小説

□鼠輩(中編)
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次の日沖田は学校に来た。
クラスメイト達は皆、沖田の傍に寄ろうともしなかった。
ただヒソヒソと何かを話し、偶に彼の方を見るだけだった。


「ねえ、沖田君」
「ん?」
誰もいない屋上で1人で本を読む沖田に声をかける。
今は昼休みだ。
蝉の鳴き声が鬱陶しかった。
「沖田君は、1人だね」
「うん。」
「寂しくないの?」
「別に」
「悲しくは?」
「無ェよ」
「家の人とはどうなったの?」
「…」
蝉の鳴き声が一層増した気がした。
実際経った時間はものの三秒かそこらなのに、何時間も経過した気がした。
「…ああ、なんだ。知ってたのか。」

沈黙を破ったのは沖田だった。
立ち入った事を聞いてるのは百も承知だが、ここで引き下がる訳にもいかない。
「色々噂になってるけど、あれも本当?」
「ホテルのやつ?」
「そう、それ。」
「今日はやけにがっついてくるな」
そう言って笑う沖田の横顔が、綺麗だ。
「本当だよ。」
もう、何を言われても驚かなかった。俺の方に向き直った沖田は、
「坂田には全部言っとかねえとな」
と呟いた。
五時間目の授業の予鈴と共に沖田の科白は始まった。



父さんが酒乱だと知った時には、もう施設の手続きを終えた後だったんでさぁ。
義母さんは毎日の様に暴力をふるわれていて、ある日俺は止めに入りやした。
その日からです、俺も暴力をふるわれる様になったのは。
毎日酒を飲んでは暴れ狂う父さんを見て、俺は心底後悔しやした。
でもそんなの後の祭りだ。
俺は一つだけ決心しやした。絶対に、義母さんだけは守ろうって。
たとえ血は繋がっていなくとも、たった1人の母だったからです。
俺はある日、父さんを良いように言いくるめて、父さんと一緒に家を出やした。
ただ一つ心残りがあるとすれば、義母さんにさよならの一言も言えなかった事ですが、それでも義母さんを守れた事は本当に嬉しかった。
まあ、結局守る様な価値もねえ女だった訳ですが。
その話はまた後で、ね。
んで、そんなこんなで俺と父さんの避難民みてえな生活が始まりやした。
父さんは最初こそ大人しくホテルで過ごしてやしたが、次第に酒が飲みたい煙草が吸いたいと騒いで、俺に暴力をふるうようになりやした。
でもそんな金何処にも無え。
雀の涙程の貯金は日々のホテル代で削られていくんですから。
そしてもう金が尽きた、そんな頃。
父さんは俺に言いやした。
体を売れと。
最初俺は人身売買でもさせるつもりなのかと思いやしたが、新宿の如何わしい胡散臭え店に連れてこられた時にはなんとなく意味を察しやした。
父さんは、俺が毎日父さんにしてあげてる事を他の男にしろと言っているのだと。
…怪訝そうな顔してやすね?
俺がどうやって父さんを言いくるめて一緒に家を出たか、不思議に思いやせんでしたか?そうです。俺は父さんに、「欲求不満になったら俺を使っていいから、義母さんを捨ててくれ」と言ったんです。
父さんも病気持ちの女より、多少乱暴にしても泣きわめかねえし妊娠もしねえ俺の方が何かと都合が良かったんだと思いやす。
そして父さんに後ろを覚えさせられた俺は、その日から父さん以外のものも受け入れることになったんです。
俺は一日中知らない男のあれを咥え続けやした。
入った金は全部酒と煙草に消えて、それでも俺の足はハッテン場へと向かいやした。
苦しくて虚しくて、何だか訳が分からなくなっでただただ父を恨みやした。
でも逆らえば暴力。逆らわなくても暴力だ。
そんな時1度だけ煙草の火を押し付けられて、俺はもう死ぬんじゃないかと思いやした。その時の傷はケロイドになっちまったから、多分一生残るでしょう。
俺はもう二度と煙草なんか見れねえ。あんなおぞましいモン、もう二度と見たくねえ。
兎に角その日、俺は耐えられなくなってホテルから逃げやした。
その時クラスの誰かに見られたんでしょうね。
でも俺はそんな事気にも止めないくらい必死だった。
死ぬほど、死ぬほど走った。
足がもつれて、それでも、俺の、俺の義母さんが待ってる家に向かって走った。
家までついてふと足が止まりやした。
声が、したんです。
義母さんの声が。
俺は裏口に回って窓から中の様子を見やした。
そこには見たこともないような義母さんの姿が、あった。
その声は、俺が今日この日まで男に組み敷かれて出していた声そっくりでした。
みっともなく喘いで、「気持ちいい、気持ちいい」と譫語の様に繰り返す義母さんは、俺にそっくりでした。
初めて親子だと思いやした。
そして、俺はいつの間にか自分と義母さんを重ねて、男に抱かれる自分を嫌悪したかの様に義母さんも嫌悪しやした。
男の方は暗くてよく見えなかった。
でも、若い男でした。
俺はその男に向けて、ありがとうと呟きました。
儚い夢から覚ましてくれてありがとう、そして、最後に俺と義母さんを親子にしてくれてありがとう、と。
俺は呪いたい気持ちで、ありがとうと呟きました。
その後の事はよく覚えてやせん。
でも、気が付いたら俺は知らない男の家にいやした。
最初はまた売りをしちまったのかと思いやしたが、そうじゃなかった。
男は道で放心状態でうずくまっていた俺を心配して、一時的に休ませてくれていたんです。
その男の名は、土方といいました。
土方さんは俺に色々質問してきやした。
名前、年齢、家族、学校、そして何故こんな時間にあんな所にいたのか云々です。
俺は、「理由は言えねえけど、色々あって家族と決別しました」と言いやした。
そしたら土方さんは幾分迷った末、状態が落ち着くまで暫くここに居てもいいと言ってくれました。

