百花繚乱・第二部

□第十章『魏と鬼宿』
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『柳宿!全く…どこに行っていたのだ!?』
やっと下界で合流した柳宿を、井宿はぴしゃりと叱りつけた。
『井宿…ごめんなさい。太極山の様子が気になっちゃって…それで』
『無事ならよかったのだが…それより、魏の石の事。どうやら、事態は深刻なようなのだ。もう一度、みんなで話し合って…………翼宿?』
柳宿に遅れて宿屋に入ってきた翼宿は、先程から椅子に一人凭れている。
その表情は、明らかにどこか意気消沈していて。
『どうしたのだ?具合でも、悪いのだ?』
『ああ〜すまん。ちょっと…疲れてな。風に当たってくる。先に話しててくれや』
『………翼宿』
柳宿の呼びかけには応答せず、翼宿は静かに宿屋を出ていった。
『お前達…何か、あったのか?』
『………………』
動揺する軫宿の横で、星宿だけは訳知り顔をしながら柳宿の事を見つめていた。

ドカッ!
翼宿は一人になると、突然側にある大木を殴り付けた。
握り締めた拳の間から、パラパラと木屑が落ちる。

"あたしは…あたしは、死んだ時から…もう、星宿様じゃないの………あんたなの………っ!!"

先程から頭を離れないのは、柳宿の慟哭。
これから大変な時期なのも分かっているが、翼宿にとってこれ以上の衝撃はない。
『…………んで、こんな事になるんやっ………!!』
生きている世界と死んでいる世界で、やっと繋がった気持ち。
いつか昇華されるであろうと思っていた自分の気持ちが、まさかこんな残酷な結果に繋がるとは…
この闘いが終われば、柳宿は望んだ姿に生まれ変わる。
嬉しい事なのに、それはやっと繋がった自分との関係が完全に終わる事を意味しているのだ。
抱きしめてあげられないまま。口付けを交わせないまま。柳宿を愛してあげられないまま…
変えられない現実に、翼宿が唇を噛み締めていた。その時だった。

ザクッザクッザクッ…

後ろの茂みから、誰かの足音が聞こえる。
その足音はゆっくりと翼宿に近付き、そして…彼の背後で止まった。
『…………誰…!!』
だが、振り返ったところで、翼宿の動きは停止する。
『お前…翼宿!?』
声をかけてきた人物。それは、かつて闘いを共にしたかけがえのない仲間。
『たま…ほめ…!?』
そう。それは、朱雀七星士・鬼宿の姿だったのだ。


パタン
『翼宿。魏は、どうしてるのだ?』
数刻後、魏の部屋の扉を閉めた翼宿に、井宿が声をかけた。
『俺が話したところで、埒あかんわ…混乱して、飛び出していってしもた』
『無理はない…我々でも、動揺しているのだ』
あれから鬼宿を宿屋に連れていったはいいものの、案の定事態は混乱した。
念のために鬼宿と魏は分けて話をする事になったのだが、魏の担当となった翼宿は何一つ励ましの言葉をかけてやれず結果彼をますます傷付けてしまったようだ。
そんな親友の肩に、井宿はそっと手を置いた。
『おいらでも、説得出来たか分からない。気を落とさない事なのだ。
しかし、驚いたのだ。あの鬼宿がまだこうして存在していて、魏が影の存在などとは。だけど気は完全に鬼宿のものだし、敵の罠とも思えないのだ』
『完全にアドベンチャーやな…こんな時に、笑えへんわ』
『とにかく、落ち着いたら魏を呼びに行くのだ。今、星宿様と軫宿で今後の事について話し合っている。魏の事はどうするのかという事と、鬼宿についても。我々は、どちらも見捨てられないのだ』
『そんなん、当たり前やないか…ほな、あっちの「たま」の様子も見てくるわ』
鬼宿も魏も、大事な存在。どちらもおざなりにする事が出来ない仲間思いの翼宿は、次に鬼宿の部屋を目指す事にした。

