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□聖夜の記録
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 ひらりひらり、ふわりふわり。

 降り続いた雪は世界を覆い、暗闇までも白く染めていく。

 風も強くなってきた。

 明日の朝には雪に埋め尽くされて、下手をすればこの家から出ることも出来ないかもしれない。

 家と呼ぶには粗末な造りのそれは、小屋と呼ぶ方が相応しいだろう。

 大地を覆い、音を奪い、大切なあの人を隠した真っ白い雪。

 このまま降り続ければ、もしかしたらこの小屋も埋まるかもしれない。

 それならそれで構わない。

 誰にも見つかることなく、この雪の大地で眠るのもいい。

 世間はクリスマスとかどうとかで浮かれているが、それもどうでも良かった。

 サンタクロースがプレゼントをくれる歳でもないし、あの日を境にサンタクロースなど来やしなかった。

 それでもまだ、サンタクロースがいるというのなら、もしも願いが叶うなら、もしも奇跡が起こるなら、サンタクロースでも誰でもいい、大切なあの人を生き返らせてくれ。

 強めの酒を瓶から直接呷り、ふらふらとした足取りでベッドへ向かう。

 ランプの灯りが小さなベッド照らしていた。

 枕元には読みかけの本が散乱している。

 この小さな島に立ち寄った時にある雑貨屋に置かれてあった、数少ない本だった。

 少し考える時間をくれと、そう言って仲間と別れてから数週間。

 この島で過ごす暇潰しになればいいと、そう思ってあるだけの本を買った。

 おとぎ話やら自伝、島や世界の歴史が書かれていた本は、どこでも知られているような内容ばかりだった。

 知った内容にパラパラと紙を捲るだけで、字を追うことはない。

 ベッドにどさりと倒れ込み、昨夜と同じように、けれど昨夜とは違う一冊の本に手を伸ばす。

 白い装丁の本は金の箔印が押されたものだったが、タイトルとなる文字は異国のもので読むことが出来ない。

 不思議に思いながらも表紙を捲ると、中は手書きの字が綴られていた。



「なんだ、これ…?」



 一頁毎に書体が変わるそれは、日記のような内容だったり、次に書く人間へのメッセージだったりしたが、ある頁を境に願いが綴られるようになっていた。

 病気の親を治して欲しい。

 会うことの出来ない恋人に会いたい。

 思い人と恋人関係になりたい。

 幸せな暮らしをしたい。

 この戦争が早く終わって欲しい。

 そのような願いが、様々な人たちの手によって数十年に渡って記されている。

 形式でもあるのだろうか、それは願いからはじまり、最後には日付と名前で終わっていた。

 その中に見慣れた字と自分の名前が出てきて、頁を捲っていた手が止まる。

 今から13年前に書かれた願い。

 書いた人物の名前はドンキホーテ・ロシナンテ。

 忘れもしない、コラソンの名前だった。



『おれの大切なローを助けて欲しい

もう少し欲を書くなら、成長したローと一緒に暮らしてみたい

おれがローを幸せにしてやりたい



12.24 Donquixote Rosinante』



 ローの指が震える。

 いつの間に、何処で書いたのだろう。

 ぽたりと本に落ちた涙が音を立てた。



「コラさん…」



 あの日、ローを救ったコラソン。

 あんな別れ方など、したくなかった。

 それは互いが思っていたことだろう。

 別れの言葉すら伝えることが出来なかった。

 感謝の気持ちも伝えていない。

 それに、どうしても伝えたいことだってあるのだ。



「逢いてェよ…、コラさん…」



 未来を信じていたコラソンに、未来を諦めていたロー。

 今だって未来が見えない。



「おれは…アンタがいなきゃ、ダメなんだよ…」



 涸れたはずの涙が止まらない。

