百花繚乱・第二部

□第九章『触れたくて…』
1ページ/1ページ

"柳宿?俺はな………ホンマはお前に申し訳なくて…それで"

翼宿は、美朱が好きだ。今でも、そう思っている。
それなのに、あの時の言葉の意味は何だったんだろう?
今、あなたが誰を思って何を考えているのか、あたしにはさっぱり分からないよ。



翼宿達が飛皋との闘いから戻る間、柳宿はなぜか一人太極山に戻ってきていた。
足を踏み入れたのは、太極山禁断の間。
そこには、ひとつの光輝く水晶が祀られていた。
その周りは頑丈なガラス張りになっていて、触れる事は禁止されている。
恐らく柳宿のような怪力でも壊されないよう、結界も張ってあるだろう。
そんな厳重に管理されている水晶の輝きを見て、ひとつため息をつく。
『こんなところで…油売ってる場合じゃないのに』
そう。その水晶は、娘娘の力も借りれない時に一度だけ使える霊体に実体を宿してくれるもの。
今、柳宿が喉から手が出る程ほしいものだった。

本当は、先日の小さく弱く見えた翼宿の頭を撫でてあげたかった。
苦しかっただろうその肩を、気が済むまで優しく擦ってあげたかった。
しかし唯一触れる腕輪が力を制御してくれない事で、そんな優しい行為は叶わない。
こんな体では、翼宿が本当に言いたい事も聞き出せないで終わってしまうかもしれない。
だけど、やっぱり…

『帰ろう…』
太極山の掟を破る事は、許されない。
そんな事より、翼宿達が戻ってくる前に自分も早く下界へ戻らなければいけない。
踵を返して、柳宿は歩き出した。


太極山の外は、まだ天罡に攻撃された時のままだ。
きっと今頃、この山のどこかで他の住人達が身を寄せて避難をしている事だろう。
下界だけではない。この場所も早く救ってあげなければ…そんな事を考えながら、歩いていたその時。

『柳宿…?』

名前を呼ばれて振り向くと、薄汚れた着物を着た中年の男性が立っていた。
その顔立ちに、柳宿は見覚えがあった。
『あなた…酒屋の…』
それは、以前酒を分けて貰った酒屋の店主だった。
『よかった…無事だったんだな!ずっと探してて…』
『そうなの…でも、外に出たら危険よ。まだ、闘いは終わってないの…』
『また…下界へ行くのか?』
『ええ…あたし達にはまだ使命があって…もう少ししたら、きっとこの山も元通りになるから!だから、早くみんなのところへ…』

『行かせない』

その時、弱々しかった彼の瞳の色が突然変わった。
いきなり柳宿の両肩を掴むと、乱暴に壁に押し付けた。
『なっ…何すんのよっ…!』
『柳宿…俺は…俺は、一目見た時からお前が…』
容赦なく顔を近付けてくる男から、柳宿は顔を反らす。
『やめなさいっ…!!怪我したいの…!?』
『そんな事を、言っていいのか…?』
『何っ………痛っ…!!』
抵抗しようとする柳宿を、男は後ろ手に締め上げた。
その状態で、そっと柳宿の耳元に囁きかける。
『俺の職業は、元酒蔵の長だ。今から下界に降りて、紅南に発注する酒だけに毒を入れる事も出来るんだぞ?』
『何ですって…!?』
『幽霊の特権だよな。人間の生活に悪戯が出来る…その行方だって、眩ませられるんだから』
狂ったように笑い出す男を、柳宿はキッと睨み返した。
『そんな事したら…許さないわよ…!』
『だから…』

ビリッ

男は、強引に柳宿の上着を破いた。艶のある肌が露になる。
『お前が代わりに奉仕しろって、言ってるの』

今、呑気に寄り道した自分が間違っていたと柳宿は悟った。
こんな荒んだ太極山に、冷静な住人ばかりがいる訳ではない。
事実、男は柳宿の胸が平坦な事など気にもせず夢中でむしゃぶりついてくる。

男の行為に、必死に耐える。
『柳宿………いい子だよ………』
『い…………や………』
抵抗出来ない。
再び、壁に押し付けられる。
『顔………もっと見せろよ…』
顎を掴まれ、唇をぐっと噛む。


………ドン


すると、男の体を通して何かの震動を感じた。

『動くな』

響いたのは、掠れた男性の声。
微かに見えた橙頭。

何で…どうして…?

