pixiv log

□夜の住人たち
1ページ/3ページ

 彼をこの屋敷に連れてきてから、もうどれくらいの月日が流れたのだろうか。

 まだ自分の名前くらいしか、はっきりと言えなかった彼。

 周囲から祝福されずに彼がこの地で生まれたことは知っていた。

 そして彼の両親が殺されたということも。

 騒動を聞いて駆けつけた時には既に遅く、今まさに彼に手がかけられようとしたその時で、その手からまだ幼い子供を取り上げたのは誰でもない自分なのだから。

 泣きじゃくっていた子供は、自分の腕の中で安心したように笑い出す。

 理由など、これだけでいい。

 他人との接触は苦手でなるべく人目を避けて暮らしてきていた自分に、はじめは村の仲間たちが騒いでいたが、その人物が誰かということに気づいた彼らは次第に言葉を失い、1人、また1人興味をなくしてこの場から去っていった。

 真っ暗な闇に浮かんだ冷たく光る満月。

 地面に映し出された細長い影が、元来た屋敷へと引き返していく。

 同居人でもある兄にどう説明しようか悩んでいたが、ああ見えても意外に面倒見が良い兄は、逆にその子供に興味を示したらしく、毎日飽きることなく愛情を注いで可愛がっていた。

 そんな子供も時の経過と共に成長をしていく。

 自分たちとも人間たちとも違う彼にも、時間の流れだけは平等に与えられた。

 どの姿で成長を止めるのかは解らないが、もう彼は17になり、昔のような子供ではなくなった。

 とはいえ、自分たちからしてみれば、まだまだ子供であることには変わりなかったが。



「大きくなったもんだ…」



 窓から見えるあの時と同じ満月を見つめ、グラスを傾けて真っ赤な液体を口に運ぶと、部屋の扉が小さな音を立てて開かれた。

 シャンデリアの明かりに照らされた小さな影。

 血色を失いつつある肌はいつにも増して白く、ふらふらとした足取りでテーブルに備え付けられている椅子へと向かった。



「ロー。大丈夫か?」



 ここ数日でローの状態は目に見えて悪化している。

 日に日に血の気を失って歩くことすら辛そうなローは、昔のように屋敷の中を彷徨くことはなくなり、反対に自分の部屋に籠ることが多くなっていた。

 太陽の光に当たらなくなったローの肌は、驚くほどに白い。

 椅子にかけられた手が滑るのと同じように、ローの身体が傾きはじめる。



「おいっ! ローっ!?」



 間近でそれを目にしたから咄嗟に手を伸ばしてその身体を抱き止めることが出来た。

 椅子は音を立てて倒れたが、軽い身体は腕の中にある。



「ロー、しっかりしろ…」



 意識を失いかけているローの名前を呼んで青白い頬を何度か軽く叩いてやると、自分よりも冷たい体温が手のひらに伝わった。

 目を開けることも辛いのだろう。

 震える瞼が開かれることはない。

 どうすることも出来ずにただ名前を呼んでいると、部屋の異様な雰囲気を察したもう1人の同居人が姿を現した。



「ドフィ…」



「何をしているコラソン、輸血パックを持ってこい」



 一目で状況を察したドフラミンゴはコラソンからローを抱き上げ、同じように彼の頬を軽く叩いている。



「だが…」



「いいから早くするんだ!」



 上げられた声にコラソンはそれなら先ほどまで自分が口にしていたものがあると、赤い液体の入ったグラスをドフラミンゴに差し出した。

 薄く開いたローの唇にグラスを当てると、その中にゆっくりと液体を流し込んでいくドフラミンゴ。

 今度こそ上手くいけばいいと、コラソンはその様子をじっと見る。

 流し込まれる液体にローの喉が一度だけ鳴った。



「…ぅぐ…っ…、ゲホッ…、ぅあ…っ」



 しかし次の瞬間にはローの口から今飲み込んだ真っ赤な血が吐き出される。

 苦しそうに何度も咳き込んで、体内に入ったそれを吐き出そうと胸が上下していく様子を見つめ、ドフラミンゴとコラソンは困ったように溜め息を吐いた。



「…ぅ…く…」



 口を手で覆いながら立ち上がったローがトイレへと向かう。

 精神的なものではなく、もう体質なのだろう。

 ローの身体が血を受け付けないというのは。



「やはり駄目か…」



 テーブルにグラスを置いたドフラミンゴがどうしようもないと、椅子に腰を下ろしてローが出ていった扉の向こうを見つめていた。

 ローの身体が変わりはじめたのは数週間前。

 本来なら15歳になるまでにはその症状が表れてもおかしくなかった。

 太陽の下で気持ち良さそうに身を晒してしたローをもう見ることは出来ない。

 作り替えられていく身体は次第に太陽の光を受け付けなくなり、その変わりに糧となる血を欲するようになる。

 吸血鬼であるのなら当たり前のことなのだが、ローには半分人間の血が流れていた。

 だから自分たち2人や同じ村人とは違い、この歳になるまで血の衝動に耐えられたのだろう。

 けれど、成長して作り替えられた身体は、もう人間の血がなければ生きてはいけない。

 その事実を恨めしそうに太陽を見つめていたローに話してやると、人間の血なんか飲めるかと、彼はそれを拒絶した。

 ドフラミンゴがローにレクチャーしていたが、見知らぬ他人に触れることすら彼は嫌がる。

 きっと精神的なものだろうと、ローの食事のスープにコラソンが持つ輸血パックから血を一滴だけドフラミンゴが秘密で落としてやったが、それを知らないはずの彼はスープを口にすると共に吐き出した。

