小説

□鼠輩(前編)
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沖田は生まれながらにして富を持ち合わせていない子だったらしい。


俺がまだ餓鬼だった頃、俺の住むアパートの目の前に陳腐な幼児施設があった。
くすんだ白壁は歴史の流れを主張しており、近所の子供は気味悪がってそこに近づこうともしなかった。
だが、そんな子供の声一つ聞こえない施設に、俺と同じ歳位の子供がとぼとぼと入って行くのが見えた。
横顔しか見えなかったが、抽象的な顔立ちをしており、一目に女か男か分からない。
幼い俺は好奇心に負け、施設の中に入っていくその小さい体に向けて声を掛けた。
「おい!お前」
声を掛けられたのが自分だと気付いたのか、その子供はくるりと振り返る。
「・・何?」

それが、俺と沖田の出会いだった。

















「銀時ィ、帰ったわよー」
キャハハッと甲高い声を上げて、今日も馬鹿女が帰って来た。
千鳥足で高いヒールの派手な靴を脱ぐその姿は、下品で淫猥な娼婦そのものだった。
こんな女が母親だなんて、信じたくもない。
「お母さんにお帰りの挨拶は無いのー?」
「・・お帰りなさい」
「ふふ、いい子」
そう言って頭を撫でる手を、振り払ってしまいたい。
母親譲りの天パが、俺は嫌いだ。
「そういや、明日からここ人来るから。2、3日家空けてくれない?良いわよね」

男か。
こいつはいつもそうだ。
男、男、男。
こいつの頭の中はいつも男だけだ。
「お金ここ出しとくわよ」
そう言って馬鹿女は汚くて薄暗い自室に入って行った。

坂田銀時、中学3年生。
これが俺の日常だ。



「沖田くーん。ガッコ行こー」
いつもの様に施設の前で押し掛け女房宜しく間延びした声を上げる。
と、中から怠そうな足音が聞こえてくる。
「坂田・・。来るの早ぇよ・・」
まだ寝起きらしく、欠伸を一つする沖田。そんな奴を半ば無理矢理引きずりながらの登校は、今日に始まった事じゃない。
あの日。
沖田と最初に出会ったあの日から、俺達は仲良くなった。
沖田は口数が多い方では無いが、自分の事を色々話してくれた。
母親は自分を産んだ時に他界し、父と暮らしてた事。
だがその父は沖田を見捨て、施設に預けた事。
『確かにお父さんは俺を捨てた。
でも俺はお父さんを憎んでなんかねえんでさ。だから、ここにずっと居ればまたお父さんが俺を貰ってくれるって、俺はそう信じてるんです。』
そう言った沖田を、俺は酷く痛々しいと思った。
俺だって母親を信じていた時はあった。
だが、現実はどうだ。
あんな男狂いのアバズレを、一度でも信じた俺が馬鹿だったのだ。
旦那に捨てられ、女手一つで子供を育てるシングルマザー。
なんて聞こえのいい響きだろう。
あの女は、その肩書きに身を沈めて、可哀想な自分に酔っているだけなのだ。
こんなに可哀想なのだから多少のおいた位お釣りが来るとでも思っているのだ。
なんて哀れで、滑稽なクズ。
「どうしたんでィ?坂田、ボーっとして」
沖田の団栗の様な目がこちらを向く。
そう言えば昔沖田に「なんでそんな変な喋り方なの」と聞いたら、
「これは江戸弁て言うんですぜ。お父さんが使ってたから移っちまったんでさァ」なんて言われたっけ。
ああ。まだ君は父親を諦めてないの。
そんな喋り方、辞めてしまえばいい。
そしたら君と父親の接点なんて、何一つ無くなるのに。
「・・ねえ、沖田君」
「なんでィ?」
「・・・・何でもない」
そしたら、俺と君は似た者同士なのにね。

そんな中、沖田にとっては好事が、俺にとっては何とも言えない出来事が起きた。沖田の父親が施設に顔を出したのだ。
もう一度やり直さないかと。
一緒に暮らさないかと。
そんなの沖田が断る訳が無かった。
俺は必死に沖田を説得した。
あの男は沖田君を捨てたんだよ、そんな身勝手な話あっていい訳が無い。
だがそんなもの何処吹く風だ。
沖田のそれは牢として抜がたい決心だった。

