百花繚乱・第二部

□第五章『君が遠くなる』
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『この水晶玉は、柳娟の大事な形見なんです』
今しがた井宿に水晶玉を奪われそうになった呂候は、いとおしそうにそれを撫でながら元あった祭壇に戻す。

星宿が所持していた鬼宿の記憶の石を無事に取り戻し、美朱達は次なる石を求めて紅南の首都・栄陽へ降りていた。
そこで出会ったのは、柳宿に容姿が瓜二つの迢家の長男・呂候。
彼の薦めで柳宿の実家に立ち寄った彼らは祭壇の前で手を合わせてる最中に、ようやく柳宿とも再会できた。
更に、祭壇に備えられている水晶玉の中には鬼宿の記憶の石が入っていたのだ。
大喜びで中の石を取り出そうとしたところ呂候にそれを阻止されてしまい、今に至るのだった。
弟の死に目にも遭えずにその水晶玉を形見として大切にしていたという彼からこの玉を奪うなどという無慈悲な事は出来ずに、美朱達はほとほと困り果てた。


『あ…兄貴…』
『な…何なんですか。あなた達は…今の化け物は一体…』
その夜、柳宿の許可で祭壇に忍び込んだ美朱達であったが、魏の体から化け物が飛び出してきた事で騒ぎになり作戦は失敗。
騒ぎに気付いて駆け付けた呂候が、怯えた目を侵入者に向けていた。
『兄貴…?これには訳があるのよ…説明するから、とりあえず落ち着いて…』
柳宿が必死に声をかけるも、その声は彼には届かない。
歩み寄ろうとする霊体をすり抜けてあるものを見つけた瞬間、呂候はそのあるものを素早く懐に閉まい込んだ。
『………あ』
『そんなに…この水晶を…この柳娟の形見を、僕から奪いたいんですか!?』
『いや…それは、あんたの弟の許可で…な。その、かくかくしかじか…』
顔をひきつらせながら説明しようとする翼宿の肩を乱暴にどかすと、呂候はそのまま外へ出ていく。
『呂候さん!?一体、どこへ…!』
『早馬を出してくれ!仏様にお願いをしてくる!』
『兄貴!ちょっと待ってよ!』
あっという間に彼はその場から姿を消して、残されたのは気絶した魏と七星士のみとなってしまった。

皆の視線が集まる先は、そんな光景をぼんやりと見つめている弟の小さな背中。
『姿が見えないだけじゃなくて…声も届かないのね』
『………柳宿。んな、気落ちすんなや…な…』
俯く柳宿の傍ら、翼宿がそっとその肩に触れようとするが。

『んもおおお!!頭に来た!こうなったら、意地でも兄貴引っ張ってくるから!あたしに、任せて!!』

『えっ…ちょっと!柳宿!!』
そう叫ぶやいなや、彼も呂候の後を追いかけて飛んでいってしまった。
『柳宿だけじゃ、無理だよ!あたしも、ちゃんと説得してくる!』
『………しゃあない!俺も、行く!後、頼んだで!』
その後に、美朱と翼宿も続いた。


『仏様…どうか、僕と柳娟の形見の水晶をお守りください…』
寺院に辿り着いた呂候は、祭壇の前で震える手を合わせて祈りを捧げている。
『……………………』
そんな後ろ姿を暫く眺めていたのは、すぐに彼に追いついた柳宿。
自分の世界にすっかり入ってしまった呂候に、意を決してもう一度声をかける。
『ねえ…兄貴!お願いだってば!話を聞いてよ!その水晶が、必要なの!』
『僕は…柳娟のこの形見がないと生きていけないんです…』
『それがないと、あたしも翼宿達もみんな消えちゃうのよ!お願いだから、それを渡して!』
『柳娟…僕を護ってくれ』

…ブチッ!

依然無視を決め込まれた中で、堪忍袋の緒が弾けたような気がした。
凄みを利かせた目で、兄を見下ろしながら近寄っていく。
『そんなんで…みんなが消えちゃったら…兄貴一生恨むわよ…!』

『待て!』
その時、発動した腕輪を誰かに引かれて物陰に引き込まれる。
見上げると、そこには後から辿り着いた翼宿がいた。
『翼宿…』
『落ち着け!焦る気持ちは分かるけど、呂候はんの気持ちも考えてやれや…』
『何、言ってんのよ!?こんなところで…余計な時間食ってる場合じゃないのよ?』

『あの人は、お前がホンマに好きだったんやで?』

その言葉に、続けて飛び出しそうになった抗議の言葉は止まる。
『俺には出来んで…お前をあんなに想ってる人から、大事なモン取り上げるなんて事は…。せやから美朱と話し合ったんやけど、どうにか水晶壊さないで中の石を取り出す方法をみんなで考えれば…』
『そんな悠長な事、言ってられないわよ!魏だって、あんな状態なのよ?あんなブラコンに付き合わせるくらいなら、力ずくでもあたしから卒業させるのが一番…』

『呂候さん!お願いします!あたし…魏を助けたいんです!何とか水晶玉を壊さずに、中の石を取り出す方法を考えてみます!だから、とりあえずその水晶玉を…』
翼宿と柳宿の口論が止まらない中、美朱は一人呂候への交渉を始めていた。
しかし、呂候は警戒を強めたまま水晶玉を掴んで離そうとしない。
『美朱さん…気持ちは分かりますが…僕は…僕は、この玉に何かあったらと思うと…とても…』
その言葉を聞いた柳宿は、翼宿の腕を思いきり振り払う。
顔を見ずともその怒りが頂点に達した事を感じた翼宿は、ああと頭を抱える。
『女の子に頭下げさせて…みっともないと思わないの…!?…こうなったら!!』
再び、呂候の背後にずかずかと歩み寄ってその首根っこを掴み。

