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□加地さんと俺
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嫌いなもの、コーラと活字、あとは授業。好きなもの。紅茶と平穏、それから加地さん。


「なーる」

優しい声で呼ばれた。ぱちりと目を開けると、俺の顔を覗き込む加地さんがいた。俺は体を起こしてぺっこりと頭を下げる。

「こんにちは、加地さん。おはようございます」
「おう。いい子だな、なる」

遠慮なく俺のセットした髪をぐしゃぐしゃする加地さん。加地さんだけがもたらすことのできる至福である。
俺はへらへらと笑って、狭いソファーの俺があけたスペースに座ってくれる加地さんのために体を端に寄せた。

本当は床に下りて加地さんのための快適な空間を作り出すのが正解だけれど、近くにいられる幸せを自分から逃したくはない。
気付かない愚鈍なふりをしてしまう狡賢い俺。


「加地さん、俺はずるい子です」
「その小さい頭の中で今度は何を考えてんだよ」

自分の汚さを勝手に見つけて勝手にへこんで加地さんに懺悔まがいのことをする。加地さんはニッとそれはそれは格好よく、そして男くさく笑って自分の膝を叩いた。
見上げると、おいで、と言ってまた膝をぽんぽんする。俺は今の今まで考えていたことを綺麗さっぱり忘れて失礼します! と大きな声で言って加地さんの膝にダイブした。

すぐにひょーいと持ち上げられて加地さんの膝に向かいあうように座らされた。


「加地さん、今日はみんな遅いですね」
「俺が来るなって言ったからな」
「えっ―加地さん、ごめんなさい俺、聞いてなかったどころか爆睡してました」
「なるはいいって俺が言ったからな」
「そうなんですか」
「そうなんです」

知らずに命令無視をしてしまったと一瞬肝が冷えたが、加地さんが頷いてにっこりしてくれたので俺はぽかぽかと温かくなった。「なるはいい」だなんて、なんて素晴らしくそして甘美な響きなのだろう。
加地さんを慕う仲間たちの中でも俺が一番加地さんが大好きだと胸を張って言える。


「加地さん、あったかいです」
「あったかいのはなるだろ。相変わらず子供体温だな」

背中と後頭部に手を回した加地さんが優しくぽんぽんとしながら抱きしめてくれる。俺は額を加地さんの肩にくっつける。

「俺、暑苦しいですか」
「いや、赤ん坊みたいで俺は好きだけど?」
「俺、ずっと子供体温でいいです」

だから十年後も二十年後も抱きしめてくれますか。声に出さずに問いかける。
ずっと加地さんの傍にいられたら俺はとてつもない幸せ者だ。百人の人間の幸せを束にしても俺には勝てないというくらい。

けれどそんなことを口に出していうやつは重くて面倒くさいやつだ。なので俺は黙って加地さんにくっつく。

加地さんからはいつも紅茶と煙草が混じった匂いがする。煙草の匂いは薄くて紅茶の匂いが強い。
肩のあたりを無心でくんくんしていると加地さんが俺に顔をあげるよう促した。しぶしぶな気持ちと加地さんの命令だから喜んで! という相反した気持ちを内側に感じながら顔をあげる。

大きな片手が俺の頬を挟むようにつかんだ。むにっとされて少し唇が突き出る。


「なんでしゅか加地しゃん」

そのまま喋ったらさ行がうまく発音できなかった。そんな俺の間抜けな姿に加地さんはくくっと笑って、それから俺の顔をじーっと見た。
宇宙のような、吸引力をもった加地さんの黒目に釘付けである。

「―今度はなにが不安?」

囁くように言ったせいで少し掠れた声はとても色っぽかった。力が緩んでゆっくりと撫でるだけになった加地さんの指の感触を頬に感じながら俺は口を開く。

「なんにも不安じゃないです」
「嘘つくな。なる、気付いてねえの?」

何がですか、と首を捻る。加地さんは目を細めた。照明の光が瞳に反射して潤みを帯びて光る。
お前、不安になると俺の匂いかぐんだよ、と口角をあげた唇で加地さんが言う。


「―変態みたいですね」

知らなかった俺の癖についてそう言及する。加地さんはそれについてなにも言わず、片手を俺の腰に回して強く引き寄せ、頬に触れていた指で唇をなぞった。
ふに、と確かめるように押されて急速に顔に熱を上らせる俺。

「なにを不安になってるか知らねえが」

男らしくて俺にとって最も格好いい顔がぐっと近づく。加地さんの吐息が俺の唇にあたった。

「か、加地さ―」
「なるに俺から離れるなんて選択肢は存在しねえんだよ」

真っ白で鋭い犬歯を覗かせた加地さんはそう言って俺の唇に食らいついた。ぎゅうぎゅうと抱きしめられて腕を動かすことも出来ぬままキスに翻弄される俺。
大混乱の頭の中に加地さんの言葉が光る。そうか、俺に選択肢はないのか。つまり加地さんは俺をずっと傍にいさせてくれるということだろうか。

加地さんからのキスとその言葉が相俟って俺は嬉しくて嬉しくて堪らなくなる。ぶるりと体が震えた。

好きです加地さん。どうか俺を食い殺して。



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