百花繚乱・第二部

□第六章『あたしが死んだ日』
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『柳宿。今日は、疲れたと思うのだ。ゆっくり、休むのだ』
呂候の一件が一段落した美朱達は、その日は柳宿の実家に泊まる事になった。
皆が各々に用意された部屋へ向かった後で、井宿は残された柳宿を気遣って声をかける。
『ありがと、井宿。でも、休まなくても回復するから。便利な体よね♪』
『そんな事ないのだ。霊体であれども、君は今回相当な精神力を使った筈。何も考えない時間も、大切なのだ』
『そうね。じゃ、おやすみ』
『………』
それだけではない。魏が妖魔の寄生から解放された頃から、柳宿の様子がおかしい事に井宿は気付いていた。
そう。確か、"あのお調子者"と会話をしていた頃から…


『ふあ〜眠…玉も後二つやし、少しはゆっくり出来るなあ…』
その頃、翼宿は呑気に欠伸をしながら通された部屋への廊下を歩いていた。

『翼宿』
ツン
『どわっ!』

その時、いきなり後ろから井宿に錫杖で背中をつつかれる。
もう少しで曲がり角の柱に激突しそうになったところで、キッと背後を睨み返す。
『井宿!おんどれ、普通に呼び止めんかい!』
『翼宿。部屋の変更なのだ』
『は?何で、お前にそんな権限あんねん!』
『柳宿の部屋に行くのだ』
真顔で命令してきたその言葉に、遅れて翼宿は顔を赤らめた。
『なっ!何言うてんねん!柳宿の部屋!?』
『生前は、いつもそうしていたではないか。何を照れているのだ?』
確かに、二人の仲を認めて毎回旅の部屋割りをしていたのは井宿だった。
『別に照れとらんわ!死んでる奴と部屋が一緒なんて、考えただけで寒気が走っただけや!』
ぷいとそっぽを向く翼宿を、井宿はなおもその猫目で見つめ続ける。
そのままの状態で暫しの沈黙が流れ、ここで否定しては不自然と観念すると彼はひとつため息を吐いた。
『分かった…行くわ』
そうして頭をガシガシとかきむしると、翼宿は元来た廊下を戻っていった。
『これで、少しは元気になるといいのだが…』

今、柳宿を惑わせている元凶も、恐らく"彼"なのであろうが。
魏が大変な時に問題を増やしてほしくはないし、何よりこんな時だからこそ朱雀のムードメーカー的存在である二人には平静を保ってほしい。

井宿はそんな願いをこめて、住人の許可も得ずに勝手に翼宿の部屋の変更を指示したのであった。


柳宿は、自分が使っていた部屋の寝台に潜っていた。
頭をもたげているのは、これまでの"あいつ"との関係。
それと同時に思い出されるのは、あの日の娘娘の言葉だった。


"生きている人間との恋だけは、もう叶える事が出来ない。―――柳宿も翼宿も、もっと苦しむ事になる。"


確かに、その通りだった。
彼と再会してから感じていた気持ちは、喜びよりも悲しみの方が大きい。
触れ合えない虚しさ、すれ違う気持ち、そして見てしまった巫女との口付け…
その度に、死んでしまっている自分の体ではその状況を変える事すら出来ない。

柳宿は自分が死んでしまった事を、この時初めて後悔していた。
辛くて辛くて本当は吐き出してしまいたいのに、唯一吐き出せる相手の部屋の扉をノックする勇気すらない。
一人で、耐えなければいけないのだ。これは、自分が決めた道なのだから…そう自分に言い聞かせながら、唇を噛み締めてそっと目を閉じる。
キイ…
そこで扉が開く音が聞こえ、振り返ると明かりが漏れる廊下に翼宿が立っていた。
驚きに、目を見開く。
『翼宿…!』
『お邪魔するで』
『へ…?』
『井宿の命令や。俺らの部屋割り』
今の自分の心を見透かされていたように、井宿が彼をこちらに差し向けた。
状況を把握したところで、慌てて壁側に身を回転させる。
『な、何よ!井宿も、変ね!死んだ人間と同じ部屋にするなんて…』
『ホンマに…何考えとんねん。あいつは…』