『実力行使よーーーーーー!!!』
『うわああっ!!!』
ドッカーン

当初の目論み通り、怪力をフルに発揮して彼を勢いよく外へと引っ張り出していったのだった…
『あかん!もう止められんわ。美朱!俺らも行くで!』
『う…うん!』


『鬼宿の傷口から、妖魔を…?』
『うん!昔、テレビで見た事があるんだ!山で猛毒を持つ動物に噛まれた時の、応急処置法!毒を吸い取る方法で、妖魔を取り出せないかな…?』
屋敷に無事に戻り合流した美朱達は、魏を助ける方法について話し合っていた。
今は石を手に入れる事より、魏を助ける方が先決。そして美朱が提案した応急処置法は、妥当な提案だった。
『美朱が鬼宿に触れると激痛が走るようなのだが、そこは我慢して貰うしかない。それしか、方法はないのだ…』
『柳宿!お願い!力は使えるんだよね?』
『それは出来るけど…ホントに平気なの?』
戸惑いながらも、柳宿は両手で魏の腕を押さえる。
『魏…我慢してね?お願い。じっとしてて…』
『ああ…俺、頑張るよ。美朱…………っぐ!!』
美朱が魏に触れた瞬間、彼は苦痛に顔を歪めた。
『ぐあああっ!!!』
『………っ。痛みが、凄いんだわ!あたしでも…押さえられない…』
柳宿が押さえているにも関わらず、魏は絶叫しながら体をびくつかせる。
『踏ん張らんかい、ボケ!!』
ドカッ!
『どわあっ!』
翼宿も助け船を出そうと魏の足を掴むが、無惨にもそこから蹴り飛ばされてしまう。
そして、その反動で気絶していた呂候がようやく目を覚ます。
目の前で叫んでいる魏の姿を見て、ぼやけていた意識が突然戻った。
『ど、どうしたのですか…!?あの人は…』
『あいつ、体に化け物入れられてるんや…それだけやなくて、美朱が触るとあんな風になってまう。けったいな事するで…っ!』
『あっ、あなた!足が…』
『ちょお、捻っただけや!せやけど…これじゃ、俺は柳宿の手伝いが出来へん…』
『柳宿…柳娟が?』
その名前にすがるような瞳で食いついてきた呂候に、翼宿は静かに告げた。


『そうや。あんたの弟は…あそこにおる。死んでもうた後も、美朱と魏を必死に護っとるんや。あいつは…どんな時も、前を向いてる。そういう奴や』

『……………』
『なあ?頼む…弟にええトコ…見せたれや』


『ぐあああっ!!!』
『魏!?』
『ダメ!舌噛んじゃう!!』
もはや自分の意思で動きを制御出来なくなっている魏は、大きく口を開ける。

ガツッ!

歯が肉に食い込む鈍い音がしたが、彼に異変はない。
柳宿がそっと目を開くと、そこには魏の歯をその腕で受け止めている呂候の姿があった。
『あ…にき…』
『柳娟!そこに、いるんだろう!?僕が全身で彼を押さえるから、お前は左手を!!』
『………はい』
その姿は、先程まで自分を求めて泣いていた兄ではない。
とても勇敢で、頼れる兄の姿だった…


『呂候さん…本当にありがとうございます!石だけじゃなく、魏も護ってくれて…』
『いいえ…魏さんのお役に立ててよかったです』
無事に妖魔を取り除き、魏の身は自由になった。
それだけではなく、呂候は二人の愛に負けて水晶を彼らに託す事を了承してくれたのだ。
まさに、一石二鳥。井宿も星宿も、ホッと胸を撫で下ろした。

『お疲れ。平気か?』
『翼宿も…足、大丈夫だった?』
全てを終えて壁に凭れていた柳宿に、翼宿は声をかけた。
『っあーもう!俺が動ければ、お前のフォローくらい簡単やったのになあ!』
『ホント隙だらけなんだから…翼宿ちゃんは。あたしにしょっちゅう殴られてる割にはあれごときで足捻っちゃうなんて、あんたもだいぶ歳かしら〜?』
『じゃかあし!俺は、お前と美朱のお守りで疲れたんや!』
『………ったく。兄貴も、すっかり兄貴らしくなっちゃって…』
『…まあ、よかったんやないか?』
美朱と魏が呂候に何度も頭を下げているその光景を眺めながら、柳宿はやっと言いたかった事を告げる。
『ごめんね…翼宿』
『あ?』
『寺院で兄貴の事真剣に考えてくれてたの知ってホントは嬉しかったのに、振り払うような真似しちゃって…』
『まあ…俺が逆の立場やったら、お前みたいになってたと思うしな。気にすんな』
『………あんたも、少しは大人に…』

そこで初めて翼宿の顔を見て、柳宿の言葉は止まった。
甦るのは…あのキスシーン。

『……………っ』
『柳宿…?』
『き、今日は…家に泊まっていきなさいよ。兄貴に、交渉してくる…』
『あ…ああ』


翼宿が大人になるという事。それは同時に、あの日のような知らない翼宿が増えていくという事。
そう。彼は、いつまでも無邪気で無鉄砲な、それでいて恋を知らない自分の弟ではない。
柳宿にとってそれを認めてしまうのは、とてつもなく辛い事だった…

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