かくして沖田は父親の元へ帰ることになったのだが、当の父親は職が安定してなく、また驚く事に若い女と再婚したという事で、今の家を引き払い空き家を安く買い取ってそこで暮らす事になったらしい。
沖田の新居は家と呼べる代物ではなかった。
寧ろ家というより小屋だったが、沖田はそれでも喜んだ。
沖田家の後妻は一度だけ見た。
沖田の話ぶりからするに若い女だとは思っていたが、まさか二十前半だとは思わなかった。
そんな女を、あろう事か沖田は二学期最後の授業参観に連れてきた。
キャバ嬢然とした布面積が極端に少ない服に、真っ黒に囲まれた目、教室中に充満する甘ったるい香水の香り・・・。
クラスメイト達はまるで珍しい物を見る様にその女をながめていた。
おい、何だよ、アレ。誰んとこのだ。
皆がそうヒソヒソ囁きあっていると、突然沖田が女に手を降り出した。
女は少し迷った様な素振りを見せたが、その後沖田に手を振り返した。
その沖田の嬉しそうな顔ったらない。
(馬鹿じゃねえのか。)
俺はそのやりとりを遠目で見て心の中で悪態をついた。
あんな女が家族だと知られたら似てない姉弟と思われるか、複雑な家庭環境を察されるだけなのに。
そして後者の意見の方が圧倒的に多いことも俺は知っている。
人間はネタになる方を真実として受け入れるのだ。
全て、そう。
俺の母親が夜の仕事をしていると知った時のあのクラスメイト達の目を、俺は一生忘れないだろう。
ふと沖田の家のアバズレを見ると、自分が好奇の目に晒されているのを知ってか知らずか、不機嫌そうな表情で終始ブロンドの髪を弄っていた。

例の授業参観の後の、クラスメイトの沖田への態度は見物だった。
あいつの親は暴走族だ、沖田に逆らったら仲間が飛んできて、袋叩きにあうぞ。
そんな根も葉もない事が真しやかに噂され、クラスメイト達はまるで腫れ物を扱う様に沖田と接した。
俺は可笑しくて堪らなかった。
信憑性のない噂に躍らされている馬鹿なクラスメイトも、子供の授業参観に行っただけで小伝説を作ってしまったただの馬鹿なアバズレも。
そしてその噂を流した張本人は、この俺なのだ。
これ以上の笑い話はない。
沖田は小屋に引っ越してしまい、俺のアパートとは距離ができてしまったが、一緒に学校に行く習慣が消えた訳では無かった。
ので、学校に向かう際、色々な笑い話を沖田から聞けた。
「義母さんは前に水商売をしていた時、客に変な病気を移されて子供が産めない身体になったんでさぁ。だから、俺を本当の子供みてえに可愛いがってくれるんです。」
俺はへぇ、と一言だけ漏らし沖田に媚びを売る女の姿を想像した。
酷く吐き気がした。
「でも、義母さんは可哀想だ。
若いってだけで目の敵にされる。妙な噂まで立って、本当に、可哀想だ。」
前を向きながら沖田はそう続けた。
その目は母を思う純粋な息子のものだった。
やめろ。
お前は俺と同じだったじゃないか。
親に捨てられた悲しい忌み子だったじゃないか。
やめろ。
遠くにいってしまうな。
俺を見て。
俺だけを見てくれ。
「義母さんを守るんです。俺は。
俺だけは絶対に、あの人を助ける。」
沖田は立ち止まり、ぎゅうと自らの腕を掴んだ。
その腕に無数の痣がついているのを俺は見逃さなかった。
次の日、沖田は学校を休んだ。


