鳴るは鈴の音、男は角刈り。

□§2 観る用の男、もしくはベルくんの憂鬱。(1)
1ページ/1ページ

 バナナって。完璧な食べ物だと思う。栄養価も高いと聞くし、食物繊維も豊富らしいし。銘柄にこだわらなければ一房九十一円からというなかなかの価格破壊ぶりに加えて、形もなんかちょっと、エッチ感があっていいし、それより何よりも。
(簡単にむけるとこが、偉い)
 冬場はみかんも捨てがたいけど、バナナは年中あってくれるのもありがたい。ていうかバナナの旬って何月?とか、思いながら、一、二、三房、ろくに選びもしないでほいほいほいとカゴに放り込む。
「──鈴木くん?」
 あと、そうだ、ミネラルウォーターのストックがなかった。あれ、先週より十円も安いや。箱で買おうかな、いや、六本は運べないな。チャリで来ればよかったな。とりあえず三本くらいに、しておくか。あとは、食パンと、そうだ、マーガリン──
「やっぱり。鈴木くんだ」
 乳製品売場へ戻ろうと、くるりと振り返ったオレの目の前に。広い肩と、完全にオーライな上腕二頭筋。そうだな、これレベルで鍛えてあるのなら、無地でVネックで黒のTシャツという恐るべきチョイスもそれなりに……とか、無意識に品定めしてしまいながら、脇を抜けてマーガリンを取りに行こうと、する、が。あれ、待てよ、この声。
「あ、わからないかな、自分、〈どさんこ☆パライソ!〉で、」
 その、一周回っても希望の見えてこない残念センスのネーミングは、サバ兄が付けたアレビルのアレ以外に、カブるわけがない。うわ。やっぱ、そうですか。
「〈どさんこ☆パライソ!〉で、柔道教えてる、川上です」
 覚えてませんか、と、にっこりされて。ようやく顔まで上がった目線が、その男らしい顔立ちに、釘付けになる。
 覚えてます、覚えてます。ていうか、この二ヶ月、月水金と週三で顔を合わせてるのに、この前にコーヒー出したのはつい一昨日の話なのに、こんなにも、完全に、好みです、ストライクです、という造形の、相手のことを。
(忘れるかい!)
「あ、す、すみません。柔道着、着てらっしゃるところしか、見たことなかったから。気づかなくて」
 ごめんなさい、と、もう一度謝ると。
「いや、そんな、いいんです。自分とりたてて特徴もないんで。わからないですよね」
 って、何をおっしゃる!
「それにしても、鈴木くんは目立ちますね。何かこう、野菜売場にやたらしゅっとした人がいるなあと思ったら、君だったから、ちょっと笑ってしまいました」
「え、何か、おかしかったですか、オレ」
「ああ、いや、そういう意味じゃなくて。鈴木くんみたいなひとでも、スーパーで買い物とか、するんだなあと思って」
 って、なんか、よくわからないけど、くすくす笑って、それがまた、まったく嫌味のない、爽やか笑顔なものだから、オレはパンコーナーから乳製品売場へと戻る途上で、途方に暮れて立ち尽くすのだった。と、呑気なナレーションを当てているうちに。〈先生〉、改め川上さん、は、足元に置いてたオレの買い物カゴを、ものすごくナチュラルな仕草で持ち上げて、
「次はあっち?」
 と、乳製品売場方面を、振り返る。……ん?
「マーガリンを……買おうかと……」
 言い終わる前に、川上さんが荷物ごと歩き出すから、なんだかよくわからないけど、お供のように、あとからついて行く。
「鈴木くんも、この辺に住んでるんですか。〈どさんこ☆パライソ!〉は、ちょっと遠いね?」
「あ、はい。ええと……先生も?」
 え?と、一瞬の間のあとで、川上さんは、可愛らしいほど、顔を赤くして。
「その、先生っていうのはやめて下さい。ほんとに、たいして強くもないですし、指導の仕方も我流だし」
 子供たちにも、先生とか呼ばせてないですから、って、頭をかく。ああ、ほんとに、なんていうか、徹底的に。
(心、洗われちゃいそう……)
「じゃあ、川上さん」
 呼んでみると、オレを見下ろして、ええ、それでお願いします、と、微笑んでくれる。なんか、あまりにも突然すぎて、ピンと来てなかったけど。普段のベルくんなら、(わお、これって運命!)とか言って、まっすぐ部屋にお持ち帰りして、いただきます、って、両手をあわせる、レベルの偶然では、ある。
「川上さん、も、お宅、このあたりなんですか」
「うん、もう、この真裏です。バスターミナルあるの、わかるかな。あのあたり」