それがつい一昨日の事です。
土方さんは俺に凄く良くしてくれやした。
居候初日の日、代償行為として土方さんのものを咥えようとした俺は、土方さんに激しく叱咤されました。
彼は俺を叱った後、強く俺を抱き締めて、こう言ったんです。
お前が今までどんな事をしてきたのか俺は知らない。でも、ここではそんなことしなくていい。
ただ普通の子供の様にしてくれれば、それだけでいい、と。
俺にそんな事言ってくれたのは土方さんだけだ。
その時俺は確信しました。
俺に必要なのはこの人だと。
土方さんのおかげで、今俺はここにいます。
友達なんかいなくたって、悲しくも寂しくもありやせん。
今俺は、幸せなんです。
家族なんてどうでもいい、むしろ俺は感謝してんですぜ。
男好きの義母さんにも、相手の男にも、あんなに嫌だった父さんにさえも、ね。
だってそいつらがいなければ、今の俺の生活はねえんです。
俺と土方さんを会わせてくれたあの屑共に、感謝してえくらいなんです。



「…だから、坂田が心配するような事は何もねえんですよ。」
全てを話し終えた沖田は、清々しい程無表情だった。
俺は暫く呆然と立ちつくしていた。
沖田が屋上から出ていった後も、そのまま途方に暮れていた。
なんということだ
なんということだ
俺は沖田を地の底に蹴落としたその手で、沖田の新しい出会いの手助けをしてしまったのだ。
蜚蠊は一匹見つかるとあと三十匹は生息しているというが、これも同じだ。
1人奪ったところで、沖田の周りには数え切れない程の害虫がまだ沢山いる。
そいつらを全員根絶やしにしない事には、俺が頑張った意味がない。皆殺しだ。
昔、男の影がまるきりなかった頃の母が幼い俺に読んでくれたカルメンという小説を何故か思い出した。
当時はただ意味の分からない話だったが、子供ながらに残虐なストーリーだと思ったのを覚えている。
カルメンという女におぼれた伍長ホセの悲劇を描いたものだった。
沖田の為なら俺は、この哀れな男の様になっても構わないと思う。
捕まらない、もどかしい存在を惨めに追いかけたいと思う。
(だから、大丈夫だよ。)
なんど沖田のもとに好機が訪れようと、俺が全て追い払ってあげるから。
だから安心して不幸になれ、カルメン。





