家庭ψ園

□§2 摘芽/暴君と七月(1)
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 結局のところ、〈こなっちゃん〉にはいい環境かもしれない、と。追肥のために土を掘り返しながら、俺は思う。都会で育てている限り、ハウスから出してはやれなかったんだ。
 たった六株だけ手元に残せた〈こなっちゃん〉は、土地との相性がよかったのか、今まで育てたどれよりも、青く元気そうに見える。だいたいここは、水が旨い。順調にいけば、来月の頭には、小さな朱い実が、たくさんつくだろう。
(トマトに必要なのは、たっぷりの水と、たっぷりの陽だ)
 家族をまきこんで苦労の連続だったのに、親父のことで思い出すのは、トマトを語った言葉ばかりだ。
 ふと手を止めて、夏に近づく七月の陽を見上げる。この同じ陽を浴び、同じ水を飲んで、どうして、あの子は。
(あんなに、白くて、細い)
 九月に山を下りる前に、なんとか、あの子に。
(きちんとした食事を摂る、習慣を)
 さんざんな目にあわされておきながら、まことに人の好いことだと、自分でも思うが。そこは俺もあの親父の息子だから、仕方ない。
「どうして近くに、入れてやらないの?」
 ふりかえると、ジャージ姿の当の杷(さらい)が、朝の光のなかに、にこにこして立っていて。ぎくりとする自分が、本当に情けない。
「……肥料が、根に直接触れると、枯れてしまうことがあるんです」
 ここへ来て、一月近くになるが、当初抱いていた金持ちの放蕩息子のイメージとはかけ離れて、杷の毎日は規則正しい。朝起きるのもわりに早いらしく、午前中に〈こなっちゃん〉の手入れをしていると、こうして時々、眺めにやってくる。
「ふうん」
 すぐ脇にかがみこまれると、反射的に緊張する。そんな俺にはまるで構わずに、杷は〈こなっちゃん〉の根元をのぞきこむ。
「土かけるの?」
「……そうです」
「どれくらい? オレやっていい?」
 ほんの少しだけ、意外な気がした。杷自身が人工物のように見えるせいか、土や虫は嫌いだろうと、勝手に思い込んでいた。
「――どうぞ」
 楽しげに、スコップで土をすくう杷を見て、食育、という言葉が頭をかすめる。
「実が、ついたら――」
「うん」
「食べてみませんか。浮かべるだけじゃなく」
 ん?と、杷が、顔をあげる。こうして陽の下で見ると、あどけなくさえ見える、杷の白い頬。
「トマト?」
「おいしい、と、思いますよ」
「うん」
 簡単に、〈うん〉というから。きっとジューサーにかけさせる気でいるんだろうな、と思う。そりゃまあ、栄養価的には、さして変わらんが。
「親父がね、よく言ってたんですが。人間てのは、食ったもので出来てるんだぞ、って」
 杷が、スコップを止めて、俺を見上げる。すこしなにか考えているから、ひょっとしてわりと真面目に聞いているのかもしれない。
「人間は、食べたものの栄養をもらって身体を作るんだから、トマトを食べたら、明日のお前は少しトマトで出来てるんだ、って。だからきちんと新鮮なものを、ありがたく食わないといけないんだぞ、とかね」
「――ふうん」
「ポテトチップなんか食ってたら、よく言われたな。お前はそれが自分になっても構わないと思って食うのか、って」
 俺を見る杷の目は、あいかわらずガラス玉のようだ。けれどもう、それが人形のように見えないのは、口元に浮かんでいる微笑みのせいか、それとも、俺がその肌の温度を。知っているせいか。
「あ――いや、なんか、説教くさくなりましたが。これは、俺じゃなく、親父の」
「〈人間は、食ったもので出来てる〉」
 唐突に、格言のように杷が繰り返したので、俺は言葉を切る。七月の陽を浴びて、杷の髪はいっそう淡く、麦わらの色に見えた。
「じゃあ、先生は」
 にっこり、ほとんど幸せそうに、杷は笑う。スコップと、陽の光と、トマトの匂いと。杷の頬には少し土がついてさえいたから、俺は、まったく油断した。杷の指が一本、ほんの一瞬だけ、俺の口元に触れて。降ろされる。
「わりと、けっこう、オレで出来てるね?」
「――は?」
「だって毎晩、飲んでるじゃん。だから」
 先生の身体は半分くらい、オレで出来てる。
 杷は、その新発見をかみしめるようにくり返して、正解の発表を待つように、まっすぐに俺を見つめた。
 俺が、この子供に何を教えるために雇われたのだとしても。その件について何か言えるだけの、落ち着きも、潔さも、自分の中には欠らも持ち合わせがなくて。
 ただ、何故だか頬のあたりに昇ってくる血のざわめきと、その熱さに。戸惑って、下を向いた。