 あの時は体調の悪さからくるものだろうと思うようにしていたが、今日、今のように完全な拒絶をもって吐かれたのではこれからどうすればいいのか術が見つからない。

 混血といえども自分たちと同じ吸血鬼。

 どれだけ拒絶をしても血がなければ生きてはいけないのに。



「どうすりゃいいんだ…」



 他人との接触を苦手に思うコラソン自身ですら、見知らぬ人間の血を取り込んで生きているというのに。

 このままでは倒れるだけでは済まないと、先ほどよりも大きく溜め息を吐き出した時、ローが姿を見せてゆっくりとした歩調で近づいて椅子に腰かけた。



「大丈夫か…?」



 はじめにこの部屋に顔を見せた時よりかは、まだ意識をはっきりと持っているロー。

 相変わらず顔色の悪さは変わらないが、黙って頷いたローにコラソンは安堵の息を吐く。



「おれはもう行かなくちゃいけねェ…」



 随分と時間をロスしたと、並べられた料理に手をつけはじめたローの頭を一撫でしたドフラミンゴは椅子から立ち上がった。

 この村の元締めであるもう1人の仲間と住人たちを統括しているドフラミンゴの身は忙しい。

 決して人間を殺めないように取り仕切っているのもこの2人である。

 強い権力を持つ2人だからこそ、コラソンは自由に動けるし、そのお蔭でロー自身も今となってはもう誰からも危害を加えられることはない。



「ああ、行ってらっしゃい。ミポリンによろしく」



「ミ…、ミポリン? フッ、まあ面白いから訂正はしないでおいてやる」



 行ってくると、そう言って扉の向こうに消えたドフラミンゴをローと2人で見送ったコラソンは、彼の隣の椅子に腰を下ろして同じように料理に手をつけた。

 毎日飽きないように色々と種類が変わる料理はどれも美味しく、2人の食事のペースも早まる。



「コラさん、ミポリンって?」



 合間に出されたローからの質問に、そういえば彼の名前は本当は違ったものだったような気もしたが、それを思い出せないコラソンはグラスを手にして赤い血を揺らす。



「この村の一番偉いやつで、おれが飲む輸血パックの提供者」



 何処から調達してくるのかは謎だが、お蔭でわざわざ狩りに出かける必要もないし、他人に触れることなく血を摂取出来ると、コラソンはローに教えてやった。

 村から見える一番高い山の上に建つ大きな城の主。

 窓からでも見えると、そう伝えてやるとローの視線が一度窓に移された。

 月明かりに照らされた城は静寂を保ち、何処か神秘的なものを醸し出している。

 夜にあの城を目にするのは初めてだと、ローはそう思いながら最後の料理を口に運んだ。

 成長期のローはいつも以上に、そしてコラソンやドフラミンゴ以上によく食べる。

 昔から何でも美味しそうによく食べていたローだが、ここ数週間の食べっぷりは見事だった。

 吸血しないことによる衝動にも思えたが、残念なことに普通の食事だけでは生となる糧は得られない。

 皮肉なもんだと、コラソンはそう毒づきながらグラスを傾けてそれを飲み干した。

 食後はこの屋敷に似合うアンティークなソファに座りながら、2人で何気ない会話をするのが日常だった。

 朝方、日が昇る少し前にならないとドフラミンゴは帰ってこない。

 昔話をよくねだって聞いてくるローに、数百年という時間を生きているコラソンは記憶の糸を辿りながら、この世界に起こってきた歴史などを話してやる。

 幼い頃のローは見知らぬ世界の話に目を輝かせながらコラソンの膝の上でそれを聞き、よく彼の腕の中で眠っていたものだ。

