正しい妖怪の育て方

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「──はあ」
 十分ぐらい放心した後、俺は立ち上がった。
「腹減った──何か食おう」
 腹が減っては戦はできぬ、だ。それから俺はふと、そこに座り込んでいるガキに目をやった。
「お前──腹、減ってねえか?」
「減っている」
 奴はこくんと肯いた。
「とても減っている」
「何か食うか?──っても、カップめんくらいしかねえけどよ」
 またこくんと肯く小さい頭をぽんぽんと叩いて、俺はお湯をわかした。
「お前さあ」
 そいつが無気味そうにカップめんを見つめているんで、俺は思わず吹き出した。
「カップめん知らないわけ? 中国にゃなかったの?」
「前に外にいたときにはなかった」
「どれくらい前?」
「わからん──まだ、兄上がいた頃だ」
「──兄上?」
 俺は聞き返した。
「そういや、お前、名前何たっけ? まだ聞いてねえよな? お前、いったい何なんだよ?」
「私は銀王だ。たやかは──たやかは人間だな?」
 俺はちょっと考えてから、「たやか」ってのが俺のことだってことに気づいた。
「あのねえ、俺はね、孝也。たぁかぁやぁ!! 人間だよ、あたりまえだろ。お前は──うんそうか、バケモンだな」
「──失礼な」
 銀王はむっとして唇をとがらせた。その表情がまた可愛くて、俺はまたくすっと笑った。
「お前たち人間はいつもそうだな、そうやって人を化物扱いしやがって──そのくせ私たちの仲間を神とか言って崇めたりしているのだからな。笑止なことだ」
「おもしろいしゃべり方すんなぁお前」
 俺は妙なことに感心した。
「若いのに」
「──変か?」
 銀王はちょっと赤くなって首を傾げた。
「何しろ日本の言葉は難しくて──中にいるときに、聞いて覚えたのだが」
「中って──ひょうたんの中か?」
「そうだ」
 言ってから、銀王ははっと顏を上げて、瓢箪の方に駆け寄った。何をしているのか気にならないこともなかったが、カップめんがのびちまいそうだったので銀王のことはあとまわしにした。考えたってわからないことは考えないにこしたことはないのだ。
 ずるずるとラーメンをすすっていると、銀王は大切そうに瓢箪を抱えて戻ってきた。きょろきょろ見渡して栓を見つけると、キュッと音をたてて閉める。中でぽたんと酒がゆれるのがわかった。
「何だ、入ってたのはお前だけじゃなかったのか」
「兄上がいる」
 俺はきょとんとした。
「そのぽたぽたいってんのが兄上かよ?」
「そうだ」
 銀王は瓢箪をきゅっと抱いた。
「一緒に出てくりゃ良かったのに」
 俺は半分やけくそで言った。
「もうこうなりゃ一人も二人も同じことだ。驚かんぞ俺は」
「──そうしたかったのだが」
 銀王は綺麗な顔をしかめてうつむいた。
「兄上はもう酒になってしまっているので、出るとばらばらになってしまうのだ」
「──はあ?」
「兄上はすっかり溶けてしまったんだ、私をかばって、私を抱き上げていたので──酒に変わるのがはやまったんだ」
「──はあ」
 俺は何だか疲れてきた。
「で──いつ固まるんだ、兄さんは?」
 銀王は、まるで色がないように見える目を上げて俺を見た。その瞳から、突然ぼろぼろと涙がこぼれだしたんで、俺はびびった。
「お──おい、銀王?」
 銀王は首を振った。
「兄上は戻らない。この瓢箪は、兄上のもので、兄上のかけた魔法なんだ。兄上でなければ解けない。兄上は酒になって、もう戻らない」
「そんな──馬鹿な……」
 俺はへなへなになった。
「酒になったって? 自分のひょうたんで?」
 ん──まてよ、魔法の瓢箪だって──? それ、どっかで──
「金カク銀カクの魔法のひょうたん、ってか」
「たやか、兄上を存じておるか!」
 銀王は目を輝かせた。俺はもう驚かなかった。
「はいはい知ってますよお、もう三つの頃から」
 銀王はカップめんを手に取りながら微笑んだ。
「近頃は人間も長生きすると見えるな。たやかは支那におったのか」
「別に金カクさんに会ったことがあるわけじゃねえけどよ」
 俺は割り箸をわたしながら言った。
