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□完全敗北宣言
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100メートルと少し、2レーン分だけの舗装された赤茶色の合成ゴム。そのスタートライン付近で身を屈めてスターティングブロックを調整していた潮井くんが立ち上がる。
陸上競技の経験はないがスタートダッシュの練習をするんだな、と雰囲気で分かるのはこうやってよく潮井くんの練習を眺めているから。

ストーカーか、とドン引きする裕也が容易に想像できるし自分でも結構きもいなと思うが言い訳をさせてもらうと俺は潮井くんが走っているところを見るのが好きなのだ。

ただ速いだけじゃなくて綺麗で見惚れる。あれはきっと理想的といわれる走り方なのだろう、と力まずすいすい走っていく姿に思う。
ここで退屈を持て余していた時に彼の走りを見たのが初め。

その時から俺の目は日常の中でもいつも潮井くんを探してばかりいるし、面倒だし暇だし遊べないしで憂鬱だったこの当番の仕事が楽しみだと思うようになった。

話したことは、彼が陸上部だということすら知らなかったときに一度だけ。
多分潮井くんは俺の名前も知らないと思う。



はあ、と溜息が出た。俺は女の子が好きだ。ここが男子校で俺が中学から男子校に通っていようと今までそれは揺らぐことなどなかった。
街に行けば女の子はたくさんいるし、これは自慢だが俺は友人たちの比ではなくモテる。裕也とはあんまり差ないかなって思うけれど。

まあとにかく女の子には困っていないのだ。
それなのに、女の子と遊ぶより潮井くんの練習を眺めていたいって思うし、可愛い女の子の笑顔より、めちゃくちゃ顔がいいってわけでもない潮井くんの笑顔を見たいし、可愛い、格好いいって思う。

本当、俺どうしたの。走ってるの綺麗だな、でどうして終わらないんだ。



もう一度溜息をついて窓の桟に乗せた腕に額を押し付けた時、誰かが「潮井!」と声をあげた。
ただ呼んだというのとは違う雰囲気にばっと顔を上げると、潮井くんが腕を押さえているのが見える。


視力が2.0以上ある俺の目はその押さえた指の隙間から垂れる赤いものをばっちり捉えていた。
がたっと音を立てて立ち上がってしまう。


潮井くんがけがした!! どうしようどうすればばんそうこうでも持ってあっちまで走っていくか!?
いやでもそんなことしたら見てたのバレる! いやいやでもそんな場合じゃねえ潮井くんが怪我してるんだぞ!

俺の頭の中は大騒ぎだ。


一人あわあわしているうちに潮井くんはスターティングブロックを抱えたまま頭を下げている部員に大丈夫だというように手を振ってみせて、何かを告げたあとこっちに向かって走ってきた。
し、潮井くんがこっちにクル! 俺の全身がぴきりと固まる。

そんな俺のことなど知る由もない彼はたたっとこちらまで走ってくると外に出られるようになっている保健室のガラス張りの引き戸を軽くノックした。

テンパりまくって入口近くの棚のところまで下がっていた俺はハッとして引き戸の鍵をあけに行った。

「う、腕大丈夫?」
「軽く切っただけだから平気。先生は?」

戸を開けて中に入ってくる潮井くんを見ながら尋ねる。どもった。
振り返った潮井くんは人懐っこい笑顔とともに答えてくれた。めっちゃまぶしい、その笑顔。

直視できなくて俺は手当の用意をすることで視線を逸らした。

「先生は今日出張。そこで傷洗って」

昨日保健医から聞いた予定を告げながら洗面台を指さす。
緊張で少し口調がそっけない自分の頭を三度は殴りたい。好印象を持ってもらうチャンスだというのに! ……いやなにがチャンスだよ!


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