沖田が学校を無断欠席して3日たった。あいも変わらず何の音沙汰もなく、担任が家庭訪問に行ったところ手酷く追い払われたらしい。
ここまできて、ついに暴走族の噂は信憑性を増してきた。
ある事無い事良いように言うクラスメイト達を尻目に、俺は1人ほくそ笑んだ。
この状態だと、沖田が学校に来る頃には沖田の周りには誰もいなくなるだろう。
そうなれば、いい。
そうなれば沖田は1人だ。
孤独で可哀想な沖田は、俺に泣きつく。もう俺にはお前しか残ってないと。頼れるのはお前だけだと。
そこまで考えて恍惚な気持ちになった俺に、後ろから担任が声をかけた。
「坂田お前、沖田と家近いだろ。休んでた分のプリントを渡してもらいたいんだが」
「…分かりました」
面倒事を俺に押し付けてすっきりした担任は、「よろしく」と念を押し教室から去っていった。
俺は担任から受け渡された沖田がいない日の形状記憶を見て、溜息をついた。



俺は頭は悪いが、察しはいい方だ。
ので、すぐ気付いた。
沖田が父親に暴力をふるわれていることを。
あんなに父に会いたがっていた沖田が父の話を一切しないのも気になったが、何より決定的な証拠はあの腕の痣だ。
沖田は必死に隠そうとしていたが、幼馴染みの俺の目は誤魔化せない。
そして、そんな最低DV男が住む家、もとい小屋に俺は今から入ろうとしている。
一歩踏み出すと、ギシッという不快な音がした。
インターフォンは何処かと探したが見つからないので、仕方なく勝手口をトントンとニ回叩く。
「ごめんくださーい」
もう一度、ドンと叩いてみるが、返事がない。
留守かと引き返そうとすると、中から何やらミシミシと足音がした。
数秒後ギイイとこれまた不快な音をたて、勝手口が開く。
「…はーい」
中から出てきたのは沖田でも父親でもなく、あの後妻だった。すっぴんの目を細め、俺を疑い深い様子で見る女。
「あのー僕、坂田銀時と言いますが、あっ総悟君の友人です。その、総悟君は…」
「今は居ないわよ。父親と出掛けてるから」
「あ、そうですか。じゃあこれを預けて頂けませんか」
「…あ、ああ。ご苦労さま」
俺からプリントを受け取る女の手が、ピクリと止まった。
「…あの子、学校にも行ってないのね」
その台詞に、俺は驚いた。
「総悟君、家に帰ってないんですか」
「ええ…。二日前から、ずっと。夫と一緒に家を出ていって、それきりよ」
驚愕した。
なんだそれは。
沖田は父親が嫌なんじゃないのか。
暴力をふるわれてなお、父親と一緒に居たいのか。
━━━━違う。そうじゃない。
「暑く、ないんですか」
俺の言葉に、一瞬反応を見せる女。
今は夏だというのに、女は長袖の服をきっちりと着込んでいる。
「あんたに関係ないでしょ。用が済んだならさっさと帰って」
先程とは違う動揺した様子の女を見て、ビンゴだと思った。

この女は沖田同様に暴力をふるわれていたのだ。
そして沖田は、この女と父親を引き剥がすため、自らを犠牲にした。
「帰ってよ!早く…」
「━━馬鹿じゃねえの。」
思わず呟いていた。
沖田は馬鹿だ。
大馬鹿者だ。
こんな女を、たった一人で守ろうとしているのだ。
『義母さんを守るんです、俺は。俺だけは絶対に、あの人を助ける』
あの言葉の意味が、今やっと分かった。


何故だ、沖田君。
君に大切な人なんて要らない。
いるのは俺だけだ。独りぼっちの君を支えらるのは俺しかないない。
なのに、何故君は俺を見ない。
何故助けを求めない。
壊したいんだ。
沖田の大切なものを全て、壊したい。
壊したい。
でも、無理だ。
この女を手に掛けるなんて、そんなおぞましい事、できない。
壊せないのなら。




俺の中の何かがぷちんと切れた音がした。俺はまだ何か喚いている女の腕を、強く掴んだ。
と、急に言葉を失った女の唇を、自身の唇で塞ぐ。
強く、強く。
そう、壊せないのなら、奪ってしまえばいいのだ。
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