ど、どうしよう…


『そっち…行ってもええか?』


背中からかけられる遠慮がちな彼の低い声に、思わず体が熱くなる。
『わざわざ、聞かないでよ…気持ち悪い』
『や。一応、お前の実家やし…』
『…どうぞ!床だと寝られないだろうし…』
こちらを見ずに了承する柳宿に首を傾げながらも、翼宿は彼の隣に横になった。

部屋の中は、すぐに時計の秒針の音だけになる。
だが、二人はすぐに目を閉じる事はなかった。
『………なあ。柳宿?』
『な、何よ…?』
『お前、何か最近おかしくないか?』
背を向け合ったままの状態で、翼宿は問いかけてくる。
『何で…そう思うのよ?』
『いや…生きてた頃のハリが、最近のお前にはないような気がしてなあ。俺の取り越し苦労やったらええんやけど…また何か隠してるんやないかって思って』
『…疲れただけよ。やっと、あたしが持ってた石が魏に戻ったから、気が抜けちゃっただけ…』
『そ…か』
これ以上心を許したら、また自分は傷付く。
だから、言えない。言える訳がない。
そんな自分の気持ちとは裏腹に、翼宿は安心したようにゴソゴソと毛布を探る。
『ふあ…ほな、俺は寝るで。即行で寝られる』
『そうね。早く寝なさい…あんたに倒れられるのが、みんな一番困るんだから…』
柳宿も、急いで再び目を閉じる。
朝になればまたいつもの関係に戻れるんだから、さっさと寝てしまえばいいんだ。
朝になればまたいつもの自分に戻っている筈…だから。




(柳宿!柳宿お!目開けてよお!!)
遠くで、朱雀の巫女の泣き声が聞こえる。
(柳宿が何のために命を懸けたか、一番分かってるのはお前じゃねえのか!!)
遠くで、鬼宿の怒鳴り声が聞こえる。
(このアホんだら!!目覚まさんかい、柳宿!!)
その次に聞こえてくるのは、大好きな声。

柳宿は、「そこ」にいた。
実体から切り離された魂だけが、黒山の空を飛んでいる。
見下ろすと、自分と星宿を除いた朱雀の仲間達が雪原の中で項垂れていた。
(どうしたのかしら?みんな…こんな寒いところで…)
ふわりと翼宿の横に舞い降りて、涙を流している彼に声をかける。
(ねえ、翼宿。あたしは、ここよ?聞こえないの?)
『笑っとったやないか…昨日別れた時…あんなに元気やったやないか!!』
(何言ってんのよ?あたし、ここにいるじゃない…ねえ。気付いてよ)

その時、皆が取り囲む中に血だらけになっている自分の姿が見えた。


(あたし…死んだの?)


ナンデ、ドウシテ、シンジャッタノ?
マダヤリノコシタコト、タクサンアルノニ…




『つっ!!』
柳宿は、そこで目を覚ました。
息がやけに切れており、背中には滅多にかかない寝汗もかいていた。
隣を見ると、翼宿の肩は呼吸に合わせてゆっくり上下している。

………………夢か。

現実に徐々に戻ってきたところで、気持ちを落ち着かせるため額に手をあてて深くため息をつく。

これから、ずっとこんな悪夢が続くのだろうか?
思い出したくもない「あの日」を悔やんで、この先ずっと後悔ばかりを繰り返していくのだろうか?

どっとこみ上げる不安に、涙を止める事が敵わない。
翼宿に背を向け、必死に嗚咽をこらえる。


ダメ…泣いたら…起こしちゃうから…


『どないしたん…』


その時、背中から低い声が聞こえた。
『………っ!ごめん…起こした…?』
『いや。寝てないし』
『は…?何言って…』
『お前、魘されてたで』
『いや…ちょっと食べすぎた夢をね』
『嘘つくな。何を、美朱みたいな事言ってんねん』
こちらを向かずに会話を続けてくれる事で、泣き顔を見ないようにしてくれているのが分かる。
それでも、彼は自分が今の苦悩を打ち明けるのを待ってくれている。そう、思えた。
『…あたしが、死んだ日の夢を見てた』
『………』
『どんなに呼びかけても、みんな返事しないの。血だらけになったあたしを囲んで、みんなが泣いてる』
『………』
『…ったく。考えてみたら、戦闘向きじゃない癖に、気張って黒山に一人で登るなんて…あたしってバカよね』
自嘲と共に零れるのは、やはり瞳の端から逃げたがっていた涙だった。