 胸がしめつけられて苦しい。

 ぽたぽたと落ちた涙が紙を濡らしていくが、コラソンの書いた願いは滲むことなく涙に濡れて光っている。



「逢いたい…。コラさん、逢いたい…」



 力強く書かれた懐かしい字を指でなぞり、ローは本を抱きしめた。

 もしも願いが叶うなら、もしも奇跡が起こるなら。

 沢山の祈りとも取れる願いが綴られた本に書かれていた日付は、何故か12月24日が多かった。

 ローはペンを持ってまだ何も書かれていない頁を開く。



『おれの大切なコラさんを返してください

ずっと一緒に暮らしたい

二度と離れたくない

傍にいて欲しい

名前を呼んで欲しい

抱きしめて欲しい

愛して欲しい



逢いたい



12.24 Trafalgar Law』



 書き出したら止まらなかった。

 それでも、書き終えると同時に出たのは、深いため息だった。

 こんなことを書いても叶うはずなどないのに。

 酔った勢いだと思い、それでもローは本を抱きしめたまま眠りに就いた。










「なんだ、お前。少し見ねェ間に大きくなりやがって」



 コラソンが笑い、癖のあるローの髪をぐしゃぐしゃと撫で回している。

 飽きることなく撫で続けるコラソンの大きな手に、ローは笑いながら逃げた。



「アンタの方がでけェだろ」



「当たり前だろ? お前に負けてたまるか」



 ニカッと笑ったコラソンがローを見つめ、両腕を広げる。

 その意味を理解したローは一瞬動きを止めたが、思い切ってコラソンに向かって駆け出した。

 ドンッと音が響く。

 何の音か解らずに呆けていると、低い音はドンドンッと立て続けに鳴った。



「ゆめ…か…」



 都合のいい、幸せな夢だった。

 昨夜寝る前の本が原因なのだろう。

 夢で願いを叶えるとは酷いものだ。

 しかも、中途半端に。

 未だに響いている扉の音に、その向こうにいる人物に軽く殺意を抱きながらローはベッドから起き上がった。

 自慢じゃないが寝起きはかなり悪い方だ。

 それはもう、クルーが起こしに来る役をくじ引きで決めるくらいに。

 粗末な造りの割には重圧感のある木の扉を開いてやると、部屋の中に吹雪が入り込んでくる。

 昨日から降っていた雪はいつの間にか吹雪に変わり、扉の向こうは雪以外何も確認出来ないまでに積もっていた。



「助かった! さみィ…っ!」



「おいっ!?」



 巨大な雪だるまはそう言うと、ローの脇をすり抜けて部屋に入る。

 バサバサと雪を払った雪だるまの中身は黒いコートに赤いフードを着ていたが、ハートが描かれたシャツの胸元が赤く染まっていた。



「なっ…、アンタ…」



「すまねェ、ここらで男の子見なかったか? これくらいの背丈で目付きの悪いガキなんだが」



「それは…」



 混乱するローの頭がクラクラとした感覚を与えてくる。

 今、何をするべきなのか。

 それを第一に考えたローは腕を伸ばして目の前の大男のシャツを開いた。



「おわっ!? てめェ、何しやがる!」



「傷は? 撃たれたんだろ!? それだけじゃねェ…、ヴェルゴに痛めつけられた傷はどこだっ!?」



 血で染まって破れたシャツを左右に開いてローが男を見上げると、男はローを見下ろして怪訝な表情を浮かべていた。



「お前…」



 見つめる目も、その声も昔と変わらない。



「コラさん…」



 匂いも変わらない。



「お前…、ロー…なのか…?」



 何ひとつ変わらないコラソンがローの目の前にいる。

 昨夜よりも熱い涙が溢れてローの頬を伝い落ちていく。



「ロー、なんだな? ローなんだろ!?」



 痛いくらいに肩を掴んで覗き込んでくるコラソンに、ローは何も言えずに頷くことしか出来なかった。



「なんだよ、どっかで見たことあるかと思ったら、やっぱりローかよ! ってか、アレ…、じゃあ、ガキのローは?」