「ガキの頃西遊記読んだからさ──まさかこうして銀カクさんにお目にかかれるとは思ってなかったけどね」
「ああ、知ってる」
 のびきったラーメンを口に入れてみて、銀王は微妙な顔をした。それから俺をちらっと見て、
「孫猿の伝記だな?」
「──伝記ってのも違う気がするけど……」
 銀王はずるずるとラーメンをすすった。あーあ、はねちまってるよ、せっかくの美形がだいなしだ。
「なかなかうまいぞ、たやか。お前、料理が上手なのだな」
「──料理……。まあいいか。なあ、それはそうとさ、お前さんこれからどうするよ? 俺としちゃここに置いてやってもかまわねえけど、俺ぁ昼間はいねえし、まあ満足に食わせてやれるかも疑問だな──経済上」
 銀王はわかったようなわからないような顔をした。
「実を言うと、何千年かぶりに外に出たので、どうして良いかわからないのだ。ここは前暮らしていた場所とは遠いようだし──」
「中国にいたんだもんな」
 俺は頭を掻いた。
「──まあしばらくはここにいな。その内慣れてくりゃ、何かしたくなんだろ」
「たやかは」
 銀王は不思議そうな顔をした。
「私が怖くないか? 私が人を喰うと思わぬか?」
 俺は突然、銀王がすごくかわいそうになった。すがるような目──裏切れないような。
「こんな可愛いカオでか?」
 俺は銀王の可愛い顔をつついた。
「誰が見たって喰うのは俺の方だと思うだろうよ」
 銀王は憂鬱そうにうつむいた。
「あの坊主も、たやかのようだと良かったのだが」
「──坊主?」
「三蔵だ」
 銀王は眉を寄せた。
「義姉上が──兄上の一の妃が、永遠の美を手に入れようとあの坊主の褥に忍び入ったのだ。高僧の初めての相手をすると、得られる不老不死を求めて」
「──おい、ちょっと話違うぞ」
 銀王はきょとんとした。
「違わない──それを坊主は勘違いして、喰われると思ったのだ。それで孫猿の助けを求めて、孫猿が義姉上を鳩にかえてしまったんだ。だから兄上はお怒りになって、孫猿を酒にしようとしたのだが」
「──ふむ?」
「孫猿が瓢箪をすり替えたので、私と兄上が瓢箪に入ってしまった。いったん栓をすると、中からは開けられないのだ。誰かが開けてくれるのを待っていた」
「じゃ、それ以来さっきまで、ずっと誰も開けなかったってわけかよ」
「そうだ。兄上は、私を──私が溶けないように、抱き上げていてくださったんだ。兄上の足が溶けると肩の上、肩が溶けると頭の上──さっき蓋が開いたとき、私は身体が揃っていたから出てこられたが、兄上は──」
 俺は唾を飲み込んだ。
「酒に──?」
 銀王は肯いた。
「私をかばってらしたから──もう、肘から先だけしか、見えなくなっていた」
 くすんくすんと泣き出す銀王の肩を、俺は軽く抱いた。
「泣くなって。何も、死んじまったわけじゃねえんだろ? 酒になっちまっても、そうやってその中にいるんなら、いつか戻れるさ──な?」
 銀王はうるんだ目をあげて俺を見上げた。
「だけど、たやか、私はずっと──生まれたときから、兄上の側で、兄上の言う通りにやってきたんだ、それなのに」
「お前さあ、何千歳だか知らねえけど、ガキじゃねえんだろ? 自分で考えたり、自分で生きたり、してみたっていいじゃねえか。いつか金カクさんがさ、ちゃんと人間に──じゃねえやバケモン──っとええと、だからちゃんとした姿に戻った時にさ、銀はこんなに立派になりましたあ、って、見せてやりゃいいじゃん。──な?」
 銀王の手が、俺の首に回ってキュッと俺を抱きしめた。俺は胸の中にある銀色の頭にどぎまぎして赤くなった。
 ──やべえぞ、カオは可愛いけど、完璧に男だぜ、こいつは。
「たやか」
「──ん?」
「私は、兄上を、元に戻せるだろうか?」
 ──そんなことに、応えられるわけはなかった。俺はただの人間で、魔法の瓢箪がどうなってるのかなんて知らないし、できる、なんて言っちまうのは、かえってひどいみたいな気がした。
「──やってみろ」
 俺には、そう言うのが、精一杯だった。

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