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□異世界転生恋愛奇譚 その1
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 痛みはとっくの昔に感じなくなっていたし、雪の冷たさも解らない。
 とにかく少しでも長く生きて、ローを護らなきゃいけないと思っていた。
 ひらひらと舞い落ちる雪を見ていた──。
 その雪がいつの間にか光に変わると、何処からともなく声が聞こえてきたもんだから、ああ、もうおれは死んじまったんだろうなと覚悟を決めた。
「おお、ロシナンテよ。死んでしまうとは情けない」
 相変わらず光が降り注ぐ中で、姿の見えない何かがおれの名前を呼んでいる。
「情けねェって言われてもなァ……。ローを助ける為だったんだし、後悔はしてねェよ」
 おれの傷は癒えていて、服も綺麗なもんだ。
 死んだあとはどうすればいいのかなんて、そんなもんは誰も教えてくれなかったから、次に言われた言葉におれはちょっと期待してしまう。
「そなたにもう一度機会を与えよう」
「マジか! だったら、ローと隣町で落ち合う約束をしてたんだ。ローと隣町まで連れて行ってくれ」
 ローに救いの神がいたように、どうやらおれにも救いの神がいたようだ。
 なんて、そんなおれの考えは甘いらしい。
「あ、それ無理」
「ざけんなっ!! ローに逢わせろ!」
 おれの言い分なんか聞いちゃいねェようで、何者か解らない声だけの主は、続けざまにこう言った。
「再びこのようなことがないように。では、ゆけ! ロシナンテよ!」
 そっから先は、眩い光に包まれたもんだから、何も見えなくなっちまってどうなったのか解らねェ。
 ただおれは思いつく限りの罵詈雑言を浴びせていたような気もするし、喧しいからローとやらに逢わせてやるって声を聞いたような気もした。
 目を開けると、相変わらずひらひらと白い雪が降り注いでいた。
「って……、花びら?」
 大きな桜の木の下で寝ていたらしいおれは、雪と勘違いした花びらを払って起き上がる。
「ぴぃっ!」
「んげ……っ! 気持ち悪ィ!!」
手をついた先にいたにゅるりとした物体が、おれの指の間をこれまたにゅるりと這って手の甲に乗った。
「ぴぃっ!!」
 慌てて振り払うと、黄色く透けた物体が桜の木にぶつかって、ぬるぬると地面に落ちて鳴く。
「ス……、スライム……?」
 見知らぬ土地に、得体の知れない生物──。


☆★☆★☆★☆★☆★☆★


 近づいてくるスライムから距離を取りつつ、まずは現状確認だ。
 ここは大きな桜の木が一本だけある丘らしき場所で、おれはその桜の木の下で寝ていた。
 記憶の限りでは、おれは既に死んだと思うものの、傷は一切ないし、ボロボロになっていた服も綺麗なもんだ。
 丘から少し離れた場所に湖らしきものが見えるけど、その周囲はぐるりと森に囲まれていて、目視する限り森なもんだから、この森を抜けるのに何日かかるんだろうと思ってしまう。
 おれの足元には黄色いスライムが一匹。
 そしておれは、大変腹が減っている。
「積んだ──。生き返って早々、餓死とかねェわ」
 多分おれは生き返ったのだと思う。
 右も左も解らねェ見知らぬ場所で、たった一人―とスライム一匹。
「うわっ! 登ってくんなって、気持ち悪ィ……」
 スライムはおれの靴に乗ったかと思えば、ズボンを登ってこようとする。
 慌てて蹴り飛ばすと、スライムは『ぴぃっ!』と鳴いて再び桜の木にぶつかり、ぬるぬると地面に落ちて泣きはじめた。
「オイオイ。苛めてるみてェじゃねェか……。泣くなって! お前……泣いたら小さくなっていってんじゃねェか……」
 まるでアニメのように放物線を描く涙を流してぴぃぴぃ泣くスライムは、地面に飛ばした涙の分だけ小さくなっていた。
 とはいえ、得体の知れないスライムをどうこうする訳にも行かず、取り敢えず謝罪の言葉を伝えて湖に向かうことにした。
「ついてくんなって……。スライム好きじゃねェんだよ」
 湖に向かうおれのうしろには、ぬるぬると這ってついてくるスライムの姿。
 少しずつ水分らしきものが地面に奪われているのか、やはり小さくなっていくスライムに、おれはかなりの罪悪感を覚えてしまう。
 とはいえ、スライムと言えば、どうにも某科学者のペットだったピンクのスライムを思いだしてしまい、やはり好きにはなれない。
「ぴいぃ……」
 もう、さっきより半分ほどの大きさになったスライムが、悲しそうな声を上げて動かなくなった。
「ああっ! クソッ!!」
 おれは手のひらにすっぽり収まるサイズになってしまったスライムを拾うとコートの上、つまり、肩に乗せてやる。
「おれに危害を加えたら、土の中に埋めるからな!?」
「ぴっ!」
 こうして、一人と一匹の旅がはじまったという訳だ。


