百花繚乱・第一部

□第八章『君のままで』
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『巫女さまが、池に身を投げたと!?』
『ああ。しかし皇帝陛下が捨て身で巫女さまを救ったらしい…自分の立場も顧みずに、何て勇敢なお方なのだ…』
『そうなのか…きっと、巫女さまを大切に思う気持ちからなのだろうな…』
宮殿の使用人の間で持ちきりの話題は、つい先程起きた巫女の自殺未遂事件の事。
鬼宿を倶東に奪われて巫女の自覚も全て失ってしまった美朱が、突然、池に身を投げたのだ。
そんな美朱を救ったのが、皇帝陛下・星宿。
普段は皇帝陛下として恭しく慕われていた人物がその身をもって彼女を救った事は、宮殿中を驚かせていた。


柳宿はようやく落ち着いた宮殿の廊下で、一人夜空を見上げていた。

巫女が、仲間が、次々と傷付けられていく中で、その胸にある「憤り」を覚えながら…

『柳宿。冷えるぞ、入らないのか?』
そんな彼に声をかけたのは、そこを通りかかった軫宿だった。
『ん…何か…眠れなくて』
『何か、あったのか?』
『んー…』
自分に気を遣っているのか、それ以上話そうとしない彼…だが誰かには話したそうにも見えるその姿を見て、軫宿はある名案を思い付く。
『柳宿。これから翼宿の手当てに向かうんだが、代わりに行ってくれないか?』
『え?』
『薬の調合が、終わっていなくてな。明日には能力が回復するから、それまでの繋ぎに手当てが必要なんだ』
『そっか…あたしでよければ、行くけど…』

『ついでに、聞いてきて貰うといい。お前の悩みも…な』

手当て用具を受け取った柳宿は驚いた目で、軫宿を見上げる。
『なっ!何言ってんのよ、軫宿!よりによって、あんなデリカシー馬鹿に相談できる訳ないでしょ…!まあ…様子は気になってたから、行ってあげるわよ…じゃ、おやすみ…』
そのまま逃げるように廊下を走っていく柳宿の姿が見えなくなると、軫宿はふうとため息をついた。
『素直じゃないトコは…似たもの同士だな』


コンコン
『翼宿?あたし。入るわよ?』
翼宿の寝室の扉を叩くが、彼の返事はない。
そっと扉を開けて中を覗くと、彼は眠っているようだった。
一度目は覚ましたらしいがまだまだ疲労が蓄積しているようで、彼は気持ちよさそうに寝息をたてている。
翼宿の肌はまだボロボロで…彼が想像もつかない戦いに身を投げた事が柳宿にも感じられる。
その肌をそっと指でなぞると、柳宿の瞳には自然と涙が溢れていた。

翼宿も星宿も捨て身で巫女を護り、そして身も心も傷付いた。
自分も七星士なのに、自殺に走った巫女を止める事すら叶わなかったのだ。

悔しくて、情けない。誰も護れない自分が―――


『柳宿…?』


柳宿が漏らした嗚咽に気付いた翼宿が、目を覚ましていた。
『あ、ごめん!起こすつもりなかったんだけど…』
『…泣いてるんか?』
『これは…最近、涙もろくなっちゃって…!あんたの痛そうな傷見たら、こっちも痛くなってきちゃって…それで』
『ホンマ、嘘下手やな。お前は…』
ちょっと笑う翼宿は、いつもの翼宿で。
そんな彼に、ほんの少し柳宿は安心する。
『バカね…あんたって奴は…ホントに死んだらどうすんのよ…』
『へへ…久々に暴れ回ったなあ。翼宿様の大活躍、お前にも見せたかったわ…』
『生意気ばっか言ってないで…見せなさい!軫宿の代わりに、手当てしに来たんだから…』
『あ、ああ…』
腫れた目はそのままに、手当て用具を取り出す。
そんな柳宿の事がまだ気になってはいたが、翼宿はその身を窮屈そうに起こした。

『そういえば…さっき廊下が騒々しかったけど、何かあったんか?』
包帯を取り外して軟膏を塗る間、二人は暫く無言を貫いていたが、翼宿が先に口を開いた。
『美朱がね、池で自殺しようとしたの』
『はあ!!??いったあ!!』
驚きに腕を動かした事で軟膏が思いきり傷口にずれ込み、翼宿はその場に悶える。
『ちょっと、バカ!動かさないでよ!』
『っててえー…で?無事なんか!?』
『無事よ。星宿様がね…すんでで助けたの』
『…あ』
そこで、一瞬押し黙る翼宿。そんな空気が癪に触り、慌ててけしかける。
『なっ、何よ!別に羨ましいなんて…思ってないわよ!ただ…たださ…』
『………………』
『あたしも、溺れてみようかしら…なーんて』
『………そのまま、溺れ死ぬんがオチや』

ドッカン

このタイミングでボケをかました翼宿は、柳宿の鉄拳によって壁にめり込んだ。
『ほんっとに!デリカシーの欠片もないあんたに話した、あたしがバカだったわ!!』
『怪我人に、なんちゅう奴や!手加減せえ、ドアホ!』

『あたしは!結局、美朱にも星宿様にも何もしてあげられなかったの!』

『は…?』
またいつもの口喧嘩が始まると、翼宿は身構えたのだが。
柳宿の怒鳴り声が微かに震えている事と再びその頬に涙が流れている事に気付き、うっとたじろいだ。
『お、おい…何も泣くこた…』

『あたしには…井宿みたいな便利な術もないし、あんたみたいに鬼宿に立ち向かう勇気だってないの!結局、怪力なんて何の役にも立たないのよ!こんなの、七星として…ホント情けな…』

自分の口から勢いで飛び出した言葉は、先程軫宿には吐き出せなかった言葉。
それを目の前にいる相手に吐き出している事に気付いた柳宿は、そこでハッと口を押さえた。

あたし、翼宿に聞いてもらいたかった…?

その言葉を聞いた翼宿は、どこかためらっている様子で。
困らせてしまったのではないかと、柳宿は気付く。
確かに先日の飲みで何かあったら話を聞いてやるとは言われていたが、それに甘えてこんなに怒鳴り散らしては迷惑以外の何者でもない。
『ご、ごめん…あんたには関係ない事よね。気にしないで…手当ての続き…』

グイッ
『…えっ』


翼宿は手当てに戻ろうとした柳宿の小さな肩を、自分の胸に引き寄せた。


『………ああ、もう!そんな危なっかしい状態で、手当て任せられん。回りくどいんじゃ、お前は。胸貸してほしかったんやったら、はよ言え。ボケ』
『ち、違う…別にあたしはっ…』

『ええんや!お前はお前で』

『………つっ』
『バリバリ闘えるだけが、七星じゃあらへんやろが…』
『た…すき…』

不器用な言葉ばかりが並べられるが、それは精一杯の励まし。
不思議と、柳宿の中の不安が消えていく…
そしてここにいるだけで十分だという翼宿の気持ちが彼の体温から伝わり、涙が後から後から溢れてくる。


『ありがとう…翼宿』


あの日から、唯一自分の弱みを見せられる相手。
それは、心から信頼できる"親友"。
生きててくれて、ありがとう。

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