「ああ、オレ、よく使います。移動するの、基本地下鉄かバスなんで」
 よく行くパスタ屋とか、近所に一軒だけの本屋、日用品の安いドラッグストアとか、話してみると、どうして今まで巡りあわなかったかな、っていうくらい、生活半径がカブっていて。ローカルな話題で盛り上がっているうちに、いつの間にか一通りの買い物が済んで、レジに並んでいる。──あれ?
「川上さんの、お買い物は……」
「ああ、自分は、暇つぶしにふらっと、寄っただけなんで。特に、何を買おうっていうことでもなくて」
 だから、良かったら、荷物もちになりますよ、って、これもものすごく、ナチュラルに言われて。それはどうもご親切に、って……なるかい!
「いや、そんな、まさかそういうわけには」
「どうぞ遠慮なく。あんまり役に立つ人間でもないですが、力だけは人並にありますので」
 人並、っていうか、たぶんむしろ、三人前くらい、ありそうだ。改めてそう思うと、なんか、隣に並んでるその人の、その身体の、オレなんかとは種類が違うとさえ思える、なんていうか、雄の、感じが。改めてひしひしと押し寄せてきて。やばいっす。欲情しそう。ダメだってベルくん、この人は、あくまで、観る用の、アレで。
 ──混乱。
 している内に、精算を終えると、何故だかパッキングも手伝ってくれて、バナナ好きなんだね、とか、極上の笑顔で言われて。さっきまで、バナナの形状がどうしたと、よこしまなことを思っていた自分のケガレ度合いをかえりみる。反省します、悔い改めますから、神さま、どうか、コレ、ええと、今コレ、どういう状況なのか、説明してもらってもいいですかね、神さま、神さまってば!
 と、まったく応答のない神さまに、オレがしつこくしているうちに、川上さんは店を出ていて、本屋のほうって、こっちですよね、って。歩き出しているから、慌てて、追いついて。
「あの、オレも持ちます。オレの荷物だし」
「あ、じゃあ、はい」
 はい、と、渡されたビニール袋には、バナナが、二房。なんだろう、この、子ども扱い感。ぼんやりしてると、またもや置いて行かれていて。角のところで立ち止まってくれているから、小走りになる。
「ああ、急がなくていいです、走らないで」
 なんでか、早足で戻ってきてくれる。いやでも、二リットルのペットボトル、三本も持たせてるのに、悪いし。
「自分、歩くの、速すぎますかね」
 ……なんか、女の子に聞くようなことを、聞かれてる。それで、ドギマギするとか、何なのこれ。純情なの、オレ。
「そんなことないです。あ、でも、川上さん大きいから、歩幅的には、どうしても差がついちゃうかも」
 冗談のつもりで言ったんだけど、そうか歩幅か、って、ちょっと気をつけて、オレにあわせてくれようとしたり。
 なんか。優しいな、とか、いいひとだな、とか、爽やかだな、とか。そのへんを考えて、自らをごまかそうとしてみてきたけど。……欺瞞!
「あの、川上さん?」
 おかしいよ、どう考えても。大の大人の、かつ赤の他人の、買い物袋を、代わりに持ってくれるとか。頼んでもないのに、家まで送ってくれるとか。なおかつ歩幅まで合わせてくれるとか。
 ……観る用観る用と思って、考えないようにしてきたけれど。これって、これだと、この人、完全に。
(オレに気があるパターンじゃん!)
「どうして荷物、持ってくれるんですか?」
 おかしくないですか、こういうの?って。思ってたより、切り口上になる。……だって。
 息子いんのに。幸せそうなのに。スポーツマンなのに。異性愛者なのに!
(いやオレは別に、バイならバイで、ノンケならノンケで、いいんですけど。そういう逆偏見とかは、ないつもりですけども!)
「……ええと」
「言っとくけど、オレそんな、安くないですから」
 うわーこれ、どの面下げて言うのかな。週末ごとに違う男と歩いてるって、地元じゃ有名だったですけど、小悪魔ベルちゃんは。
「あ──ええと。ごめん」
 毅然と。毅然と相対しようと、思うのに。
両手にエコバックぶらさげて、叱られた犬みたいに驚くほど素直に悄然とする、この、大きな、男のひとは。改めて正面から見据えると、くらくらするほど、可愛くて、カッコよくて、セクシーだ。ダメ、ダメだからオレ、そういう目で見たら、ダメなひとだから!

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