恋愛
□“彼”
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ぱっちりとした二重に、色素の薄い瞳。
それと同じ色をした、さらさらの髪。
ちょうどいい高さの、綺麗な声。
その人は、弟にとてもよく似ていた。
「ね、え……っ、なに、して……、っ!」
言いながら、漏れそうになった声に手で口を押さえる。
ぞわぞわとした感覚に、背中がのけ反った。
素肌が、シーツに触れている。
その感触は気持ちいいけれど、そうなっていること自体がおかしい気がした。ていうかおかしい。おかしいよこれは。
何で、弟が。
「ん、可愛い……」
「っん、……やめ……っあ!」
身を捩ろうとすると、より深く挿し込んで、動かされる。
指が、どんどん奥に入り込んで、めちゃくちゃに動く。
その度に音が鳴って、聞きたくもない声が響いて。
何より受け入れがたいのが、それをさせている相手。
それは馴染みのありすぎる顔と声をした、弟だった。
もう、意味が分からない。
なんで私は裸なの? 何でこんな風になっているの?
弟は一体どうしたんだ。
元からおかしいやつだったけど、やって良いことと悪いことの区別ぐらいはつくと思っていたのに。
「ん、と……ここかな」
「っ! や、やだっ、ひあ……っ!!」
意識が飛びそうになって、でもそれは許されない。
私の体を知り尽くしたようなそいつの手付きに、ひたすら震えるばかりだ。
どうしてこんなことになっているのか、私には見当もつかない。
「あっ……やぁっ、は、ぁあっ!」
「ねえ、気持ちいい?」
びくんと私の体が震える度に、そいつは笑みを深める。
私はそれを睨み付けた。
気持ちいい訳がない。
何でこんな、弟となんか……。
って、少なくとも心の中ではそう思っている。
でもだらしなく甲高い声を上げているってことは、所謂“感じている”ということになるのだろうか。
だとしたら最悪だ。
私の人生最大の黒歴史だ。
私は抵抗してやろうと、手足をばたつかせる。
それを押さえ込もうとして、そいつの動きが鈍くなる。
その隙に逃げようとしたけど、肩を押さえられ、それは叶わないように思えた。
それでもと私は声を張り上げる。
「はな、せ!! さわ、な……いでよっ、気持ち悪い……っ!」
必死に身を捩って叫ぶと、そいつは驚いたように目を丸く開く。
そして、埋めていた指をゆっくりと抜いた。
抜かれたことに安堵して、私はさらに声を荒らげた。
「っ早く離して!! 気持ちわる、……っ!!」
ところがその声は、口に入ってきた手によって遮られる。
今、私の口の中には恐らく二本の指が入れられている。
いきなりのことに付いていけず、軽く嘔吐く。
肩は押さえられたまま自由が利かない状態で指を咥えさせられて、吐き気を覚えた。
しかもなんか変な味が
……変な、味……
……………、
…………もう嫌だ死にたい。というか死のう。首を吊ろう。ちょうど首輪もあるし、これ何かに引っかけて首吊ろう。うんそうしよう。
恨めしい思いで、涙目でそいつを睨み付ける。
睨んだ際に目から涙が溢れた。
「っふ、ぅ、く」
「……なんか、変だよ。熱でもある?」
……はぁあああー?
私からしたらあんたの方が変なんですけど?
信じらんないよ? 目が覚めたら首輪付けられた状態でピーでピーなことしてるんだよ? ふざけんなって話だよ。
この変態が。マニアック趣味の色狂いが。
ていうか『熱でもあるの?』って質問してくるんなら指抜いてよ。喋れない。
答えさせるつもりないのか。
苛ついて、その指に噛みつこうとする。
が、気付かれたのか、より深く指を突っ込まれた。
そして追い討ちをかけるように、指を舌に擦り付けてくる。
もうやめてくれ、本気で。
「っ……う、ぐ」
「ね、どう? 君、感じてたでしょ?」
「ふ……、う」
「あれだけ濡らしておいて、気持ち悪いなんて言わないよね。君」
浴びせられる最悪な言葉の羅列に、ぎゅっと眉を寄せる。
生理的な涙は絶え間なく流れていた。
らしくもなく、落ち着いた口調で微笑むそいつ。
そいつにしては拭いきれない違和感があった。
何かは分からない。
考えるには、平静が足りない。
こんな状態で他に意識を向けられるほど、私はできた人間じゃないのだ。
「……君の、どんな味? 言ってみせて」
虚ろな気分で天井を見上げていると、そんな声が聞こえた。
それと同時に、指が引き抜かれる。
解放感に息を大きく吐く。込み上げる咳に顔を歪めて、息を整えた。
「かはっ、は……っぁ……」
「……ねぇ、どうなの」
顔を横に背けて、目を瞑る。
そのまま眠りに落ちそうになっているところに、また声がかかった。
もう、勘弁してよ……。
私はこのまま気絶したいんだよ。
そしたらこの口の中の不快感ともおさらばできるし、飲み込むかシーツに吐き出すかという残虐極まりない二択からも逃亡できるんだ。
そういう訳だからあんたの恥ずかしい質問にはお答えできない!