『あんたとも…約束したのにね』


その時、翼宿は振り返ってそんな柳宿を後ろから抱きしめた。


『え…?』
もちろん触れられない。だけど、その温もりは柳宿の肌に微かに伝わってきた。
『…あん時、こうしてくれたやろ?』
『翼宿…』
『お返し』
目の前に見えるのは、捲れた袖の下から見え隠れしている<<翼>>の文字。
それをなぞるようにそっと触れると、なぜかとっても安心した。
『らしくないやん…過去振り返るなんて…』
優しい言葉が、鼓膜を震わせる。
『………死んでから初めてこんなに長い時間をみんなと過ごせて嬉しかったけど、生きてる時には出来ただろうなって事にもたくさん直面して辛くなった事もあったんだ。だからかな…こんな夢見たの』
『そっか…』
『本当は生きてやりたい事だって、まだまだたくさんあったのになあ…』
『ああ。俺と酒飲みながら、馬鹿話したりな』
『そう…そうよ。そんな事だって、たくさん…』
『俺かて、同じ気持ちやわ。ボケ』


『辛かった…一人で死んじゃう事が』


死後、初めて漏らした本音―――生きている人間にこんな話をしている自分の姿は、どれだけ小さくて情けなかっただろうか。
それでも茶化すことなく、自分を抱きしめてくれている人物はその愚痴を大事に聞いてくれているようだった。

暫しの沈黙が流れ、翼宿は口を開く。
『…山に帰った時、先代の墓に寄ってな。改めて俺も、先代の墓前でお前らの事を思って泣いたんや。何で死んだんやって、お前と同じ事繰り返し呟いてた』
『え…?』
『そん時、先代が俺にこう言ったんや』

"幻狼。人の死の運命を、変える事は出来ない。神は、意味を持ってその死を与えている。それを受け入れる者こそが、次に生まれ変わった時に幸せになれるんや。お前もそうなった時に、覚えておけ"

『それ聞いてからは、もう嘆く事はやめた。その代わり、お前らの墓参る時は生まれ変わったら今度こそ幸せになれよって…ずっと願ってきたんやで』
『翼宿…』
自分が死んだ時にあんなに泣いていた翼宿は、自分よりずっと前に自分の死を乗り越えていた。
『お前の呪縛が解けるまで…俺ら頑張るから』
『………っ………』
『そうしたら、また前向けるやろ?生まれ変わったら、女にでもなって今度こそ好きな男と結ばれればええやん』
『うん…』
『泣くのは、今だけやぞ』


何も状況は変わっていないけれど、それでもこんな姿になっても、自分の弱さを受け止めてくれるこの広い腕の中にいられるのは「今」があるからこそ。
生前とは真逆で、今度は彼が自分の兄貴的存在になってくれているそんな時間が、心地よくて、くすぐったくって。
だけど変わらず自分を案じてくれる彼がいてくれるなら、もう大人になってゆく翼宿に対して寂しさを感じる事はないだろう。

それと同時に、柳宿は自分の中に誰にも負けない彼への愛情が募ってゆくのを感じた。
自分はもう死んでいるけれど、それでも離したくない。美朱に、彼を渡したくない。
その思いが、本能を掻き立てる。

『翼宿…あたし…』
『ん?』

このまま気持ちを伝えてしまえば、何かが変わってゆくかもしれない。

『あたしさ…ホントはね…ホントは…』

しかし次に翼宿の耳に聞こえてきたのは、再び眠りに落ちた柳宿の寝息だった。
『おやすみ…』


暖かいと感じる事が出来た夜…
それはあなたを好きでいていいという微かな自信を取り戻せた、そんな夜だった。

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