、安い飲食店アルバイトの傍らある事に専念する事に決めた。
沖田の客潰しだ。
俺は毎晩新宿のソレ専のクラブに行き、沖田の客を漁った。
そこは沖田も愛用している店だったが奴とは時間をずらして足を踏み入れていた。
男達は俺が粉を撒くと、その下品にぶら下がるものを俺の中に挿れた。
俺は男娼然として喘ぎ、男達の興奮を煽った。
そして、馬鹿なそいつらに言ってやるのだ。
「お前が今関係を持っている栗毛の少年と手を切れ。そしたら、いつ呼び出しても構わない、タダでヤラせてやるよ。」
男達はまんまとそれに引っ掛かっていった。

結局、タダより高価なものは無い。
沖田の客はどんどん俺へと流れていった。
沖田は突然客が自分に見向きもしなくなった異常事態をどう思っていたのか。
俺は、泣きついてくる沖田の姿を想像し、一人夜の街で笑った。
雇った情報屋とは未だにコンタクトを取っていた。
客が減ればまた客をとる。
そういう世界でただ沖田が黙ってるとは思わなかったからだ。そして、俺の予想通り沖田の客はまた増えていった。
俺は躍起になり、前以上にバーに顔を出した。まるでイタチごっこの様な生活だった。

男達は俺にとって馬鹿で扱いやすい反面、唯一無二の嫉妬深い存在だった。俺は以前、ある男に「総の体の具合はどうだったか」と聞いた事がある。総というのは沖田の源氏名だ。
すると男は、俺が沖田にライバル心を燃やしていると勘違いした様で、「君の方がずっと良いよ」と御座成りな言葉を言って再び俺を抱いた。嘘だった。
この俺が焦がれて焦がれて焦がれ続けたあの美しい肢体の価値を、少年愛好者のこの男が分からないはずが無いのだ。
もし本当にあの価値が分からないと言うのなら、その時点で俺はこいつを殺している。沖田の体を汚すだけ汚し、尚且つその事の重大さを分かっていない奴らが俺は憎くて堪らない。
堪らないほど、羨ましかった。

沖田の客は着実に俺の物となっていった。だが俺は確かな喜びを得ると共に、肉体的な疲労を持て余していた。
正直、男に抱かれる行為など苦痛でしかない。
それが、沖田を捨て自分に乗り換えた男だと思うと尚更。
だがそれも全て自分で仕向けた事なのだ。
汚い男共に朝から晩まで良いようにされても、それ以上の文句は言えなかった。
そんな身を粉にして働く俺の努力を無視した男がただ一人いた。
俺がいつもの様に条件を持ちかけても、首を縦に振らなかったのだ。
その男の名は近藤と言って、ただのしがない妻子持ちのサラリーマンだった。
今の収入では自分の家庭を保つのも精一杯の筈なのに、それでも近藤は沖田に金を浴びせた。
条件を呑みもしない奴に無料で体を売るほど癪なことは無かったが、近藤が沖田に何かアクションを起こすのではないかと気が気じゃなく、結果、近藤との関係を維持する方針となった。
近藤も近藤で、タダでヤラせてくれる俺と手を切るのが惜しいのか、相変わらず俺と会うのをやめなかった。
俺は近藤に釘を刺していた。
「何度も言うけど、俺とのことを総に絶対に言うなよ。」
「ああ、言わねえ。言わねえが…もうそろそろ教えてくれねえか?なんでお前が総と俺のことを知っているのか…」
言う気は更々無かった。
言ったとして、こいつに俺の沖田を思う気持ちが分かる訳が無い。
分かって堪るか。
意中の相手のオトコを寝取る行為、そんなものがどう恋情と直結してるのだと、こいつは鼻で笑うだろう。
違うんだよ。
俺の目的は沖田の男を奪う事じゃない。沖田を一人にして、この世界から要らない存在にする事だ。
この行為は野望実現の途中段階に過ぎない。
俺の目的は、沖田を一人にすること。
この世界から要らない存在にすること。
そして、そんな沖田に手を差し伸べる、俺という存在を知らせることだ。










数ヶ月が経ち、俺の客の量が減った。
いくらタダでヤラせてくれるとはいえ、元々俺は男に抱かれるのは不快で堪らなかったのだ。
そうゆう苦の表情が、ふと出れば、気づく奴は気付く。
俺が演技で喘いでいるのだって、分かる奴にはお見通しだったろう。
だったら、金はかかるが自分の愛撫に素直に感じてくれる奴の所にいこうと思うのは、自然な流れだと思う。
俺もそろそろ体の限界を感じていたので、男が逃げようと何とも思わなかった。
むしろ清々しかった。
だが、頂けない連中も中にはいる。
沖田と寄りを戻そうとする輩だ。
そういう奴がいるからこちらも情報屋を雇っている訳で、俺は今誰が沖田に言い寄っているのか手に取る様に分かった。
が、そんなのは俺が手を下すまでもなかった。

沖田は寄りを戻そうとしてくる男に見向きもしなかったのだ。
それどころか今いる自分の客とも手を切っているという。
とうとう沖田の客は近藤ただ一人となった。
近藤は俺と沖田としか関係を持ってないのに、俺との行為が終わると、足早に別のホテルへと移ることが多くなった。
結果は火を見るより明らかだったがそんなに毎日誰と会っているんだと聞くと、
「総とだよ。あいつに会いたいとせがまれてな」
とやはり満更でもなさそうに答えた。

その時は興味の無い素振りでふーんと流したが、内心恨めしくて仕方が無かった。
なんなんだあいつは。
なぜ俺の沖田を奪ってこうとするのだ。
なぜ邪魔をするのだ。
憎い、あいつが。
憎い、憎い、憎い!
情報屋からの報告で、近藤が沖田にもう金を与えていない、つまり買う買われるという関係ではなく、恋人同士になったということが分かった。
じゃあ沖田はどうなかったかと言えば、近藤が隣町のアパートを借り、そこに住まわしているという事だった。
俺はもう、奴を殺せるのなら自分が死んでも構わないと思える程、奴を憎んでいた。

ある日近藤は「今日、総悟に一緒に住もうと持ちかけたんだ」
と言った。
俺は一瞬言葉の意味が分からなかった。
何やら今の家庭を捨てて沖田を囲うという事らしい。
「元々家庭が上手くいってなくてな。だったらもう自分の好きに生きようと思って。だから、お前を抱くのもこれで最後だ。今までありがとうな」
そう和やかに話す近藤は、惨めを通り越して滑稽だった。
近藤はいつの間にか沖田の本名を知っていて、今言った事が本当なんだと改めて実感した。
俺はもうただ笑うしかなかった。
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