「…………」
「…………寝るの?」
うん寝る。
や、ごめんねほんと。
男の人からしたらあれだよね、行為中に寝られるってかなり屈辱的なことなんですよね。
いや、ほんと悪いことするわ。ごめんね。
でもさ、あれだし。このままじゃあやばくない?
冗談抜きで『光速昇華穴殺し』されちゃうんじゃないかこれ。
それだけは絶対に避けたい。
だから寝よう。
弟は寝てしまった私を無理矢理起こしたりしないだろうし。
「…………」
「…………」
「…………」
「………………早く舌でその液体絡ませながら喋れよ淫乱女」
「……………………はい??」
……何か今、とんでもない言葉が発せられた気が。
なんか凄い言葉をその綺麗な笑顔で言った気が。
信じられない思いで閉じていた目をかっ開いてそいつを凝視する。
目が合うと、そいつはふわりと微笑んだ。
「やっぱり起きてた」
そう言うと同時にそれは顔を近付けて、その唇を重ねてきた。
いきなりの行動に、一瞬何が何だか分からなかった。
「んっ、ぅ……!」
本当に、もう何が何だか。
さっきのあれ、何なの。
いや、気のせいか?
あぁ、うん。気のせいだ。耳がどうかしてたんだきっと。
「……ふ、ぅあ……!」
気を緩めていた隙に、その舌が口の中に侵入する。
舌が、口の中を動き回る。
そして、恐ろしい事態が起こった。
口の端に溜めておいた例の液体が、その舌によって荒らされる。
そして、そいつの唾液と混ざりあって例の液体が、喉を通ってしまった。
喉を通る、妙にねばついたもの。
意識していたせいで、その感触が鮮明に伝わった。
あああああ。
もう、いや。私終わった。ジ・エンド。のんでしまうとはなさけない。
「んん!! んぅ……っ!!」
抗議するように足をじたばたさせて、そいつの足を蹴る。
でもそいつは涼しい顔をして、それを流した。
口の中で、舌が勝手に動き回る。
舌を絡めとられ、柔らかく吸われる。
涙や口周りの唾液や何やらで顔はびしょびしょに濡れていた。
しばらくして、長いキスが終わる。
双方とも息を荒くして、少し顔を赤く染めていた。
「は……やっぱり、君は可愛い。嫌とか言いながら、俺のこと受け入れてくれるもんね」
「そんなことあるわけ……っ、
…………え、“俺”……?」
あ、れ。
……弟は、自分のことを“俺”と言っていたっけ。
それは、ちょっとした違和感。
例えばいつも穿いている靴と、違う靴を穿いたときのそれ。
何かが引っ掛かる。
それだけ。
でも、思い返せば、目の前の彼を見れば、それはどんどん大きくなっていく。
弟が私を、“君”と呼んだことなんて、一度でもあっただろうか。
弟はこんなに、大人びた態度をしていたか。
弟がこんな風に、穏やかに笑うか? こんな優しい目、していたか?
「あな、たは……だれ……?」
掠れた声で、問う。
食い入るように彼を見つめたまま、目が逸らせない。
ただ、自分の知り得ないことが不安で、恐ろしくて。
『覚えてないの?』
いつかの弟の声がぐるぐると頭を回る。
……私は、何かを忘れているの?
『いつも僕たちに付きまとってた奴だよ』
弟は、確かそう言っていた。
その人について忘れていると。
そういえば……あの写真に、写っていた人。
あの人は弟にとてもよく似ていた。
でも、私はあの人が弟だとは思わなかった。
何故かは分からない。
直感、というやつなのかもしれない。
ただ私はあの人を、かっこいいと思った。素敵だと思った。
弟には、何も思わなかったのに。弟に、そっくりなのに。
それなのに、私はあの人を、
愛しいと、思った。
彼の唇が、ゆっくりと弧を描く。
「……俺は、」
綺麗な、綺麗な声。
色素の薄い瞳。
それとお揃いの、さらさらの髪。
その人は、
彼は、弟によく似ていた。
「俺は君の、恋人だよ」
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