〈底辺球団シリーズ〉1

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 三沢さんの命令どおりに峰岸さんの部屋で暮らし始めてから四日目、僕は前半戦最後の先発をした。大方の予想どおり調子は最悪、ストレートは走らないフォークは落ちない、へぼピッチャーの見本市のような有様になってしまったのだけれども、幸運にも味方の打線がかなり好調で、七回の裏、ほうほうの体でリリーフピッチャーにマウンドを譲るまで、なんとかリードしたままに押さえることができた。
 だからなんとその日、僕は勝利投手だった。峰岸さんと僕のコンビでは、初めて挙げた勝ち星。三沢さんと高原は僕の成長をめちゃめちゃに誉めてくれ、喜んでくれ、たかだか一勝のために祝勝会をやろうといいだしてくれた。そして予想通り、当の峰岸さんは、まったくの仏頂面で。
「なんでそうしんきくせえ顔を、するかなあお前」
 三沢さんはムリヤリ峰岸さんのカップにビールをつぎたしながら、
「勝てば官軍じゃねえかよ。よくやった、成長したなって、誉めてやれねえかな」
「悪いけど」
 と、僕もひそかに感じていたことをきっぱりと、峰岸さんは口にだした。
「成長したのは桜井じゃない、俺の方です」
「は?」
 三沢さんはきょとんとしたけど、ご同業の高原はぴんと来たらしくて、くすくす笑った。そうだよね、誰が見ても、それはそう。
「たしかに今日は、フォアボールも少なかったし、ワイルドピッチも後逸もなかった。でもな」
 峰岸さんは僕の方へ向き直って人差し指をたてた。
「全然サイン通りにきてねえことに変わりはねえぞ、わかってるな」
 僕は小さくなってうなずいた。
 そうなんだ、僕の方はといえば相変わらずで、内角と外角、といった大雑把な投げわけすらできないような、有様。
「へえ、そんなもんか」
 ショートからは、そういうことは見ててもわからないのかもしれない。三沢さんは、本当に感心したような声を出した。
「そんなで、よく球とめてんな、お前」
 峰岸さんはちょっと考え込む風をしてから、自分でもちょっと驚いた顔をした。
「そうですよね──なんでとめられるようになったのかわかんねえや」
 三沢さんはぷっと吹き出した。
「おもしれえなお前ら」
「は?」
「桜井がミネになじむより先に、ミネの方がこいつの人見知りになれっちまったんだな」
「人の気もしらねえで」
 峰岸さんはまずそうにカップを空けて言った。
「慣れるもなにも、こいつほとんどしゃべんねえんですよ。同じ部屋で生活してるってのに、近寄らねえし、口きかねえし、怒りも笑いもしねえ。なに考えてんだか、さっぱりわからねえ」
 ピッチャー同士、僕のお喋りも笑い上戸もよく知っている高原が、ちょっと不思議そうな顔をしたけど、ありがたいことに何も言わなかった。
「だけどわかってきてんじゃねえか。喋らねえ分、空気でわかるようになってきたってことだろ」
 三沢さんはひとごとだから楽しくてたまらないらしく、けたけた笑いながら、
「次にどこに飛んでくるかわかる、ってのはあれだろ、何かこいつが、次に何を食いてえと思ってるかわかってくる、みてえな感じなんだろ。キャッチャーを女房役とは、よく言ったもんだな」
「わかるわけじゃありませんよ」
 峰岸さんは心から不本意そうな顔をした。
「何となく取れるんです」
「あ、それって、じゃあ」
 未成年だから、と可愛らしいことを言ってレモンスカッシュなんてものを飲んでいた高原が、にこっとした。
「何となく作ったものが、相手の食べたいものと重なるって、ことだよね。オレ子供の頃ね、何か今日はカレーが食べたいなあ、なんて思ってうちに帰るとね、本当にカレーだったりするから、母さんてすげえなあって、思ってたな」
「ミネじゃおふくろって感じしねえけどな」