季節は巡り、青い若葉も鮮やかな紅葉へと変わった。
白い制服のシャツを対照的な黒の学ランが覆い、久々のずしりとした感触に肩が重くなる。
おんぼろのアパートを出て学校に行こうとすると、近所の小母さん達が何やらこちらを見てひそひそと話しこんでいた。内容は聞かなくても分かる。
銀時くんとこのお母さん、男作って家出てったらしいわよ。
そんな感じだろう。
こうゆう人達を見ているとつくづく思うが、まったく暇を持て余した小母さん達の情報収集能力というのは侮れない。
これなら下手な探偵を雇うより情報が早く手に入るのではないかというくらいだ。一体どこから仕入れてきたんだという様な情報を彼女らは知っていたりする。
そして、そんな彼女らが今一番食いつくニュースは、沖田の義母が夫のDVに耐えられなくなり蒸発したということだった。
井戸端会議中の小母さん達と偶然すれ違って耳にしたことだった。
特にたいした感情は湧かなかったが、強いて言うなら、沖田の父はやはり家に戻ってきていたのかということくらいだった。
と、いうのもあれから俺は沖田家に顔を出していない。
夏休み中、沖田の義母からは度々メールやら電話やらが届いたがことごとく無視していた。
沖田があの女に価値を見い出せなくなったのなら、これ以上あの女と遊んでやる必要もない。
かくして夏休みが終わる頃には電話もメールも来なくなったのだが、それがあのDV男のせいだったのかは未だに定かではない。
DV男の方も義母の性病が感染り病院通いだと聞いた。
兎に角もう沖田家は滅茶苦茶だった。
そんな両親を嘲笑うかの様に倅の沖田は幸福に囲まれた生活をしていた。
今までが酷かったので釣り合いがとれていると言えばとれているのだが、それにしても土方は物を与え過ぎていた。
相変わらず沖田は学校で1人だったがそれでも幸福が顔に滲み出ていた。
アバズレが家を出ていってから死んだ魚の目が更にくすんだ俺とは大違いだった。
沖田は今、誰よりも幸せだった。


「ねえ、沖田君。沖田君はどうすんの、高校」
「あー、高校?そりゃ、今からでも勉強すりゃ最低ゾーンは目指せるんじゃねーですか?」
「いや、そうじゃなくて。金とか」
「土方さんが出してくれるから」
「…ああ、そう。」
放課後、居残りで進路希望調査を書かされていた俺達は、他愛もない話を途切れ途切れに話していた。
俺と机を向かい合わせて話す沖田の綺麗な顔を盗み見ていると、その端正な唇が薄くうごくのが見えた。
「さかたは、どうすんの。」
「俺そんな金ねえし、就職。」
「アテあんの?」
「無いから困ってんだろ。これから探すんだよ」
「ホストとか?あ、メンキャバ?」
「なんで全部お水なんだよ」
はは、と口角を上げて笑う沖田を見るのは初めてかもしれない。
つられる様に俺も笑う。
ひょっとしたら俺も初めて笑ったかもしれない。
乾いた笑い声の後に、沖田は言葉を続ける。
「…なあ、坂田。俺さ、前まで自分が一番不幸だって思ってたけど」
「俺のが不幸だって言いたいの?」
「いや、そうじゃなくて。…まあ、そうなんだけど。ごめん、気ぃ悪くしたら」
「別にいいよ。」
「…あのさ、なんて言うか、頼れよ。俺達アレだろィ、同じ穴の狢っつうか。お前んちも母さんいなくなって大変だろうけど、俺も、さ、その気持ち分かるから。だから、なんかあったらいつでも…」
「うん。ありがと、沖田君」
俺は同情されるのは一番嫌いだが、沖田の心遣いは素直に嬉しかった。
沖田に他人の心配ができるのは偏に土方の影があるからだが、そう思っていても悪い気分じゃなかった。
だがそんな雰囲気に終止符を打ったのは、紛れもない沖田だ。
「沖田君、その痣、なに?」
「え?」
沖田の首筋には赤紫の印があった。
それが何なのか、なんて、聞かなくともわかる。
「あ…ああ、虫にでも刺されたのかねぃ」
慌てて首筋を隠す沖田。
そんな彼を見て俺の心の雲行きは怪しくなった。
俺の予想が正しければ否、正しいに決まっているであろう、相手は。

俺はにっこりと微笑んで言う。
「そうだね。最近悪い虫がでるから、気を付けた方がいいよ。」
「…うん。」

胸糞悪い、害虫がな。
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