 人間は、何にでも慣れる。
 杷に触れられるのも、杷に触れるのも、その白い裸を見るのも、俺自身の裸をさらすのも。日々、くり返すうちに、少しずつ、平気になってしまうから。
 〈犬が欲しいわけじゃない〉杷の要求は、気まぐれに、少しずつ、程度を深める。慣れてしまったこと、俺に抵抗のなくなったことは、杷の興味の内側に留まらない。
 それで。
「杷くん……あの、それは」
 いつものように俺のベッドにすべりこんで、いつものように俺の身体にじゃれ、いつものように俺にしゃぶらせていたのを途中で引き抜いて、杷は鼻歌まじりに、ガラスのボトルの蓋をまわす。
「うつぶせになってて」
 俺の頭を、枕にきゅっと押し付けるようにして、杷は言う。ものすごく機嫌がいいから、鼻腔をくすぐるフローラルな香りに、ひどく嫌な予感がする。
「あの……」
「うん」
「――冷たい、んですが」
 とろりとした、必要以上に良い匂いの液体が、俺の腰のあたりに、垂らされる。夏の初め、街中より少し標高の高いこの辺りは、夜になると、まだかすかに涼しい。
「うん」
 杷の器用な指が、舶来のローションを俺の肌に伸ばす。
「――うわ」
 つるりと、気色の良いような悪いような感覚と共に、杷の指が尻の割れ目を南下して、俺の、ごくプライベートな部分の入口に、触れる。
「ちょっと――待って」
 起き上がろうとする俺の背中に、軽く膝を乗せて、動きを封じ。くるくると円を描いて、杷の指がその辺りを嬲る。粘性の液体の冷たさが、体温と摩擦熱とを取り込んでいく。それが温くなるにしたがって、ぞわりと、首筋の毛が逆立つような、妙な心地が身体を昇る。
「杷く――」
 今度は直接、その部分にローションを注いで、杷の指が、俺の、内側に、もぐりこもうとする。
「それは……嫌だ。やめて下さい」
 頭だけ仰向こうとして、声がかすれる。
「嫌がるから、したいんだけど」
 あっさりと、杷は言って。
「いいよ。じゃあ、辞める?」
 くり返しだ。俺と、杷の。必ず杷が勝つと決まっている、小さな攻防。こうして、毎晩、少しずつ。俺の尊厳は、杷に侵食されていく。
「――――――辞めません」
 じゃあ、じっとしててね、と、簡単に言って、杷の華奢な指先が。俺の身体を、開く。
「…………ん」
 されている、行為より、緊張で呼吸が乱れることのほうが、恥ずかしいし、辛い。ゆっくりと小さな出し入れをくり返しながら、杷の、おそらくは右の中指が、俺の中に、静かに埋まる。
「痛い? 気持ちいい?」
 答えずにいると、杷はすこしの沈黙のあとで、また少しローションを足した。そうして、ほとんど優しいと言っていいような柔らかさで、俺の内側を。探る。
 初めの嫌悪感をやりすごすと、おなじみの諦めの境地がやってきて、とにかく少しでも楽になろうと、呼吸を整える。この体勢と、状況と、こんな子供にいいように扱われる屈辱感とを、脳内の片隅に追いやって蓋をすれば。ぬるぬるとした違和感が残るだけで、とりたてて痛くも、気持ちよくも、ない。
「中、あったかいね」
 知るか、と言いたいところだが、俺の激昂は杷を喜ばせるだけだから、そうですか、と、返事をする。
「楽しい、ですか。……こんなことして」
 杷はただ、小さく笑って、俺の内側にある指先の、加える圧と、触れる角度とを、いろいろ変えてみたりしている。
 子供が玩具で遊んでいるようだ、と連想して。改めて。杷からは、全部見えているのだ、と思い当たり、そう思うと、さすがに恥ずかしさが勝(まさ)って、びくんと、身がすくむ。
「ここ?……いい?」
「――違います」
 馬鹿馬鹿しくなって、枕に顔を伏せる。どの道俺には選択権はない。気の済むまで、好きにさせよう。

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