 コラソンはローの肩をバンバンと叩いた後で、頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

 嗚咽に消されて喋ることが出来ないローは、首を横に振ってコラソンを見上げた。

 それだけで理解したのかどうかは解らないが、コラソンは寂しそうな微笑を浮かべた後、ローを腕の中に閉じ込める。



「チクショー、夢かー! おれ、やっぱ死んじまったか…。でもお前、ちゃんと大きくなったんだな。良かったぜ」



「コラさ…」



 抱きしめるコラソンの腕が力強くて痛い。



「でも、ごめんなァ、ロー…。おれ…、もっとお前の傍に…っ…、成長したお前と一緒に暮らしたいだなんて…夢みたいなこと、ずっと思ってて…」



 震える声と同じように、コラソンの身体も震えている。

 もしも願いが叶うなら、もしも奇跡が起こるなら。

 そう思いながら書き綴られてきた祈りは、誰に届いたのだろう。

 吹雪いていた雪は次第に収まり、ひらりひらり、ふわりふわりと降ってくる。



「でも…、大きくなったお前に逢えて良かった…。愛してるぜ、ロー! だから…」



「勝手に自己完結すんな」



「え…?」



 きつい抱擁から抜け出したローの目に映ったのは、ぼろぼろに泣いたコラソンの顔だった。

 ローは苦笑を浮かべてコラソンの涙を拭ってやる。



「コラさん、すっげーあったかい。それに、心臓もちゃんと動いてる」



 コラソンの匂いに混じって伝わる煙草の香りも、昔に嗅いでいた匂いと変わりない。

 ひどく安心させる懐かしい匂いに、ローは腕を伸ばしてコラソンに抱きつく。



「マジッ!? おれ生きてんの? やった!」



「うわっ!!!」



「ロー…っ!!!」



 コラソンは抱きついていたローを持ち上げ、くるくると部屋の中で回りだす。

 部屋は狭いし天井は低い。

 二人分の体重を受けた床はコラソンが動く度にミシミシと音を立てていて、今にも底が抜けそうだった。

 それよりも先に天井に頭をぶつけられる。



「コラさん、もう下ろせって。怖ェよ…」



 けれど、ローは笑顔だった。

 床には下ろされずにコラソンの腕に下肢を抱き上げられたまま、目を合わせられる。



「重くなったな、ロー」



 抱き上げられていることで目線が同じ位置になり、間近でコラソンに見つめられたローは照れにも似た感情を抱きながら口を開いた。



「当たり前だ。あれからもう13年だぞ? おれも、もう26だ」



 ローの言葉にコラソンは目を見開いた後、静かに笑って額を合わせる。



「なんだよお前、おれと同い年かよ。いい男に育ちやがって」



「そうだよ、おれは13年もアンタを想ってた。ずっと逢いたかったんだ」



 コラソンは何も言わない。

 何も言えない。



「コラさんもあの本に願いを書いたんだろ? おれも昨日の夜、書いたんだ」



「ロー…」



 13年前、気がつけば枕元に置かれてあったあの本を読んで、願いを書いた記憶はまだ新しい。

 コラソンにしてみれば、つい先日の出来事であった。



「コラさん、おれはアンタに逢いたかった。おれも一緒に暮らしたいし、二度と離れたくない。これからもずっと傍にいて欲しい。名前を呼んで欲しい。抱きしめて欲しい。愛して欲しい。アンタにしか出来ないことなんだ。おれを幸せにしてくれよ」



 切なげなローの言葉がコラソンの身体に沁み込んでいく。

 ローの頭に置いたコラソンの手は、濡れた頬を優しく撫でる。



「愛してる。だから、これからずっと一緒に暮らそうぜ、ロー…」



 コラソンの言葉にローは静かに目を閉じる。

 淡い光を帯びた白い本は、役目を終えてあの日と同じように雪になって消えた。















END

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