「当然です」
 峰岸さんは三沢さんの冗談に真剣に答える。三沢さんはそれを見て余計にからかいたい気分をそそられたらしく、あの、意地悪を言うときだけのきらきらした、ものすごくいい目をして、峰岸さんを見た。
「おふくろってよりは、親父だよなあ。そうなら見えるんじゃねえか、桜井は童顔だからな」
「いくらなんでも」
 僕はそこに口をだせる立場じゃなかったけど、恋してる相手と親子に見えるなんて言われては、すねた顔をせずにはいられないというもので。
「みっつしか違わないのに」
 言うが早いか、「え?」という声が、みっつ同時に降ってきた。三沢さんと高原と、当の峰岸さんと。
「桜井お前、いくつだ」
「え、五ですけど」
 峰岸さんは本気で驚いた顔をした。
「本当にみっつか」
「オレ、桜井さんの歳は知ってたけど」
 高原はずけずけといった。
「ミネさんがもすこし上だと思ってた。みっつってコトは、二十、八?」
 三沢さんは下唇をひっぱって、うーんとうなった。
「俺は両方知ってたはずなんだがな。改めて言われると、ちょっと信じらんねえな」
 余計なこと、言わなきゃよかった。僕やっぱり、峰岸さんに比べるとかなり子供に見えるんだな。溜め息をついていると、高原がすっとんきょうな声をだした。
「あれ、じゃあ、甲子園であたってる?」
「や、みっつ違いってコトは、入れ代わりじゃねえか、ちょうど」
 高原と三沢さんが尋ねるように僕を見たので、僕はうなずいた。
「そう、入違いで──それに甲子園ではあたれないんです、同じ県下だから」
「え、お前どこだ」
 峰岸さんは郷里の話をするときの懐かしそうな目になって勢い込んだ。僕は、ちょっと困ったことになったなと、思ったけど、嘘をつけるような類のことじゃないから、正直に答えた。
「H大、付属です」
「H付属!」
 峰岸さんは叫んだ。
「決勝であたったんだよな、県大会の。うちの監督と仲良かったろ、H付属の、浅井さんとさ」
「──ええ」
 僕は、ちょと微笑んだ。そうですね、本当に──あんないたずらで、子供をいじめるくらいにね、仲がよかった、覚えています。
「ミネは、M商業だろ──麻人の先輩だとかって、言ってたもんな」
「ミネさんがいた頃は、M商業も名門だったからね。──あれ、じゃ、三人同郷なんだ、奇遇ですね」
 そのあとは三沢さんを相手に、お決まりのお国自慢が始まった。僕らのいた街は、とくに田舎でもない、かといって都会でもない、ごく一般的な地方都市で、自慢といっても結局は野球の話に終始するのだけど、所詮三沢さんも野球が好きでたまらない人だから、僕らが子供のようにまくしたてる三世代のM商業とH大付属の名勝負について、息子の話を聞くみたいに眉をあげてにやにやしながら、結構楽しそうに見えた。
 帰り道、三沢さんと峰岸さんとが聞太コーチの悪口で盛り上がっているのを横目で見ながら、高原がこんなふうに言った。
「桜井さんって、甲子園にも行ってますよね?」
「うん」
 僕はうなずいた。
「二回だけだけどね。僕がいた頃もまだ、M商業かなり強かったから、簡単には出られなかったな」
「エースだったですか?」
「え?」
 どういう意味なんだろう、と考えていると、一人しらふだった高原が、意外と真剣に会話を聞いていたことがわかった。
「桜井さんが高校生だった頃っていったら、オレもう小学生ですよね──甲子園も見てたし、同県なら、かなり応援してたはずなんだけど……峰岸さんのことは、記憶にあるんですよ、でも、桜井さん、思い出せないから……」
「──ああ……」
 思い出せなくて当然なのだけど。僕はその辺はあいまいに微笑んだ。
「そう大したピッチャーでも、なかったからね」

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