百花繚乱・第二部

□第四章『色褪せた思い出』
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生前の自分を、翼宿はどう思っていたのか。
今の自分を、翼宿はどう思っているのか。
いつしか、ずっとその事ばかりを考えていた。

生前は、自分の前でやけにコロコロと表情を変えてくれた事もあった。
『お前が死んだら、寂しい』と、涙を浮かべながら言ってくれた事もあった。
自分が死んだ時は、誰よりもたくさん泣き叫んでくれていた。
だから、本当はほんのちょっと期待していたんだよ。

だけど、そんなものは勘違い。
二年も経てば、彼は身も心もどんどん大人になってゆく。
二年も経てば、思い出は色褪せてゆく。
そうして、ほら。
あいつの心は、今、あの子に向いている…



けたたましい轟音が、平和な筈の太極山を揺らす。
高々とそびえ立っている岩山は群れを成して崩れてゆき、山全体が沈没していくようだ。
『こ、これは…!?』
『地震です!』
『なぜ、ここに…!』
ここでは初めて遭遇する地震に、住人は動揺を隠せないでいる。
そんな中で一人念を込めている太一君に美朱が駆け寄ろうとするが、寸でのところで翼宿の腕がそれを阻む。
『行ったら、あかん!危ないやんか!』
『翼宿!でも…でも、太一君が!!』

『朱雀七星士…朱雀の巫女を…頼む』

太一君が目を開いた瞬間にその体から赤い気弾が飛び出し、七星一人一人を包み…
そして最後の力を振り絞り、七星を包む気弾を太極山から遠ざけた。
『太一君!!』
次に遥か上空から美朱が見たものは、一気に形を失っていく太極山の哀れな姿だった。




バシャーン!
ゴボゴボゴボ…

『ぷはっ!美朱!助かったで!』
翼宿は美朱を抱えたまま、地上のとある場所に投げ出されていた。
水の中から顔をあげたその場所は、見慣れた風景。確か宮殿での生活の時に、昼寝によく訪れていた場所。
『何や?ここ、紅南国の大地池やんけ。ババアも、もう少し気利かせて飛ばせや。
…なあ?美朱…』
しかし美朱の身を岸辺に横たえたところで、ギクリとなる。
彼女の呼吸が止まっているのだ。
唇を半開きにしたまま、その目は固く閉じられている。
『………っ!おい、冗談やろ!?美朱?おい!』
冷たくなってきている体を揺さぶるが、ピクリとも反応しない。

どうしよう。このままでは…。
こんな時、山賊ならどうする?
七星士なら…どうする?

翼宿はギリと唇を噛むと、意を決したように美朱の頬に手を添えた。


『つっ…!ここは…?』
時を同じくして、柳宿が目を覚ました場所も紅南国の大地池の近くだった。
『みんなは…!飛ばされちゃったの…!?』
慌てて周りを見渡すが、人の気配はない。
だけど、微かに感じられるのは朱雀の同じ仲間の気。
その仲間の気は、大地池の方向から流れてきているようだった。
とにかく早く合流せねばと、柳宿は茂みの向こうに広がる大地池を目指して歩く。

ガサガサッ…

幸運にも、そこに見えたのは橙色の髪の毛。
無事だったのだと胸を撫で下ろして声をかけようとして、茂みに隠れていたもう一人の人物に気付く。
そして、今、まさに彼が彼女に対して行っている行為。それは―――

『あ…』
名前を呼ぶ事は、叶わなかった。

翼宿の唇が、美朱の唇を、塞いでいる。

数刻後、美朱が息を吹き返したらしく激しく咳き込んだ。
本当は駆け寄って声をかけてあげなければいけないところ…なのに、柳宿の足は石になったようにその場から動かない。
そして、気付いた時には元来た道を引き返していた。


『はあ…はあ…はあ…』
森の中を、宛てどもなく疾走していく。

やだ…何を考えてるの?柳宿…!
あんなの…何でもないじゃない…
朱雀の巫女を助けるのは、七星士の役目。
ただの応急措置なのに…!
なぜ…あたしは、助けに行けないの…!?

『柳宿…柳宿!』
聞き覚えのある声が聞こえたと同時に、誰かに腕を掴まれる。
腕輪が発動していない状態で自分に触れるのは、同じ世界の人間だけ。
驚いて振り返った先の人物も、また同じ七星士。
『星宿様…!!』
『よかった…無事だったのだな。何を、そんなに慌てているのだ?』
『あ…あの…あたし…』
緊張が解けたかのように、柳宿の瞳の端を零れていた涙に星宿は驚く。そして、静かに尋ねる。
『翼宿と…何かあったのか?』
『いいえ!何でもありません。それより…池に美朱がいたんです!早く合流しないと…』

『柳宿!』

次に気付いた時には、自分は後ろから星宿に抱きしめられていた。
『星宿様…!?』
『すまない…私は…大人しく身を引くつもりだった。だが…お前の辛そうな顔は見たくない』
『も、申し訳ありません…こんな時に…』

『なぜ、触れられない者を愛する…?』

『あ…』
『どんなに頑張っても、我々は死んでいる。だけど、私なら…いくらでもお前と触れ合える…』
愛する者に触れられない事がどんなに苦しいか、星宿だって知っている。
だからこそ、理不尽でも彼は柳宿を求めたのだ。
『ごめんなさい…』
それでも、柳宿の信念は曲がらない。
星宿の腕を引き離し、ポツリと呟く。
『いいんです…この気持ちを消してしまう方が辛いから…』
『そうか…しつこくして、すまない』
互いに向かい合ったところで、暫しの沈黙が流れる。
本当はすぐにでも巫女のところへ向かわなければいけないのに、どちらの足も不思議とその場から動かないままだ。
『柳宿。美朱のところには、翼宿もいる。そうだろう?』
『………っ』
『今は二人に会いたくない…といった、顔をしている』
『星宿様…』
星宿の洞察力は、皇帝陛下を務めた者ゆえにやはり鋭いものだった。
ましてや今まで思いを寄せていた柳宿の心情を読み取る事など、容易い事。
星宿は腕組みをしながら、なおも告げる。
『もうすぐ、井宿も合流するであろう。とりあえず、美朱の身は大丈夫だ。それよりも、我々は一刻も早く鬼宿の記憶の石を見つけ出す事の方が先決である気がする』
そう。死んでしまった七星士の手元には、鬼宿の記憶の石がない。
どこかにあるとすれば七星それぞれの所縁の地にあるのではないかと、太一君も言っていたのだ。
『私は、家族に会いに行こうと思う。お前は?お前の実家にも、何か手がかりはないのか?』
自分に縁の深いところ…それはやはり、家族がいる実家なのだろう。
『あたしも…行ってみます』
『そうか。では、気をつけるのだぞ。くれぐれも、無茶をしないように』


そうだ。本来の使命を忘れてはいけない。
あいつと少し離れて…頭を冷やそう。

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