short

□完全敗北宣言
3ページ/3ページ



「あ、はーい」と軽い返事をして洗面台のほうに言った彼の横顔をちらりとうかがう。


「―切ったって言ってたけどどうしたの? 転んだ?」
「いや、スタブロを地面に固定する針? とげ? みたいなのがかすった」


なにそれ痛い! だからスターティングブロックを持っていたやつが頭を下げていたんだなと思い至る。
傷口を洗い終えた潮井くんに出したばかりのタオルを渡して腕の周りを拭いてもらう。

それからパイプ椅子に座らせると、緊張などまったくしていませんよというふうに装って向かいに腰を下ろし傷を見せてもらう。
外の部活にしてはあまり焼けていない腕に2cmくらいの傷が二か所。あまり深くはなさそうで、血は押さえていたおかげかすこし滲んでいるくらいだ。

ほっとしながらも痛々しいのは変わらない。あと俺、保健委員だけど実は血とかちょっと苦手。
潮井くんの前だからそんな素振りしないようにするけど! 思わず痛そうと呟くと潮井くんは「そんなでもない」と返してくれた。

傷のサイズに合ったすこし大きめの絆創膏を取り出して丁寧に貼る。
俺がやりやすいようにか少し体をこちらに寄せてくれた潮井くんからはふわりと柔軟剤の匂いがした。

なんで汗臭くないんですか潮井くんだからですかと動揺する。



「消毒とかしないんだな」
「あーうん、そうだね。消毒液はだめってことになったみたいよ、あと直接ガーゼもだめらしい」
「へーなんか知らん間に常識変わってるよね」
「本当にね」

やべえ和やかじゃない? 潮井くんがほぼ初対面の相手とふつうに話せる人でよかった。
俺は慣れると人懐っこいと言われるけれど少し人見知りをする。


「ん、ありがとう」
しっかりと貼り終えて謎の達成感を抱く俺に潮井くんはお礼を言ってくれた。
いいえ、とぎこちなく首を振る。立ち上がる彼の動作を目で追う。


「部活戻るの?」
「うん」

思わず尋ねてしまった。なにを当たり前のことを聞いているんだ、と焦る。
潮井くんはあまり気にしていないようで、室内に入るために脱いだシューズを履きなおしながら俺を振り返った。


「当番だっけ? 何時までここにいるの?」
「へ―、あ、えっと、5時、過ぎくらいまで」
「そっか。陸上好き?」
「え、うん、好き」

陸上というか、君が走っているところが好きです。余計なことは言わずに頷いた俺に、潮井くんはもう一度そっか、と言った。


「いつも見てるから、そうじゃないかと思ったんだ」
「え」

気付かれてたのかよ!! 赤くなってあの、その、としどろもどろになると彼はまたあの眩しい笑顔になった。


「今度、もっと近くまで見に来てよ。当番ないときとか」
「……いいの? 迷惑じゃねえ?」
「まさか、迷惑じゃないよ。俺、久郷に走り見てほしい。で、感想聞かせてよ」


待ってるね、と白い歯を覗かせた潮井くんは、思い出したように「血、苦手っぽいのに手当してくれてありがとう」と言うと俺の返事は聞かずに走って行ってしまった。
俺はしばらくそこに固まったままその背中を見ていた。


久郷に見てほしい、って言われた。潮井くん、俺の名前知ってた!? つーか、血苦手なのなんでわかったんだ、あと、なんかさそ、誘われたの俺!?


「う、わああぁ……」


諸々を理解すると同時にへなへなと床にしゃがみ込んでしまう。

心臓がきりきりして痛い。顔も、耳も熱い。恥ずかしいのに、すごく嬉しくて頭の中がふわふわしている。

もう、こんなの認めるしかない。もう分からないふりも逃げることもできない。
俺の負けだなと思った。



.
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