『鬼宿…じゃあ、後は頼んだわよ?』
ちょうどその頃、鬼宿は美朱を連れて自分の部屋へ戻っていた。
付き添っていた柳宿が、声をかける。
こちら側での話し合いで衝撃を受けた美朱が倒れてしまい、話を中断して彼女を休ませる事になったのだ。
『………柳宿』
『何よ?』
『美朱とあの魏って奴は、恋仲だったのか?』
『……………』
『例えそうだとしても、今の美朱は俺を選んでくれるよな?』
まっすぐに瞳を向けて訴えてくる鬼宿に、しかし柳宿は何も言う事が出来ない。
『………目が覚めたら、二人で話しなさい。ね?』
だからただそれだけを告げ、部屋を後にした。
扉が閉められた瞬間、彼の額の<<鬼>>の文字が黒々と光った事も知らずに――――


『どうしたら、いいのよ…』
廊下の曲がり角の先で、柳宿は壁に凭れ額に手をあてる。

鬼宿の話では、魏は鬼宿の影の存在でしかないという事。本当に、そうなのだろうか?
確かに魏には記憶が欠けていたが、それ以外はどこをどう見ても鬼宿だった。
自分達もそれを信じて、今まで接してきた筈なのに…

コツコツ…

すると、遠くから誰かがやってくる。
徐々に近付いてくるその人物の背中に鉄扇が見えた事で、それは翼宿だと分かった。
柳宿の顔を確認して、彼はその場に立ち止まる。
『………お前も、たまの様子見に行ったんか?』
『話してる途中で、美朱が倒れちゃってさ。今、鬼宿と運んできたところなの』
『そっか…何や、ややこしい事になったなあ』
『………うん。でも、あれは鬼宿よ。美朱の事になると盲目になるところなんて特に…別人とは思えない』
『………ああ』
そしてまた、二人の間に暫しの沈黙が流れる。
それは、鬼宿の件のせいなのか。それとも…
判断する前に、翼宿は歩き出した。
『………柳宿』
そして、柳宿の横で立ち止まる。

『今は、集中しろよ。あんまり、余計な事は考えるな』

その言葉に、柳宿の瞳が揺れた。
分かっていた。分かっていたのだけれど。
今、お互いの姿を確認した時に、お互いが動揺したのは事実だった。
だからこその、翼宿の提案なのかもしれない。
少し間を開けて柳宿が頷くと、翼宿はその場を離れていく。

本音を言えば、もっと自分達の事を話したい。だけど…
『……………っ!』
振り返ってもう一度彼を呼び止めようとしたが、柳宿はそこでそっと唇を噛んだ。
そんな事は、出来ない。


コンコン
翼宿は鬼宿の部屋の扉を、二回叩く。
『たま?入っても、ええか?』
しかし、中から返事はない。
確か、美朱と一緒にいる筈では…?翼宿は、首を傾げる。
『入るで…』
扉を開けると、中には一人膝まずいている鬼宿の姿があった。
そして、彼の目の前にある美朱が寝ている筈の寝台はもぬけの殻で。
『たま…美朱は?』

『帰っちまった…』

『帰ったって…え?どこへ?』
『魏って奴…あいつも、元の世界へ帰ったんだろ?』
『何やて!?』
風に当たりに行っただけだろうと思い込んでいた翼宿は、その言葉に驚く。
そう。この短時間で、目を覚ました美朱は鬼宿を裏切って現実世界へ帰っていったというのだ。
『美朱は、魏がいいんだってさ。なあ?翼宿。鬼宿は、俺だよな?なあ…いつから、美朱は…あの男に…』
生気を失ったような瞳で立ち上がった鬼宿が、翼宿にしがみついてくる。
『たま…落ち着け。今、井宿達を呼んでくるから…話は、そこで…つっ!?』
そこで、翼宿の両腕に鬼宿の爪が食い込んだ。
『たま…?』

『………まずは、お前からだよ。翼宿』

<<鬼>>の文字が、不気味に光る。
すると四方から突然糸が飛び出し、あっという間に翼宿の全身を絞め上げた。

『……………ぐっ!!』

そう。目の前の彼は、朱雀七星を追い込もうとする、仲間の記憶を借りた偽者だったのだ。

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