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□君と過ごした夏
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 要するに彼は感情表現に乏しいのだ。
「ロー……」
「ちょっ……待てってコラさん……」
 とはいえ、それはガキの頃に比べればの話だし、おれ相手だとローはまだ素直だと思える。
 思えるんだが、おれはもっと可愛いローを見たいし、もっと甘えて欲しいと思っちまうんだな。
 ローの手首を捕まえて食器棚とおれの間に身体を挟んでやると、焦ったローがおれを見て抗議の声を上げてくる。
 身長差があるから必然的に上目遣いになっている訳だが、それがまたいい。
 そのローの唇を目がけてキスをしようとすれば、嫌がったローが反射的に身体を引いて食器棚に頭をぶつけていた。
「お前なあ、キスくらいいい加減に慣れろって」
 恥ずかしがる様子も可愛いと言えば可愛いのだけれど、毎回逃げられると虚しさが襲ってきてしまう。
 いつになったら素直に甘えてくれるんだか。
 そう思いながら諦めて身体を離してやると、困った顔をしたローが食器棚に背中を懐かせた。
「ウッ――ッ……」
 その瞬間、食器棚の上に置いていた大きな缶に入っていた菓子が、ローの頭に目がけて落ちてくる。
 慌てて缶を受け取ろうとしたおれだが、咄嗟のことで間に合わず、反対に衝撃で倒れ込んだローを慌てて受け止めて抱きしめた。
「おい。大丈夫か、ロー?」
 おれの胸に頭を懐かせて痛みに堪えているらしいローは、微かに呻きながらおれを見上げ、そして驚いたように後退って再び身体を食器棚にぶつけている。
「え……。だ、誰っ!?」
 そして次に出されたローの言葉に、おれは頭を抱えたくなった。
「アンタ、誰だ? あ……、おれ、おれも自分が誰か解んねェ。それに、ここが何処かも解んねェ」
 ローが悪ふざけするような人間でないことは、ガキの頃から一緒に住んでいるのだから一番よく知っている。
 長年二人で過ごしてきた家の中ですら解らないらしいローは、おれを見上げて不安げな顔をするばかりだ。
「マジかよ……ロー……」
 その場に崩れそうになりながらもローを抱きしめたおれは、ビクリと竦んだローに構うことなく、その身体をきつく抱きしめていく。
 可愛いローが見たいとか、甘えるローが見たいとか、そんな思いはとっくにブッ飛んじまっていて、今はただローの今後を思って不安しかない。
「おれの名前、ローって言うのか?」
 困惑したように問いかけてくるローに、おれはそうだと答えて、泣きそうになりながらローを見つめたのだった。
「おれって、コラさんと恋人同士なのか」
 出会ってから今までの話をしても、ローは興味深そうに聞くだけで、何ひとつ覚えていないようだ。
 部屋を案内してみても同じことで、唯一反応があったのだとすれば、キングサイズのベッドだ。
 この家にはおれとローが寝る為のベッドがひとつしかなく、毎日一緒に寝ていたことを教えてやれば、顔を赤くしたローが挙動不審になっていた。
「その……、おれとコラさんって、キスとか、したことある仲なのか?」
 おれの袖を掴みながら問いかけるローは、はっきり言って可愛い。
 これで記憶さえ失っていないのなら、今すぐ目の前のベッドでローを抱きたいところだ。
 とはいえ、ガードの固いローを抱けたことは、残念ながら未だにないのだけれど――
「キスは数え切れねェほどしてきたな」
 そう答えてローの頭をポンッと撫でると、耳まで真っ赤にしたローがおれの腕を掴んでくる。
「せ……っ、セックスとかも……か?」
「――なんだよ。抱いて欲しいのか?」
「ち、違っ……!」
 ドキドキとした効果音まで聞こえてきそうなのは、果たして一体どちらの心臓が高鳴っているからなのだろう。
 羞恥で顔を染めるだけでなく、目まで潤ませたローを襲わないでいることは、褒めて欲しいと思う。
「残念ながらしたことねェよ。お前、逃げるしなあ」
 更にもう一度頭を撫でて寝室から出ようとすれば、おれの腕をギュッと掴んだローが引き止めてくる。
「おれは逃げねェから……っ、その、だから……」
 記憶のないローは一体何を思って、どんな考えをしているのだろう。
 必死になっておれに縋るローを見ていると、いつもの癖で手を出してしまいそうになる自分が怖い。
「ありがとうな」
 そう言ってローの額にキスをひとつ。
 そのキスで泣きそうな顔をしたローの手を引いて、リビングに戻ったおれはローをソファに座らせてやる。
「そろそろ腹減っただろ? 飯作ってやるから、いい子で待ってろよ」
 ニッと笑ってローから離れる瞬間、やはり泣きそうな顔をしたローに胸が締めつけられた。
 キスくらい、相手がローなのだから、いくらでもしてやりたいし、したいと思う。