☆★☆★☆★☆★☆★☆★


 歩き続けて三時間は経っただろうか。
 漸く目的の湖に着いた頃には日が暮れはじめていて、おれは湖と森の中間地点、泉から五メートルほどの地点に落ちている木を積み上げた。
「煙草吸う人間で助かった……」
 乾燥している木はライターですぐに火が点いて燃え、これで魚も焼けるし夜になっても暖がとれるだろう。
「あとは釣り竿……は、そこらの枝でいいとして―ぬああぁっ! 針と糸がねェッ!! 魚……食いたかった……」
 ガクリとその場で項垂れるものの、喉も渇いてるおれは湖まで歩き、膝を着いて両手で水を掬った。
 匂いを嗅ぐ限りでは異臭もしないし、水に触れた手に違和感もない。
 試しに飲んでみた水は思ってたよりも冷たく美味かった。
「ぴぃ!」
「うおおぉいっ! 大丈夫かっ!?」
 おれの肩に乗っていたスライムが突然鳴いて湖にダイブするもんだから、落ちたのかとおれは慌てる。
 けれど自らの意思で湖に落ちたらしいスライムは、湖の中を泳ぐように潜ると、おれの前から姿を消した。
「なんだよ……。いなくなっちまうのかよ。いいけど……」
 ほんの少し寂しいだなどと、どの口が言うんだ。
 暫く湖を見ていたおれは、明日からどうするかを考える為に焚き木の傍に戻る。
 寝ている間に消えそうな焚き木は、蹴り倒して追加した木でキャンプファイヤーみたいになった。
「ぴぃっ、ぴぃっ!」
 パチパチと弾ける音と共に鳴き声が聞こえて振り返ると、さっきまでおれの肩にいたスライムが湖から戻ってきて、ぽよんぽよんと跳ねながらおれの隣に着地する。
「なんだよ、お前。水浴びしてきたのかよ……」
「ぴぃ!」
 スライムはぷるぷる震えると、口らしき場所から十数匹の魚を吐きだした。
「お前……っ……。魚獲ってきてくれたのかっ!?」
「ぴっ!」
 ピチピチと跳ねる魚は新鮮そのもので、湖で獲った魚で間違いないだろう。
 邪険にしたにも拘らず、おれの面倒を見てくれようとするスライムに、おれは恐る恐る手を伸ばして頭を撫でてやった。
「ぴぃ」
 嬉しそうに鳴くスライムは、二つの目を少し細めてまるで笑っているようだ。
 何となく懐かしい雰囲気に浸りながら、おれはスライムが獲ってきてくれた魚を枝に刺して焼きはじめる。
「ぴぃ……」
 スライムが膝に乗ってきても、おれは振り払わなかった。


☆★☆★☆★☆★☆★☆★


 朝もスライムが魚を獲ってきてくれたので、有り難いことに朝飯もありつけた。
 森を抜けようと思い、おれは焼き魚を片手に歩きだす。
 スライムはおれの左肩に乗っていて、まあ、森の中におれ一人じゃねェってのは少しだけ寂しさが紛れた。
「そうだ。お前に名前をつけてやるよ」
「ぴっ!」
 正直、やはりまだスライムは苦手だと思うけど、これから先一緒に旅をするんなら、名前をつけることで愛着が湧くんじゃねェかと思った訳だ。
「スラリンとか」
「ぴぃぃ……」
 あきらかに不満そうな声が聞こえてきて、仕方がないとおれは次の名前を口にする。
「スラぼう」
「ぴぃぃぃ……」
「アキーラ」
「ぴぃぃぃぃ……」
「サスケ」
「ぴぃぃぃぃぃ……」
 肩の上でぷるぷる震えながら次第に元気をなくしていくスライムの声に、それなら最高の名前をつけてやろうとおれは足を止めた。
「ロー……」
「ぴっ!」
 ローの名前を口にすると、嬉しそうに鳴いたスライムがおれの肩の上でぴこぴこ跳ねた。
 おれはといえば、ローの名前を口に出すだけで泣きそうになっちまうし、ローの名前をスライムにつけるということが、今になって何とも言えない気分になってきてしまう。
「お前、ローがいいのか?」
「ぴっ!」
 先ほどまでとは違って元気に返事をするスライムに、今更駄目だなどと言うのも可哀相に思えてきてしまい、恐る恐る伸ばした手でローと名づけたスライムに触れる。
 頭が何処だか解らねェし、何処が体の位置かも解らねェ。
 それでも、一番高い場所を優しく撫でてやると、小さな声で鳴いたローがぷるぷると震えていた。
「ロー。これから宜しくな」
「ぴっ!」
 震える声を、流しそうになる涙を必死に堪え、ローを撫でたおれは再び歩きだす。
 あんな別れ方になっちまったけど、ローはきっと無事に逃げて生き延び、成長してくれると思う。
 この世界でローに逢えるとは思わないけど、おれをこの世界で生かしたヤツに、ローに逢わせろと言いたい。
 左のコートがほんの少し濡れていたような気がしたけど、おれはローが流した涙だとは気づかなかった。


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