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□夏と朝
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「あのさ、乙和くん。俺のこと、くん付けしなくていいよ、なんか呼びにくそうだし。俊とか俊介とかって呼んでよ」
「いいのか」
「もちろん」
「……じゃあ、俊介」
「はい!」

歯切れのいい返事に、乙和は少し笑ったようだった。乙和くんって笑うんだな、と人が聞けば当たり前だと言われるようなことを思った。

「俊介、俺のことも陣でいい」
言われ、京塚の表情がぱっと華やぐ。名前を呼び合うと一気に仲良くなった気がするのは何故だろう。

「陣くん!」
元気に呼ぶと、乙和は少し間をあけて「……くんはいらないけど」と呟いた。

「なんとなく陣くんのが呼びやすいから陣くんじゃだめ?」
「あー、まあ、そういうことなら」
「やった。陣くんね」
「ああ」
「陣くーん」
「うん」

走りながら特に用もなく名前を口にする。乙和も分かっているだろうに律儀に応じてくれた。
元々の人懐っこい性格もあり、京塚は彼のことがすっかり気に入ってしまったことを自覚する。単純なものだが、別段害はないのだからいいだろう。

「陣くんと知り合いになれて今日はいい日だわー」
「……、そうか」

ほんのわずかに照れたような様子で相槌を打った彼に笑みをこぼしたとき、鳥居が見えてきた。緋色が目に鮮やかな鳥居だ。
そこは年末年始にはおおいに混み合う、この辺りでは恐らく一番大きな神社だった。そのまま走っていって目の前に着いたところでどちらからともなく足を止め、長い階段を見上げた。

京塚がいつもこの上でストレッチがてら休憩をするのだと言うと、乙和は自分もそうだと答えた。そんなとこまで一緒なのかと面白く思う。それならば、と並んで階段を上った。
蝉の声が四方から降ってくる。てっぺんに到着し、大きく息を吐き出しながら頭を下げると額から伝い落ちた汗がコンクリートに丸く跡をつくった。ぐいっとタオルで乱雑に顔をこする。


「はー、あっちい」

境内には大きな木がたくさん植わっている。蝉が騒がしいが、木陰になっていて風が抜け、気持ちいい。
隅に備えられた水道で顔を洗い喉を潤したところで、乙和がじっと見つめていることに気がつく。

「なに?」
「……いや、あー、水道水、飲むんだな」
「へ、普通に飲むよ。あ、陣くん無理な人?」

それなら水分補給が大変だろうと思いながら問うと、彼はゆるりと首をふった。

「平気。俊介は、潔癖なイメージだった」
「まじか! 残念ながら違うわー。俺、部屋とかきったねえし」
「―親近感」
「陣くんも部屋きたねえの?」
「まあ普通に」
真面目に頷くのが面白くてけらけらと笑ってしまう。近づいてきた乙和に水道を譲って、京塚は一際大きな木の下に移動するとじっくりと体を伸ばし始めた。

「柔らかいな」
ストレッチが下半身から上半身に移ったところですっきりと短い髪まで水で濡らした乙和が同じく木陰にやってきて、短く言葉を発した。肩を伸ばしながらその顔を見上げる。

「陣くんは硬いの?」
「あまり柔らかくはない」

言いながら前屈する。指先がぎりぎり地面に届いた。そして姿勢を戻し、「な?」と同意を求めるような目顔をする。

「いや、結構柔らかいって。てか、足が長い!」
「そうか?」
「そうだよ。いいよなあ、俺ももっとでかくなりたい」
「まだ伸びるだろ」
「だといいなあ」

肩をぐるりと回し顎をそらせる。木漏れ日がきらきらと眩しかった。
ストレッチをしながら乙和がこちらを見ていることがなんとなくわかったが、何か話しかけてくるわけでもなかったので、京塚はそのまま瞑目した。
吹き抜けた風が汗に濡れた肌を冷やす。

「風気持ちいいなぁ」
「……そうだな」

ほとんど独り言のつもりで、反応がなくたって構わなかったはずなのに、ゆったりとした声で同意をされると「ああ、なんかいいなぁ」と思った。
多分、乙和は京塚がどんな話を振っても耳を傾けて、ささやかな問いかけにもちゃんと答えてくれるのだろう。そう思わせる丁寧さが乙和にはあった。

目を開けて、思った通り京塚の横顔を見つめていた乙和ににこっと笑いかける。乙和は眩しそうに目を眇め、二度ほど瞬きをしてから「俊介」と呼んだ。


「ん、なに?」
「毎日、同じ時間だって言ったよな」
「うん」
「明日からも、一緒に走りたい」

言って、黒々とした眼が何かそれ以上の意味を含んでいるかのような強さで京塚を見つめる。
その視線に少したじろぎ、けれど京塚には断る理由などなかったし断ろうという気も全くなかった。

「―うん、そうだね。そうしよう」
「いいのか」
「もちろん。陣くんと走れたら、楽しいし」

立ち上がって、そろそろ行こうと声をかける。頷いた乙和は少しだけ緩んでいた靴紐をぎゅっと縛り直してから立った。

「明日からもよろしくね、陣くん」
見上げて言う。
「ああ。よろしく、俊介」

彼が笑った顔が鮮烈で、京塚は胸を衝かれたような気がした。誤魔化すようにもう一度よろしくね、と繰り返した声はなぜだか少し上ずってしまった。


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