 成長するにつれて距離を置いて昔みたいにべったりと懐いてくることがなくなったのは寂しいが、それでも隣に座って話を聞いて次をねだってくるローと過ごすこの時間がコラソンは好きだった。

 緩やかに流れる時間の中、いくつかの話をしてやると、ローの額にうっすらと汗が浮かび上がっているのに気づく。



「ロー?」



「大丈夫…」



 まだ何も聞いていないのにそう答えるのは、反対に大丈夫ではないことを告げているというのに気づいていない。

 背凭れに身体を預けて呼吸を整えようとするローの額の汗を拭ってやると、指に触れた彼の熱はやはり冷たいものだった。



「全然大丈夫じゃねェだろうが」



 再び血の気を失いはじめていくローに、コラソンはどうすることも出来ずに、ただ彼の身体を抱き寄せた。

 ローの細い身体はコラソンの腕の中にすっぽりと埋まる。

 自分の熱を少しでも与えて冷たくなるローの身体を温めようとするコラソン。

 落ち着くように繰り返されるローの呼吸が苦しそうで見ていられない。

 抵抗されるかと思いながらも、昔のようにローを膝の上に乗せて頭を胸に抱いてやると、意外にもおとなしい彼は素直にコラソンの胸に身体を預けた。



「ロー…、このままじゃ死ぬんだぞ?」



 考えたくもない結末だが、目に見えて弱っていくローを見ていれば、その時が通常よりもかなり早い段階でやってくるのは解りきったことだ。

 混血児だからといっても、人間よりかは長く生きられるはずのローが、どの人間よりも早く生を終わらせようとしている。

 堪ったものじゃない。

 焦燥感にコラソンがきつくローを抱きしめた。



「どうせ、おれ…、出来損ないだし…」



 だから仕方がないと、もう諦めを見せているロー。



「バカヤロウ!! そんなこと言うんじゃねェ!!」



 どんな形であれ、ローはローだし、どれだけ大事に育ててきていたのか解らないのかと、コラソンは悲しくなって声を上げた。

 だからローがいなくなるのは耐えられない。

 泣きたくなる自分を唇を噛んで抑え、コラソンは自分の胸にあるローの頭を何度も撫でる。



「なぁ、ロー。人間の血が嫌なら、おれの血ならどうなんだ?」



 自分と同じように他人との接触を嫌うローにコラソンが声を漏らす。

 伝えられた言葉に、一体何を言い出すのかと、驚いたローがコラソンを見上げるが、自分に向けられた目は真剣なものだった。

 確かに、見知らぬ人間の、しかも血となると考えるだけでも吐き気がするが、それでもいくら大好きな人とはいえ、やはり血を飲むという行為にローは戸惑いを覚えてしまう。

 悩むローの身体を抱き上げて、自分の膝を跨がせるようにコラソンは座らせる。



「コラさん…」



 膝を挟む形で膝立ちにされたローは困惑しながらコラソンを見つめると、自分の首筋を指でトントンと叩く彼と目が合った。



「…人間じゃなく、吸血鬼の血を?」



 絡まった視線から逃れられないローが、泣き出しそうな笑みを作る。



「どうなるかは解らないが、やり方はもう知ってるんだろう?」



 実践はないが、ドフラミンゴに教えられていたのは知っている。

 動かないローの頭を抱き寄せて自分の首筋に当ててやると、小さくローの身体が震えたのが感じ取れた。



「吸血鬼は治癒能力が高い。少しの傷なら自分で治せるし、また他の者の傷も治すことが出来る」



 躊躇うローの頭を撫でながらそう伝えると、一度息を吐き出して呼吸を整えた彼の唇が、意を決したように首筋に柔らかく触れた。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