 でも今のローはきっと、おれに何をされても、例え嫌なことでも無抵抗でいそうな気がするから。
 キスだけで止められる自信がないおれは、寂しそうなローに見つめられながら晩飯を作ったのだった。



 焼き鮭にきんぴらごぼう、筑前煮に味噌汁。
 それらは全て美味いと言って、笑顔でローが食った。
「ご馳走様。すげー美味かった」
 食後、ローを先に風呂に入れて後片付けをし、ローが風呂から上がると続いて入る。
「髪くらい乾かせって。ほら、おいで」
 風呂から上がると、髪も乾かさずにソファでぼーっとしているローを呼びよせ、いつものように膝の間に座らせて髪を乾かしてやれば、嬉しそうに笑ったローがおれの胸に背中を預けてくる。
「なあ、コラさん。おれとコラさんって恋人同士なんだろ。おれがキスして欲しいって言ったら、キスしてくれるのか?」
 コロコロとよく変わる表情は、まるでガキの頃のローのようだ。
 あの頃のローは感情の起伏も激しかったほうだが、成長するにつれてそれらは影をひそめているように思う。
「今まではずっとキスとかしてたんなら……。おれにも、キスして欲しい……」
 縋るような目が寂しく揺れている。
 ドクンと打った心臓に悪いことをしているような気になりながらも、記憶を失っているとはいえ、ローであることには変わりはないのだからと、そう言い聞かせて唇にキスで触れてやった。
 例え記憶を失っているのだとしても、ローを悲しませたくはない。
 けれど、記憶を失う前のローも大切にしたいおれは、体勢を変えて懐くように抱きついてきたローを、ただ抱きしめ返してやることしか出来なかった。
「コラさん。おれ、本当に何も覚えてないし思いだせないんだけど、コラさんといれば安心するし、コラさんが好きだ。だから、離さないで欲しい。傍に居て欲しい。嫌わないで欲しい」
 切なるローの願いに泣きたくなる。
「当たり前だろ? おれもローが好きだし愛してることに変わりはねェよ。だから安心しろ」
 そう言って頭を撫でてやれば、嬉しそうに笑ったローがおれにキスをしてくる。
 ローからキスをされるのは久々のことだ。
 可愛くて愛しくて堪らない。
 それでも、昨日までのローの影を探して求めてしまうのだから、おれは随分とワガママなんだなって思う。
 可愛らしいローや甘えてくるローを見たいだなんて、そんなことを思ってしまったから、ローが記憶を失ったんじゃないかとさえ思ってしまうほどだ。
「コラさん……。もっとキスしたい……」
 そう言って唇を舐めるローに、宥めるようにキスを返したおれは、ローを連れて寝室まで移動した。
 いつものようにローを抱きしめて眠る。
 ただそれだけのことなのに、罪悪感が半端ない。
「コラさん。もっとぎゅってして」
 本当に、ローにこんなふうに甘えられるのは、初めてのことなんだ。
 姿だけでも子供であるのなら、おれはまだ自制心があっただろう。
 それでも、恋人同士であり、互いに大人なのだから、このまま手を出してしまいたい気持ちが大きくなってくる。
「甘えん坊だな、ローは」
 なるべく落ち着いた声を出しながらローを抱きしめるおれだが、抱きしめると嬉しそうに擦り寄ってくるローに、思わずキスをしてしまうのだから、習慣というのは怖いものだ。
「コラさん。もっと……」
 上目遣いでほんの少し唇を尖らせてくるローにドキリとしながら、顎を捕らえてやったおれは深く唇を重ね、薄く開いた口内に舌を忍ばせる。
「んっ、ふぅ……っ」
 キスの合間に洩れ聞こえるローの声はとても甘い。
 腰を抱き寄せて密着をきつくして、普段なら恥ずかしがって逃げられる臀も揉むと、ビクリと震えたローがおれの舌を噛んできた。
「ふあ……ぁっ」
「あ、すまん――」
 流石にこれ以上は拙い――
 潤んで揺れるローの目を見たおれは、慌ててローを引き離してキスを終えた。
 記憶が戻るまでは手を出さないって決めているってのに、ローであることには変わりはないのだから、どうにも調子が狂っちまう。
「ヤダ。コラさん、止めないで……」
 それなのにローはおれに抱きついてキスをするのだから、おれは罪悪感と欲望の間で頭を抱えることしか出来ない。
「でも、もう寝る時間だろ。いい子だから……」
「じゃあ、寝る前にもう一回だけ」
 切なげにそう言いながらおれの頬に手を添えたローは、唇を合わせて舌を入れようとしてくる。
 流石にここで突き放したら可哀相な気がしてしまい、駄目だと思いつつも深いキスを交わしたおれは、ローが息を上げて離れるまでキスを続けてやった。
「おやすみ、ロー」
 最後に額にキスをもうひとつ。
 優しくローを抱きしめたおれは、キスに願いを乗せる。
「おやすみなさい、コラさん」
 目が覚めた時には、ローの記憶が戻っていればいいと、そう願ったおれだけれど、現実はそう上手くはいかないらしい。
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