『ははっ…人間か?人間が、俺の体に触れられる訳…』
『動くなつってるやろ………!!』
男の背中に押し付けられていたのは、ギラリと光る鉄扇。
『次、動いたら…』
『あつっ………!!』
その鉄扇から微かな炎が散り、男は柳宿から離れた。
『お、お前…何でだよっ…!』
なぜ、人間の武器が霊体に触れるのか?
男も柳宿も、同じ疑問を持っていた。

『そんなん、お前に説明する必要ないわ!さっさと、巣に………帰れ!!』

凄まじい殺気は、翼宿の背中からも十分に伝わった。
男は腰を抜かしたまま、そこから去っていった。


柳宿は肩を上下させながら、その場に座り込んだ。
『翼宿………どうして………』
『…どうして?』

バンッ!

翼宿は振り向くと、柳宿が凭れた壁のすぐ真横に手を叩き付けた。

『お前………こんな時に、何してんねん!!もっぺん、死にたいんか!!!』

男に向けていた形相のまま、柳宿を怒鳴りつける。
太極山に慌てて辿り着いた時、男に食われそうになっていた柳宿の姿を見た翼宿の心中は計り知れない。
男への怒りと、勝手な行動をした柳宿への苛立ちと。色んな感情が、入り交じっていたのだ。

『ごめん………』
明らかに怯えた表情を見せる相手に気付いたところで、翼宿は柳宿の両肩にそっと手をかけた。
『…………すまん。怒鳴りすぎた』
懸命に首を振るが、柳宿の我慢していた涙がそこで零れ落ちる。
『どうして、鉄扇が…』
『実はここに来た時に、こっそり太一君に言われてん。お前に色目使ってる男が最近入ってきたから、俺に見ててほしいってな。霊体には触れへんから、何かあった時の為にこの鉄扇に魔力かけてもろてたんや…まさか、あの酒屋の店主やったとはなあ…』
なぜ、太一君は翼宿に頼んだのだろうか?
まさか、娘娘が何か言ってくれたのだろうか?
『とにかく、井宿と帰ったらお前がいなくて星宿様からここにおるって聞いたんや』
『ごめん、心配かけて…』
『無事なら、それでええ。それより、はよ戻らんと!まだ、魏の件は解決しとらんのやし…』
身を離して、翼宿は立ち上がろうとする。
『待って…翼宿』
『え?』
『ねえ…あたし、苦しいんだよ…?』
涙は依然止まる事がないまま、柳宿は翼宿を見上げる。
『あんた…ずるいよ…あたしに散々色んな気持ち残していく癖に、あの日の約束の事もこの間言おうとしてくれた事も全部保留にしてさ。あたしはあんたに触れないからいつもそれ以上踏み込めなくて…こんなに悩んで、それでここまで来たのに…』
『……………っ』
その言葉に、瞬時に翼宿の顔が赤くなる。
『何…言うてんねん。言うたやろが…お前は自分のこれからの事だけ考えてれば、それでええて。俺が何言おうとしてたかなんて、そんなん今のお前には関係ない…』
『…………あたしはっ!!』
戸惑いに顔を背けながらなおも隠そうとする翼宿に耐えきれず、次の言葉を投げかける。


『あたしは…あたしは、死んだ時から…もう、星宿様じゃないの………あんたなの………っ!!』


翼宿は目を見開いて、柳宿を見る。
『好きな人が、何を言いたかったのか…気になるものなんじゃないの…?』
『な…に、言うて…。お前が…俺を…?』
その問いかけに、柳宿は静かに頷く。
『あんたが美朱を好きな事は、十分分かったよ。だけど、そんな気持ちで中途半端に接してこられたら、あたしの気持ちはどうなるのよ…』

『それは、ちゃうんや…』

『え…?』
『美朱の事は、何とも思ってない…ただ俺はこんだけ辛い思いしてんのに、あの二人はお互い傷付け合う事ばかりしてて…そんなん見てたら、何かむしゃくしゃしてきよったんや。そこを飛皋に逆手に取られただけなんやて…』
『辛い思いって…何よ…?』
その問いに、翼宿は呆れたように頬を染める。
『俺かて…ずっとずっと、どう踏ん切りつけようか悩んでたんやで…せやからこの気持ちを諦めたくて、星宿様と上手く行ってるか聞いたんや。それなのに…全くお前は…』
一瞬ためらうが、柳宿の頬にそっと手が添えられてその言葉は続けられる。


『………俺は…朱雀召喚したら………お前と、ずっと一緒に………いたかった。お前が死んでからも…その気持ちは変わっとらん』


二年越しの約束の言葉。やっと聞けたのに…

翼宿の手が、柳宿の頬を掠める。
『やけど………辛いな、触れへんのは』
その言葉に、柳宿はハッとする。

おんなじ気持ちだった。

『た…す…き…』
『戻ろう。柳宿』
そう呟くと、翼宿は今度こそ背を向ける。

これ以上話しても、何も変わらない…だから、みんなのところへ帰ろう。

『…………うん』
喜びとも悲しみとも取れない雨が、暫く翼宿と柳宿の心に降っていた――――――

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